ティーレマン指揮バイロイト祝祭管の楽劇「神々の黄昏」(2008.7&8Live)を聴いて思ふ
思考は早かれ遅かれ現実化する。ならば思い切り夢を見ることだ。
どこを切り取っても呼吸が深く、音楽は生き生きとうねる。「神々の黄昏」第3幕におけるジークフリートの角笛の動機も何と艶めかしく、色香満ちるものだろう。
いかなる歴史の衣装も彼(=ジークフリート)に制限を加えてはいなかったし、彼の外部で発生したいかなる状況も彼の行動を妨げてはいなかった。彼は、いかなるものに遭遇しても、生きる喜びの奥深い根源から定められているとおりに行動した。すなわち、激しい情動に培われた錯誤と混乱が周囲で重なり合って、彼に明白な破滅をもたらすほどになっても、この英雄は一瞬たりとも、死に直面してさえ、内奥の源泉が脈打って迸り出るのを妨げることはなく、また、滾々と湧き出る内なる生命の泉の必然的な流出以外の何ものにも、彼自身と彼の行動を支配する権利を認めなかったのである。
~ワーグナー著/三光長治訳「友人たちへの伝言」(法政大学出版局)P372
自身のダルマ(使命)を全うしたジークフリートは、ワーグナーが求め思い描いた真の英雄であり、そういう理想の男性の発見をエルザによって教えられたのだとワーグナーは言うのである。