大野和士指揮東京都交響楽団第864回定期演奏会Aシリーズ

黄昏時の、円い大きな月がとてもきれいだった。
上野でフランツ・シュレーカーとアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー。恍惚の音楽に僕は酔っ払った。

混乱の時代、混沌の時代に生まれる音楽は、得てして強烈なエネルギーを秘めて世に問われるもの。世界に対する創造者の抗いなのか何なのか。

大野和士の指揮するシュレーカーは、繊細で美しかった。夕刻に見た、真ん円の月の神秘を思い出した。大野の作り出す音楽は、情感がこもる。しかし、それは決して過多に陥らず、客観のギリギリのラインを常に保つ。第一次世界大戦という、欧州を席巻した暗い世相の中で、シュレーカーによって創造された未来への希望は、従来の型を遵守しながら独自の路線を邁進する。それは、自らができ得る極限の挑戦だったのだろうか。調性を超えない、幻想的な音楽が終始うねる。特に素晴らしかったのはアダージョの官能。あまりのデリケートさに思考が融けた。完敗だ。

東京都交響楽団第864回定期演奏会Aシリーズ
2018年10月24日(水)19:00開演
東京文化会館大ホール
アウシュリネ・ストゥンディーテ(ソプラノ)
アルマス・スヴィルパ(バリトン)
山本友重(コンサートマスター)
大野和士指揮東京都交響楽団
・シュレーカー:室内交響曲(1916)
休憩
・ツェムリンスキー:抒情交響曲~ラビンドラナート・タゴールの詩による7つの歌作品18(1922-23)

休憩後のツェムリンスキーの「抒情交響曲」に僕は圧倒された。どの楽章も、歌唱の後の管弦楽によるいわゆる後奏が心底素晴らしかった。ソプラノ独唱が、母に純真な心の内を明かす第2楽章「お母様、若い王子様は」の後の劇的な爆発こそ、女の深層心理を見事に射たものだ。あるいは、バリトン独唱付きの第3楽章「お前は夕べの雲」の後奏の、ヴァイオリン独奏とチェロ独奏の掛け合いの、切なさ、美しさ。

恋人よ、私の音楽の網の中へ。
お前は私のもの、私のもの、
私の絶えることのない夢の住人よ。

とはいえ、白眉はバリトン独唱付終楽章「穏やかに、わが心よ」での魂まで締め付けられるような哀感。特に、「じっとしておくれ、じっとしておくれ」以降の、スヴィルパの感情剥き出しの歌唱は本当に素晴らしかった(フィッシャー=ディースカウの冷静なそれとは正反対の、まったく別なるもの!)。

ああ何と素晴らしい結末、ほんの暫しの間、
そして沈黙をお前の最後の言葉としておくれ。
私はお前に別れの挨拶を告げ
お前の行く道を照らすために
灯を高く掲げよう。

戦後、あの頃のウィーンは、ずっと革新的だった。

1920年の初めまでにアドラーは情熱的な心理学の思想家として、オーストリアの新しい戦後の世代に大きな影響を及ぼし始めた。この若い世代は、何百万もの人を殺した戦いを終わらせることができず国中に破綻をきたしたヨーロッパの年配の政治家に幻滅して、人間の本性と心についての新しい考えに熱烈に期待した。特に組織宗教を軽蔑していた。すべての戦闘国の教会の指導者が戦場の大虐殺にそれぞれの祝福の祈りを捧げていたからである。個人心理学が力強く社会を批判し、自信に満ちた楽観主義あることから、アドラーは有望な人物に思われた。特に理想主義者たちにはそのように思えた。
エドワード・ホフマン著/岸見一郎訳「アドラーの生涯」(金子書房)P156

創造することの大切さをあらためて思う。ツェムリンスキーは、長い間深層にあった傷を、抒情交響曲での吐露によってようやく解放できたのではないだろうか。少なくともこの音楽の内には開かれた希望がある。そして、今夜の演奏は、とても見事だった。溜め込まないことだ。

※太字歌詞は石田一志2018年9月改訳による

 

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