かつて某一流金融機関に勤めていたある後輩は、会社を辞めたいと言ったとき両親がてっきり猛反対するものだと思い込んでいたという。ところが、何てことはない、あっさりと賛成ということで即座に決意できたらしいが、トップ・セールスマンだった故、今度は会社がなかなか辞表を受け取ってくれず、退職するのに一苦労だったと。
てっきり親は賛成してくれるものだと思っていたのに反対を食らったとか、逆に絶対に反対するだろうと思っていたら即オッケーで、逆にそれが事を進めてゆく上での大きな後押しになったりとか・・・。何歳になっても親の意見、是非が及ぼす影響が大きいものなんだと再確認した。
そう、どんなことでも決断を下すときには勇気がいる。果たしてこれでいいのかと悩みつつ誰かに相談するのが常だが、そんなときに親の意見というのは相当に大きなポイントになるようだ。いつまで経っても親の前では人は子どもだということか・・・。
ラフマニノフの音楽に聴くことのできる「憂い」というのは、彼の幼少時代の孤独感、悲壮感と切っても切り離せないものだろう。父の浪費癖が原因による一家の崩壊が少年セルゲイに及ぼした影響は計り知れないもの。相当に重い悲しみ。とはいえ、その経験があったからこそ後に大衆を虜にするメランコリックで甘美な旋律を生み出せたのだとも考えられる。第2協奏曲の初演失敗による神経衰弱なども潜在的な弱さが遠因として少なからずあるように思われる。そんなラフマニノフだが、その演奏はとても力強い。80年以上前の古い録音からでもそのあたりの強靭さが容易に感じ取れる。
ところで、作曲者自らが演奏する「ヴォカリーズ」の何と美しいことか。弦の時代がかったポルタメント、当時の録音の加減にもよるのだろうが、音程の揺れが底知れぬ寂しさと悲しみを上手く表現する。
昔から子は親の背中を見て育つという。
いくら反面教師的に捉えようとも、ついつい親と同じような言動、思考になってしまっていることに気づくことも多い。良くも悪くも・・・。