souvenir the movie MARIYA TAKEUCHI Theater Live 2018

とても素晴らしかった。心底感動した。
何より完成度の高いステージ・パフォーマンスに、その場に立つ一人一人のミュージシャンのレベルの高さと、竹内まりやという人の、優しさの滲み出る人間性の顕現。

“souvenir”と題されたコンサートの記録を軸に、竹内まりやが思いの丈を語り、山下達郎がまりやの音楽家としての凄さを分析して語る。コンサートは、2000年のものが大半を占めたが、特に若き日のまりやの声は、見事に絶品で、例えば、達郎がコーラスで合いの手を入れる「プラスティック・ラブ」などは痺れもの。ギリギリまでまりや本人が念には念を入れて編集作業に取り組んでいたというのだからさすがとしか言いようがない。

映画冒頭、竹内まりやは言う。とにかく出逢いの運に恵まれたことが一番だったと。
人との出逢い、人との協働、そして、数多のファンの存在、すべてが自分を支え、そこから大いなる感謝が生まれる様。歌うことに感動する竹内まりやに、その歌を聴いて感動する聴衆のまさに交歓。18年でたった3回だけ開かれたツアーを含めたコンサートのその場に居合わせることができた人は幸せだっただろう。かくいう僕も、2014年の武道館の、ツアー千秋楽のあの場にいることができた。それは僕の人生の宝物。

彼女は語る。長年使用するスタジオですら、時に歌えなくて煮詰まることもあるそう。しかし、そういう「負」の状態のときも、シンガーとしての幸せを覚える時間であり、またそれが本望なのだと言う。それこそうまくいくことだけが人生の喜びではない。好きなことに携わっていれば、苦悩の時間ですら幸せを喚起するということだ。なぜなら、挫折や辛酸や失敗や、そういうものが人を、人の器を大きくするのだろうから。

MARIYA TAKEUCHI 40th Anniversary
souvenir the movie
MARIYA TAKEUCHI Theater Live 2018
Supported by Amazon Music
Music produced by TATSURO YAMASHITA

印象的だったのは、彼女にとって山下達郎の存在は何ものかという問い。
それに対して竹内まりやは、夫山下達郎は一緒にいて本当に楽しい人で、夫婦でもあり、父母であり、またプロデューサーとミュージシャンという幾重もの関係にある人なのだが、最も的確に表現するなら、「大親友(Best of best Friend)」だと答えるのである。
僕は膝を打った。かっこ良すぎる。40年近くにわたって公私を共にしてきたまさに二人のような唯一無二の関係が、数多の傑作を生み出したということだ。

一方、山下達郎がまた40年に及ぶ竹内まりやのヒストリーの凄さを明快に分析して、冷静に、しかし感慨深く語っていたことが印象的(声だけの出演だったが)。彼曰く、まりやが数年に一度という緩いペースでアルバムをこつこつと創り上げざるを得なかったこと(状況がそれしか許さなかった)、また、ほとんどライヴ活動をやることなかった分、逆に純度の高い、ポジティブで普遍的な楽曲をいくつも生み出し続けることができたことなどは、世知辛い日本のポップス史上において他にはない稀有な存在であると。

竹内まりやの作品には、市井の人々が経験する出会いや分かれ、喜びや悲しみ、愛情、友情といった、さまざまな情景が描かれ歌われていますが、それと同時に彼女の歌の中には、あるひとつのテーマが常にこっそりと内包されています。

それは「ひとが生きて行くことへの強い肯定」です。
(山下達郎)

ベスト・アルバム“Expressions”のライナーノーツに寄せた山下達郎の文章が、彼女の存在意義をわかりやすく説明する。

インタビューでも語っているとおり、私が現在までこんなにも特殊な形で活動を続けてこられたのは、ひとえに、待っていて下さるファンの方々の存在あってこそだと、40年を振り返りながら強く実感しています。
(竹内まりや)

あらためて竹内まりやの歌の凄さを実感した、臨場感のある素敵な2時間弱。感謝。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む