信仰心

ここ最近、合気道を始めたり、茶湯に興味を抱いて岡倉天心を読んだり、あるいはルース・ベネディクトの「菊と刀」を読み返したり、そしてまた西田幾多郎の「善の研究」を研究するのは、「日本の本質」というものを今一度深く追究したいと思っているから。そんな中で何年か前から発売されるたびに読んでいる松岡正剛氏の「連塾方法日本」シリーズがめっぽう面白い。そのⅢ「フラジャイルな闘い~日本の行方」も読みどころ満載。中で、9つの視軸による「日本の本来と将来をつなぐ日本流の視点」の示唆があるが、「多神多仏の信仰風土」という視点では次のように述べられている。

・・・日本の信仰には最初からいろんなものが混ざっているわけですね。アニミズムやシャーマニズムから発したのは世界各国共通ですが、日本の場合はそこに儒教や仏教やタオイズムが入ってきても、そういう性格をのこしていった。・・・(中略)・・・ところが、そうした神仏習合的なアマルガメーションの作用力を、明治の神仏分離令と廃仏毀釈が断ち切ろうとしました。これは近代日本の最大のミスの一つだろうと思います。方法日本の本質は多神多仏をうけとめるところからこそ見えてくるのに、そこを放棄したことはまずかった。
いま、東アジア世界では靖国問題が浮上しているようですけれども、もっと神仏一緒くたにして日本の心を世界に問わないと、いけません。けれども、戦後社会では政教分離を断行したために、神仏を一緒にするということと、「まつりごと」を政事としても祭事としても見抜いていくということを、まとめてうけとめる力がなくなっているんですね。これでは政治側からも宗教側からも、ジャパン・プロブレムに手が打てない。
これは停滞です。新渡戸稲造はベルギーの神父に「学校で宗教を教えないで、日本人はどのようにして道徳を身につけるのか」と問われて愕然として、なんとか日本人は武士道でそれを学んできたと解説しましたが、まさにその通り、近代日本はどこかで宗教をバカにしてしまったのです。
これはやっぱりいけません。私たちはどこかでもう一度、宗教や信仰に向き合うべきなのです。そうでないと方法日本もジャパン・プロブレムも解けません。そもそも日本人はクリスマスをして、お寺に行って除夜の鐘をつき、お正月は神社に初詣に出掛けているのです。これも一種の多神多仏です。
しかし、もし本気で日本の宗教心や信仰心に向き合うなら、私としてはまずは空海を、ついでは天台本覚思想を、そして明恵・法然・親鸞を、さらには禅のあらかたを、まずは学習することを勧めます。(279頁~280頁)

旧暦元旦の昨日とある会合で聴いたお話とシンクロしたから思わず首肯した。
“Religion”が何ゆえ「宗教」と訳されるに至ったか知らないが、”Religion”の語源は”re(再び)”+”ligare(つなぐ、絆)”ということらしい。宗教、いや特定の宗教云々ではなく「信仰」の本来の意味は「もう一度つながる」ということだったのかと目から鱗が落ちた。
人と人とがつながる、心と心がつながる、あるいは神とつながる・・・、それはおそらく何でも良いはず。「もう一度つながる」・・・なるほど。

ようやくグスターボ・ドゥダメルがエーテボリ響と録音した3枚組セットが届いた。早速2度繰り返して聴いたが、予想以上に「まとも」で少々驚いている。何よりラテンの沸々した血のたぎるような要素と、酷寒の北欧の切り詰められたような空気感が、実際には混然一体となるその間際で崩壊しているのだけれど、ほとんどそれに近い中庸感がうまく表出されていて実に感動的。そう、限りなく透明に近い何とやら。

ブルックナーの第9番は冒険心に富んでいてよろしい。シベリウスものっけから面白い。でも、僕が最も衝撃を受けたのはニールセン!!いや、これはすごい!!第5交響曲などネーメ・ヤルヴィが同じくエーテボリを相手に録音したものを愛聴していたが、それと肩を並べる、いや、凌駕する勢い。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)(2008.2Live)
・シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43(2010.3Live)
・ニールセン:交響曲第5番作品50(FS97)(2008.2Live)
・ニールセン:交響曲第4番作品29(FS76)「滅ぼし得ざるもの」(2009.9Live)
グスターボ・ドゥダメル指揮エーテボリ交響楽団

第1楽章第1部後半の小太鼓のリズムにより静寂が破られ、次第にクレッシェンドする過程で人々の目覚めを促す。第2楽章ではブラームスの第3交響曲へのオマージュ風の楽想が扱われているが、この作品がこんなにも活き活きと表現されるのを目の当たりにして(これまでは僕の耳がぼけていただけなのかもしれないが)吃驚どっきり(笑)。まさに名曲再発見!ドゥダメル万歳!!

ちなみに、ニールセンの交響曲第5番の初演は1922年1月24日、すなわち90年前の今日らしい。偶然だけれど。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

指揮者とオケの未知の出会いが生む「化学変化」って面白いですよね。

科学者だってそうやって、様々な物質同士を反応させてみて、
その中から偉大な発見をするのでしょう。

それに新しい血が、種の保存と発展には絶対必要です!!

ドゥダメル指揮エーテボリ響のCD、
ちゃんと聴いていただいて、ありがとうございました。嬉しいです!

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>指揮者とオケの未知の出会いが生む「化学変化」って面白い
>新しい血が、種の保存と発展には絶対必要

ほんとですね!
ドゥダメルは以前から雅之さんに録画したものなどをいただいておりましたので、注目はしておりましたが、音盤までは追っていなかったので情報をいただき感謝いたします。本文にも書いたようにニールセンが殊の外気に入りました。
今後とも新情報お待ちしております。

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