レンスコウ&ラムビアスのブラームス交響曲第4番(2台ピアノ版)(1992.8録音)を聴いて思ふ

このフィナーレは暗い泉のようなものだ。長く見入れば見入るほど、星の光が明るく輝き映えるのである。
(エドゥアルト・ハンスリックによる初演評)
日本ブラームス協会編「ブラームスの『実像』—回想録、交遊録、探訪記にみる作曲家の素顔」(音楽之友社)P23

昔、初めて聴いたとき、確かに何が何だかよくわからなかった。今では一等星くらいの(以上の?)輝きを放つ屈指の名作だと思うのだけれど。

過去への回帰。
走馬灯のように回想されるシーン。
ブラームスの、2台のピアノによる交響曲は、原曲に比較して透明感を獲得しているせいか、厭世的な響きが後退し、(確かに暗いと言えば暗いのだけれど)生への希望が横溢する印象がある。
特に、バッハの低音主題をもとにした終楽章パッサカリアの生命力!!

この作品がどのようなものであるのかを示すために、ブラームスはピアノに進み出でて、《カンタータ第150番》の終結部のクライマックスをなすシャコンヌの部分を弾き出した。ブラームスはまず、その作品全体の構成の基礎となっている低音を演奏した。それからシャコンヌの本体に進んだ。ビューローはかろうじて冷ややかな賞賛を送ってこれらすべてに耳を傾け、たしかにバッハの知的な構想を示す偉大なクライマックスだが、歌唱声部では望まれる効果を出すことはほとんどできないと異議を唱えた。ブラームスは次のように述べた。「あれが私の脳裡に思い浮かんだ。いつかこの主題にもとづいて交響曲の楽章を書くということについてあなたはいかが思われますか。しかしそれはあまりに無骨すぎて、ストレートすぎる。何らかのやり方で変化させなければならないだろう」私はすぐにこの会話を書き記した。そしていま、ブラームスのホ短調の交響曲のフィナーレと、上述のカンタータとを比較することができるだろう。
(ジークフリート・オックス「回想録」)
西原稔著「作曲家◎人と作品シリーズ ブラームス」(音楽之友社)P162

実際のところ、ブラームスはこの主題を低音ではなく、上声部において変奏主題に用いたのである。

ブラームス:
・交響曲第4番ホ短調作品98(2台のピアノのための原典版)
・悲劇的序曲作品81(2台のピアノのための原典版)
トーヴェ・レンスコウ(ピアノ)
ロドルフォ・ラムビアス(ピアノ)(1992.8録音)

厭世的な第1楽章アレグロ・ノン・アッサイも、2台のピアノ版となると不思議に楽天的な響きに満ちる。何よりコーダの、放出される圧倒的エネルギーに悶絶!!ブラームスはピアノの人だ。また、柔らかく、思いに耽る、瞑想的な第2楽章アンダンテ・モデラートは、第2主題の美しさが際立つ。そして、第3楽章プレスト・ジョコーソの爆発も、決してうるさくならず、優美なトリオが心に沁みる。

ブラームスがバッハの《平均律クラヴィーア曲集》のなかから、多くの作品を読解したり弾いたりするのを聴くのは、とりわけ幸せなことでした。特に前奏曲の演奏は力強く生き生きとしており、とても印象的で、私のなかで今も鳴り響いています。彼のバッハ解釈は因習的でなく、伝統的な理論に束縛されておらず「バッハの音楽はただ流れるように弾くべし」という、当時一般の見解とは一線を画していたのです。
(ピアニスト・ブラームス—フローレンス・メイの回想)
日本ブラームス協会編「ブラームスの『実像』—回想録、交遊録、探訪記にみる作曲家の素顔」(音楽之友社)P58

浪漫的な、自由なバッハ解釈から生まれた傑作パッサカリアを繰り返し何度も聴くと、本当にはまる。

 

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