アバド指揮ロンドン響のメンデルスゾーン「宗教改革」(1984.2録音)ほかを聴いて思ふ

7年前、クナッパーツブッシュの「マイスタージンガー」について書いたとき、コメント欄で興味深いやり取りがあったことを思い出した。

山岸健一さんのサイトには、森田安一 著「ルターの首引き猫—木版画で読む宗教改革」(山川出版社)のある箇所が引用されており、それはまさに「マイスタージンガー」第3幕第5場の民衆の合唱と同じものであることが指摘されている。
そこではそれに続く詩が紹介されており、実にそれが問題なのである。
その詩は、深読みすると、単なるプロテスタント擁護の詩ではないことがわかる。カトリックに対するプロテスタントではなく、それこそ(ワーグナーが晩年に智慧を得る)真の宗教の到来を待ち望む詩と読めるのである。ワーグナーはあえてその箇所を台本には使っていないが、間違いなくそのことを仄めかそうとしていたのではないか。しかも、台本の完成は1860年代初めなので、その頃にはすでに彼の中に人類救済の智慧の萌芽はあったということだ。

一方、同じコメントの中で、メンデルスゾーンがもう少し長生きしていたら「ニーベルンゲン伝説」を題材にした歌劇の創作に着手していたのではないかという妄想なのか推論なのか、興味深い可能性に言及した記事が紹介されていたが、こちらのサイトは残念ながら閉鎖されており、今では読むことが叶わない。

1873年3月14日金曜日のコジマの日記。

夕食のときリヒャルトはメンデルスゾーンについて語り、《へブリーデン序曲》をほめた。「彼はよく耳を澄まし、風景からの印象を感じとった。たとえば序曲冒頭の三和音の構成は情感にあふれている。ただ、彼が再現してみせたのは、人間の魂でも、そこから洩れる吐息でもなく、そうかといって自然でもなく、風景なのだ。わたしは自分がそういったものに感動を覚えるとはとても思えないがね」。
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P564-565

かなりの皮肉が顔を見せるが、ワーグナーがメンデルスゾーンの音楽を全面的に否定していたのではないことがわかる。
ワーグナーにとってメンデルスゾーンは、人種的思想において相容れない相手であったが、なるほど歴史的には一本の筋でつながっていた可能性があることも確かに考えられなくもない。

ワーグナーが「パルジファル」の「聖杯の動機」に引用した「ドレスデン・アーメン」の旋律は、1830年、メンデルスゾーンのインスピレーションにも降りていた。崇高な、美しい交響曲「宗教改革」は、幾度聴いても素晴らしく、美しい。

メンデルスゾーン:
・交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」(1984.10録音)
・交響曲第5番ニ長調作品107「宗教改革」(1984.2録音)
・管楽器のための序曲作品24(1986.11録音)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団

第1楽章序奏アンダンテ、まさに弦楽器によるドレスデン・アーメンの発露!主部アレグロ・コン・フオーコに移ってからの躍動は、メンデルスゾーンの本懐。それにしてもアバドの指揮は鮮烈、堂々としたもので、とても安心感がある。続く、第2楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの、明朗かつ肯定的な響き。そして、短い第3楽章アンダンテを経て、終楽章アンダンテ・コン・モート—アレグロ・ヴィヴァーチェの、あまりに爽快、晴れやかな音調、そして確信に満ちた終結は、メンデルスゾーンに宿っていたのが間違いなく天使の類であることの証。

フェリックスの深層には、父アブラハムの次の言葉が刷り込まれていたのだろうと思う。

どのような宗教にも、唯一の神、唯一の善、唯一の真実、唯一の幸福がある。自分の心の声に従うなら、全てを見出すことができるであろう。心の声がいつも理性の声と調和するように生きなさい。
(アブラハム・メンデルスゾーン・バルトルディ 1819年4月5日)
~「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディとその魅力」(聖公会出版)P16

フェリックス・メンデルスゾーンの音楽はいずれも、信仰と理性のバランスが完璧だ。

 

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