時代と人を理解した上で音楽を聴く

liszt_annees1_brendel.jpg次回の「早わかりクラシック音楽講座」では、フランツ・リストを採り上げるが、これまで彼の生い立ちや人生について研究した機会がほぼなく、一部の有名な作品を除いてほとんど聴き込みも足りない状態なので、音盤を探りつつ、少し伝記などをひも解き、勉強を始めた。

作曲家の生涯をざっと俯瞰するという意味で、音楽之友社から出ている「人と作品シリーズ」は最新の研究成果が網羅されており、かつコンパクトにまとめられているから、短い時間の中で人となりを知るのに都合よく、何より読みやすいのが良い。 

それで確信したことがひとつ。どんな時に、どんな心境でどういう音楽を書いたのかがわかった上で、その音楽を聴くと一気にそれが近しくなるということ。大袈裟だが、これまでの人生の中でこんなにリストの音楽を愛おしいと思ったことってあっただろうか。まさに音楽のような時間芸術は、時代と人間関係という文脈の中でこそ真に理解し、語れるものだということだろう。一番は同時代に同じ場所で同じ空気を分かち合い、その雰囲気ともども体感することなのだろうが、それは不可能。少なくともその時代のその場所を想像して耳を傾けるだけで、より一層「音楽が身近になる」ことは間違いなかろう。


昨夜、遅くに帰宅してテレビをつけたらジャン=ギアン・ケラスのチェロ・リサイタルをやっていた。ピアノはアレクサンドル・タロー。すでにプログラム後半のブリテンのチェロ・ソナタ終楽章が始まっていたが、すぐさま釘づけになった。いや、素晴らしかった。何よりその後の3曲ものアンコール!シューベルトの「夜と夢」、クライスラー「愛の喜び」、そして感激のドビュッシーのソナタ第3楽章!!いずれもぴったり息の合ったパフォーマンスで、しかもチェリストに余裕がある分音楽が一層活き活きとしていた。

ドビュッシーも最近まで僕が苦手とする作曲家だった。その苦手意識を払拭してくれたのが3年ほど前の加納裕生野によるオール・ドビュッシー・リサイタル。それから少し真面目に彼のことを勉強するようになった。いろんなことを知った。目から鱗も落ちた。

人となりを知ること。彼(彼女)がどういう幼少期を送ったのか。どんな経験をしてきたのか。そしてその時どんな音楽を創造したのか。事実を知り、理解するだけで意識は変わる。身近な存在になる。

リスト:巡礼の年・第1年「スイス」
ワーグナー:イゾルデの愛の死(リスト編曲)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

リストの音楽が愛おしくなると、ブレンデルのピアノがすごく近くなった。端正で美しく、クールだけれど情熱に溢れる、何て素敵な音色なんだろう・・・。

音楽を聴くこと。深い行いなり。(ということは、音楽をすることはもっとすごい行いなんだろう・・・)


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
リストのピアノ音楽というとメカニカルで、技巧のために音楽があって、音楽のために技巧があるのではないといった感じで、まさにスポーツの超難度の個人種目を観る思いがいつもしますが、それは現代の演奏家の誤ったリスト観による影響もあるのではないかとも思います。
・・・・・・リストの友人であったフェリックス・メンデルスゾーンの手紙にある話では、メンデルスゾーンが初めて出版された自分のピアノ協奏曲をもってリストの元を訪れたときに、リストはそれを初見で完璧に弾き、メンデルスゾーンは「人生の中で最高の演奏だった」とコメントをしたという。しかし、先のメンデルスゾーンの手紙には続きがあり「彼の最高の演奏は、それで最初で最後だ」とあったという。リストほどの技巧者にとってはどのような曲も簡単だったために、2回目以降の演奏時には譜面にない即興をふんだんに盛り込んでいた。このように、初見や演奏技術に関しては他の追随を許さなかったリストであったが、そのために彼は演奏に関しては即興に重点を置いていた。
リストの演奏を聴いた人々の文献によれば、繊細ながら非常に情熱的で力強い演奏をしていたとされ、演奏中に弦が切れたり、ピアノのハンマーが壊れることが度々あったという。そのため、最初から3台のピアノを用意して演奏をしたこともあった。1台が壊れたら次のピアノに移って演奏、といった形である。またピアノ製造会社であるベーゼンドルファーはリストの演奏に耐えた事で有名になった。
リストの演奏を聴いてあまりの衝撃に気絶する観客がいた話は有名だが、リスト自身も演奏中に気絶することがあったという。ほかにも、当時天才少女として名を馳せていたクララ・ヴィーク(のちのクララ・シューマン)がリストの演奏を聴いてあまりの衝撃に号泣したり、自分の演奏を聴かないニコライ1世に向かって「陛下が話しているうちは私も演奏が出来ない」と言い放ったというエピソードも見られる。
リストは即興に重点を置いていたため、楽譜はおろか鍵盤すら見ずに、絶えず生み出されるピアノの音に耳を傾けて演奏をしていたと言われている(演奏中のリストの写真や肖像画で鍵盤を見て弾いているものは1枚もない)。
また、リストの弟子達には非常に演奏技術が高いと評されるピアニストが多いが、その弟子達の誰もがこぞってリストの演奏を褒めており、誰一人貶していない。この事はリストが演奏家としての絶頂期には、今日超難曲と言われている曲々を(おそらくは即興により楽譜以上に音を足して)見事に弾きこなしていたことの間接的な証であると言える。・・・・・・ウィキペディア 「フランツ・リスト  ピアニストとしてのリスト 」の項より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88#.E3.83.94.E3.82.A2.E3.83.8B.E3.82.B9.E3.83.88.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.AE.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88
リストが音楽の根幹で即興を重視していたと知ると、現代のピアニストで、どんなに高度なテクニックが有していても、誰がリストの精神を汲んだ演奏を実践しているのでしょう?
全員失格。
ブレンデルは昔から大好きなピアニストで、ブレンデルのことを悪く言う人に私は容赦なく反論して返り血を浴びせますが、リストのスペシャリストの彼も、リストの本質とは真逆の音楽性の持ち主と、言わざるを得ません。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
>リストが音楽の根幹で即興を重視していたと知ると、現代のピアニストで、どんなに高度なテクニックが有していても、誰がリストの精神を汲んだ演奏を実践しているのでしょう?
ほんとですね。人によってはゲテモノ扱いするファジル・サイなどはその意味ではリストに近い存在かもしれません。いや、ひょっとすると「精神」はジャズ・ピアノの世界に受け継がれているのかもと思います。指揮法にしても、当時は拍を単調に刻むだけの退屈で機械的なものがほとんどだったらしいですが、それに異を唱え、感情や思想を音楽に見出し、それを表現するよう訴えかけた最初がリストだったようですから、西洋近代音楽の礎はリストが築いたといっても良いのでしょうね。
>リストのスペシャリストの彼も、リストの本質とは真逆の音楽性の持ち主と、言わざるを得ません。
リストが過去の習慣を打ち破って作った新しい「型」にそれ以降の音楽家や聴衆(少なくともクラシック音楽の世界では)は捕らわれてしまったということでしょうね。
本日もありがとうございます。

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