時代がムソルグスキーに追いついた

ショスタコーヴィチの第14番交響曲を聴いていて、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の雰囲気、語法と極めて近い世界を感じる。調べてみると、第14番そのものはムソルグスキーの「死の歌と踊り」の伴奏部を1964年にオーケストレーションしたことが契機になって生み出された作品のようだから、ショスタコーヴィチも19世紀のロシアのこの天才の影響を少なからず(というか大いに)受けているのだろう。少人数の室内楽的管弦楽団によって演奏される音楽だが、まるでロシア・オペラのような土俗的な暗さと懐の深い広大さが全編を覆う。なるほどショスタコーヴィチを理解するにはもちろん彼の作品の実演体験が不可欠なのだろうが、一方でロシア音楽の先達たちの音楽についても克明に研究するべきだと再確認した。
特に、42歳で狂死したモデスト・ムソルグスキーについては知らないこともまだまだ多く、作品についても有名どころを繰り返し聴いて来たに過ぎないから、この際並行して深く追究してゆこうかと考える。
そういえば、ムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」前奏曲のショスタコ・アレンジは、以前ゲルギエフによる「展覧会の絵」がリリースされたその音盤に付録でついていたが、ショスタコーヴィチとムソルグスキーの魂のふれあいを間近で感じられるようで(ショスタコらしいスパイスを効かせながら決してムソルグスキーに対する畏敬の念を忘れていない傑作アレンジ)、メイン曲よりむしろそっちの方を一生懸命聴いた記憶が蘇ってきた(嗚呼、通称「モスクワ河の夜明け」よ!)。シャルル・デュトワが昔録音したリムスキー=コルサコフ版と比較して聴いてみると性質の違いが見事に出ていて面白い(ちなみに、アバドがリリースした「はげ山の一夜」オリジナル版が収録されている音盤にもこの前奏曲は入っているけど、こちらはどの版なのだろう?時間が無くて今日は取り出せないが、じっくりまた聴いてみたいところ)。

ムソルグスキーには未完の作品が多いが、実にそういう作品を後の作曲家がこぞって編曲した様々なバージョンが楽しめるのが興味深い。それにオリジナル版なんていうものも付加されると尚更。大いに勉強の価値あり。

ムソルグスキー:
・歌劇「ホヴァンシチナ」前奏曲(リムスキー=コルサコフ編曲)
・交響詩「はげ山の一夜」(リムスキー=コルサコフ編曲)
リムスキー=コルサコフ:「ロシアの復活祭」序曲
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

前回のすみだ学習ガーデンでの講座でアルゲリッチ音楽祭のデュトワ&芸大オケの「展覧会の絵」を久しぶりに観たが、デュトワが学生オケを見事にまとめてドライブしていたのが驚きだった。もちろん主要なパートはエキストラが入ってるんだろうけど、ラヴェル編曲の金管の難所も各々はずすことなくきれいに吹き切っていたのが印象的だった。最後の聴衆の怒涛のような拍手喝采も頷けるというもの。

ムソルグスキーは不遇にも生前は理解されなかった。しかしながら、まさに徐々に時代が追いつくように彼の進化を認めていったところが驚異。手始めにモーリス・ラヴェルが委嘱を受け「展覧会の絵」の管弦楽化を施したこと。
ショスタコーヴィチは明らかに見抜いていたのだろう。リムスキー版とは異なり、あくまでより折になるに近い形で編曲したところがショスタコのショスタコらしいところ。鑑識眼が真に深い。


6 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>アバドがリリースした「はげ山の一夜」オリジナル版が収録されている音盤にもこの前奏曲は入っているけど、こちらはどの版なのだろう?

アバドのCDはストラヴィンスキー版です。私も時間がないのですが、ウィキペディアが詳しいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%8A

作品が未完のままでムソルグスキーが死んだため、終結部のあり方をめぐっては、作曲者の歿後に多くの問題を引き起こした。結果的に、録音で今のところ確認できるものでは、次の4つの終結が存在している。

リムスキー=コルサコフ版
遺稿をすべて引き取ったリムスキー=コルサコフによって1882年加筆され完成された。古いものは新しいものにとって変わるという、スターソフも納得するテーマのもとにピョートル軍を肯定。古儀式派教徒が自ら火をつける集団自殺の後にピョートル軍が登場し、プレオブラジェンスキイ行進曲で肯定的に終わる(ハイキン盤のCDなど)。演奏時間は約2時間40分。

ストラヴィンスキー版
スターソフへの手紙をもとに、音楽が次第に消えていくのに合わせて古儀式派教徒たちが退場して幕になる終結部をムソルグスキーは考えていた、とパーヴェル・ラムは推論した。1913年ストラヴィンスキーは、厳かで悲壮な古儀式派教徒の合唱が次第に弱まって幕になる(ラムの見解と一致する)終結部を完成させた(アバド盤のCD)。演奏時間は約3時間5分。

ショスタコーヴィチ版
1959年、映画製作のため完成させた。三管編成。リムスキー=コルサコフ版の流れを踏襲しているが、プレオブラジェンスキイ行進曲のあと、そのあまりの悲惨さに唖然とするかのように音楽が弱まる。その後に悲しいロシアの運命を嘆く第1幕の「民衆の合唱(リムスキー版では省略されたもの)」をもう一度繰り返し、さらに序曲「モスクワ川の夜明け」を繰り返して静かに終わる。ロシアの本当の夜明けは革命を待たなければならなかったというプロパガンダが背景にあるようだ(チャカロフ盤のCD)。演奏時間は約3時間15分。

ゲルギエフ版
底本にショスタコーヴィチ版を使うが、プレオブラジェンスキイ行進曲以下はカット。その代わり古儀式派教徒の合唱の音楽がブラスによって重々しく奏されて、悲劇的に終わる(ゲルギエフ盤のCD)。演奏時間は約3時間15分。

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雅之

訂正

ご紹介のアバド&ベルリンPO録音の前奏曲は、ショスタコーヴィチ編曲版かもしれません。
全曲終結部の話と勘違いしていましたので、帰宅後、私も現物CDでよく確認してみます。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
ご丁寧にありがとうございます。

そうなんです。全曲盤ではなくベルリン・フィルとの録音についてなんです。
お手数かけますが、何かわかりましたらご教示ください。
よろしくお願いします。

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雅之

こんばんは。

帰宅してから、そのアバド&ベルリンPOのCD、探しましたが結局みつかりませんでした。
売却した可能性が強いですが、それすら全く記憶にありません(苦笑)。

「モツレク」や「火の鳥」が典型ですが、アバドはよく「混合版」で演奏したりしますから「ホヴァンシチナ」前奏曲の演奏も、あるいはそうなのかもしれません。
アバド&ベルリンPOの「展覧会の絵」のほうも、打楽器の用法などで、純然たるラヴェル編曲版ではない部分があったと記憶しています。

いずれにせよ、お尋ねの件、わかりませんでした。すみません。
やっぱりCDは売らずにとっておくに限りますね(苦笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
わざわざありがとうございます。
お手数をおかけしました。
ネットで検索しても意外に前奏曲の版の違いについて言及しているページがないんですよね。
自分でもじっくり聴いて研究してみたいと思います。

>やっぱりCDは売らずにとっておくに限りますね

確かにこういうときには痛感しますね(笑)。

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