すべては個性あるもの

以前の僕だったら絶対に否定していたであろうアーノンクールのブルックナー。最初から聴く耳など持たず、もちろん購入しようなどとは毛頭思わなかったはずだから、そんな音盤を採り上げること自体が不思議といえば不思議なのだが、こちらも江川三郎先生からいただいたいくつかのCDに紛れ込んでいたのを発見し、少々真面目に聴いてみた。速めのテンポ設定と、室内楽的な響きが実に美しく、自分の感性に変化があるのか、はたまた音楽を受容する器が大きくなったのか、一聴唖然とした。ただし、一方で金管群のうるささが気になったのも確かで、録音の問題もあることだろうから、楽器のバランスさえ緻密に練り上げられれば最高のブルックナー演奏になるだろうことは間違いないなとも考えた。

何を偉そうに・・・、である。またしても。ついつい昔からの悪い癖が出る。そう、判断するのは止そう。何故なら、アーノンクールのこのブルックナーを史上最高のブルックナーだと感嘆の息を漏らしながら聴く方も大勢いることだろうから。それに、細かいことを抜きにすれば極めて真っ当で美麗な音楽が奏でられていることは間違いないし。

その日その時手に取った音盤は偶然じゃない。何かを僕に知らせたくて手元に現れたCDかもしれぬし、そもそも疲れた心身を癒すのに久しぶりにブル7をと思って手を伸ばしたら、この音盤を発見したのだから・・・。

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

気がついたら新年度。3月は本当にあっという間だったが、とても長く感じた。東北関東大震災の発生。アクティブ・ブレイン・セミナーとの出逢い。そして、宮城県石巻市での被災地支援活動。そう、47回目の誕生日もあった。

不要なものが捨てられ、新しいものが芽吹く。価値観が180度転換し、思ってもみなかった世の中が眼前に現れるのだろうという期待と希望に満ち満ちる。それまでの交響曲がほとんど理解されず、何度も改訂を繰り返していた作曲家にあって、初めて困難なく一般聴衆や評論家に受け容れられた傑作が第7交響曲だった。いわば大作曲家アントン・ブルックナーの真のスタートのための記念碑であり、これがあったからこそ音楽家として彼は生き永らえ、後の第8番や第9番につながったのだと言っても過言でない。僕自身にとってもこの曲は大切な音楽。思い出の音楽。

第1楽章を聴いてコーダのテンポ設定からノヴァーク版かと思ったが、第2楽章のクライマックスを聴き、ハース版だと知った。後世の人間が勝手に論争したに過ぎない版の問題。作曲者にとっては実に糞食らえかも。そう考えると、どんな演奏でも、どの版を使っていようがブルックナーはブルックナー。レーヴェやシャルクの改訂版ですら可愛くなる。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

アーノンクール指揮によるブルックナー:交響曲の録音では、VPOとの第9番
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1963453
が、未完の第4楽章についてのアーノンクールによる詳しい解説「月から降ってきた石のような~」と同楽章スケッチ断片の演奏の付録CDが、資料としても極めて貴重ですし、コールス校訂の新版を使用した第3楽章までの演奏も、屈指の名演だと思っており、大好きな盤です。彼は、4番や、今回ご紹介の、4番の次に録音した7番のころの方が、演奏がより尖がっていたようにも感じます。

>不要なものが捨てられ、新しいものが芽吹く。
それは、岡本さんにとっては不要でも、私には必要かもしれません。
私が不要なものは、岡本さんには必要かもしれませんし・・・。
現時点では不要でも、10年後にはまた必要になるかもしれませんしね。

この世はいつだって「無常」(この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまる ことなく常に変移しているということ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%B8%B8
ですね。
指揮者もオーケストラも、音楽も、あなたも、私も・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
ご紹介のアーノンクールのブル9は巷では結構な評判でしたよね。
当然のように未聴ですが、これを機に聴いてみようと思っています。

>7番のころの方が、演奏がより尖がっていたようにも感じます。
ならばより一層期待大です。

>この世はいつだって「無常」
同感です。
いつも今を一生懸命に生きたいですね。

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