バッハ、ラフマニノフ、ショスタコは内向的である

一昨日の講座ではラフマニノフの第2協奏曲をとりあげたことは既に書いた。その時にも話したことだが、ラフマニノフは時代遅れのロマンティスト、映画音楽作曲家といようなレッテルを貼られ、どちらかというと二流に近い音楽家に思われていることも多い。
しかし、不評だった交響曲第1番を聴くにつれ、やっぱり稀に見る天才だと実感する。でなければ、100年経った今でも聴き継がれることはないように思うのだ。

それに・・・

ちょうど講座でロシアやソ連のクラシック音楽について言及する機会があり、ショスタコーヴィチやプロコフィエフについても語ったのだが、いわゆる「社会主義リアリズム」という限られた枠の中で、鋭い創造性を発揮した彼らには脱帽ものだと感じる。

ところで、ショスタコーヴィチはJ.S.バッハの影響を受けている。「平均律クラヴィーア曲集」に倣って「24の前奏曲とフーガ」を作曲しているくらいだから、おそらく彼にとって「神」だったのだろう。

どういうわけかバッハとラフマニノフとショスタコーヴィチには共通性を知覚する。その芸術性も人間性も時代背景も全く別の中で育った作曲家にも関わらず、だ。一言で言うとその「内向性」なのかもしれない。

ショスタコーヴィチ:交響第10番ホ短調作品93(1976Live)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

ムラヴィンスキーが初演に携わった傑作。スターリンの死後、いわゆる「雪どけ」といわれる時期に書かれたショスタコの本領発揮という名曲。第3楽章に自身のイニシャルであるDSCHという音形が用いられていることで有名。ショスタコーヴィチを聴くならムラヴィンスキーだ。

久しぶりにムラヴィンを聴いた。このショスタコの前は79年来日時のベートーヴェン「田園」交響曲を聴く。音は決して完璧ではない。しかし、やはり「神」が舞い降りている、という感じだ。

今夜は「人間力向上セミナー」の第1回に参加していただいたK君とその後輩であるN君と新橋で飲んだ。昨年末から3人で会おうと計画していたのだが、結局今日になってしまった。とはいえ、縁とか時期とかはとても重要で、今日でなければならなかった理由が存在した。
感謝・・・。

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