近親結婚

イギリスで別々の両親の養子となった双子の男女が、その事実を知らず結婚し、「近親結婚」にあたるとし、無効になったという記事を読んだ。お互いに惹かれ合って結婚したわけだから、無効も何も本人たちにとってみればたまったもんじゃないだろうに。「ロメオとジュリエット」の如く、叶わないとなればより一層想いが募ってしまうのではなかろうか。

古代ローマの奴隷という身から、成長して自由民となりストア学派の哲学者となったエピクテトテス。弟子のアリアノスが彼の思想をまとめた全8巻の「語録」の要約版である「要録」には、「受容の哲学」が巻末におかれている。人は創造主に従うことによって、宇宙と調和して行動している自分を認め、得がたい「静けさ」を手に入れる。誰しも生まれ出てきた役割が決まっているのだから、運命とわかっているものに抗おうとするのは、悲惨な結果を生むだけだと説く。何とも厭世的な思想であるが、さらに、彼によれば、人は飲食し性交し眠るという点においては動物と同じだが、世界を理解し、世界の中の自身の位置を知ることは動物と相違する点であるという。世界や自身について考えを深めれば、「宇宙の摂理」の背後にある「知性」を認めるようになり、周りの事物に囚われなくなるなるのだともいう。

確かに一面だけとらえれば上記の双子の結婚というのは何とも不幸な結末といえば結末だが、「愛」はエネルギーであり、不変であるゆえ、結婚という物理的な関係は「法律上」の問題に過ぎず、お互いが深く愛し合ったということは事実であり、何ものにも代え難い素晴らしい「経験」であろう(とは頭で理解できてもやはり本人たちにとっては辛かろう)。なぜそういう経験をせねばならないのか、その理由を深く省察することが二人にとって重要なことなのかもしれない。

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第1幕
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
セット・スヴァンホルム、キルステン・フラグスタート、アルノルト・ファン・ミル

英雄ジークフリートの生みの親は、ジークムントとジークリンデという双子の兄妹。彼らも幼い頃に生き別れになり、青年になった後、ジークムントが旅先で既にフンディングの妻となっていたジークリンデに偶然出逢い、お互いすぐさま惹かれあった。「ワルキューレ」第1幕はその様子を詳細に舞台化した「求愛」の音楽。クナッパーツブッシュの呼吸の深いうねりの音楽作りが一層二人の「愛の様」を際立たせる結果になっている。人類の至宝とも言うべき奇跡的な名盤。

ワーグナーの書いたこの楽劇は、あくまで「神話」の世界がベースなのだが、やっぱり「愛」というのはあらゆる事象を超えたところに存在する特別な「波動」なのだろう。昨日の英国からのニュースに関しても、この際、倫理観や法律は棚に上げてもよかろうとも思うが。

ちなみに、叶わない男女の性愛をテーマにした音楽やオペラは多数存在する。前述のシェークスピアの傑作「ロメオとジュリエット」も古今東西数多の作曲家が音楽化した。
有名なところでは、ベルリオーズの劇的交響曲チャイコフスキーの幻想序曲、グノーのオペラ、プロコフィエフのバレエ音楽など枚挙に暇が無い。

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1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ワーグナーの音楽は理性を失わせる

[…] とはいえ、この音盤の価値は何と言ってもフラグスタートの歌う「ヴェーゼンドンク歌曲集」だろう(最初に聴いたのはもう30年以上前、「ワルキューレ第1幕」とのカップリングで豪華な装丁のアナログ・ボックスだった)。「トリスタン」とほぼ同時期に生み出され、マティルデ・ヴェーゼンドンクとの恋の最中に創作されたこの作品は、マティルデの詩にワーグナーが音楽を付けたもの。嗚呼、胸が圧し潰されそう・・・(笑) […]

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