クラシック音楽の最近のブログ記事

女というもの

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一昨日の記事に雅之さんからコメントを頂き、早速「現代ギター」8月号を探しに歩いた。というより、たまたま表参道、銀座方面に所用があったので、河合楽器、山野楽器に寄っただけなのだが、既に9月号が店頭に並んでおり、残念ながら手に入れることができなかった。
その旨雅之さんにメールでお伝えしたところ、当該ページをご丁寧にファックスでいただいた。お忙しい中、勝手なお願いにもかかわらず素早い対処に感激している。毎々ありがとうございます。

この記事、「シューマン夫妻とブラームスの『闇』について考える」ということだが、さすがに『闇』がテーマであるだけに実に物々しく、重い。確かにこの三者の間には一般的に知られた歴史的事実と、どんなに学者が研究をしようとも最終的には推測の域を出ない想像があり、これまでも様々な考えが発表されていると思われるが、いずれにせよ後世の我々にどれが正しいのかを計る術はまったくなく、どんな意見、考察が出てきても興味深く読める。
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自分自身を内観し、深掘りしていくことは重要だが、誰かのサポートの下で行うことが一層大切。

なぜ早く成果をあげる必要があるのか。利己的な観点でなく、利他的な観点で考えると、1分1秒でも早く他者のサポートをした方がより高いシナジーを生むから。

素直で伸びる人は「直感力」にも長けている。

「問題」に直面すると人は誰しも自分に意識が向き、しかも解決できないとますます悩み、悪循環のスパイラルに入り込んでしまう。「問題」にぶち当たったときこそ、他者のことを考え、思うようにすれば意外に簡単に解決の道が拓けるものだ。

あくまで個人的なメモ・・・、本日得た気づきのいくつかである。
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大学講座の研修会で、「どうすれば学生の内定率が上がるか?」という議題で話し合った。一朝一夕に解決する生易しい問題ではないが、今の世の中を変えるために、そして明日の日本を背負う若者を育てるために微力ながら貢献せねばという想いからほんの少しだけ僕なりの意見を言わせていただいた。定かではないが、内定率が低い大学、あるいは内定がなかなか出ない学生に限って、その親子関係に問題がありそうだ。親がそもそも現状をあまりに知らないという事実。または親離れ・子離れできていないという現実。子どもの頃から何にでも口出しして、子どもが自分で考えなくなっているということ。さらには、子どものことを決してほめないという環境。まずは親を教育せねば・・・、長い時間を要するが、成果をあげるためには根っこから、そんなことを考えさせられた時間だった。

ほめられて伸びる人は多い。長所と短所は表裏一体。人間の性質なんてそうは簡単に変わらないのだから、短所は受け容れ(見ないようにするというのでは決してない)、長所を自覚して伸ばす、ひとりひとりがそんな考え方、生き方ができたら世の中もっと変わるだろう。
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お陰さまで昨日提案したコンテンツを採用いただくことになった。既存のワークを少しばかりアレンジしただけなのでそもそも大した労力はかかっていないのだが、それはそれで嬉しいものだ。

もう長いことブルックナーをきちんと聴いていない。きちんと聴いていないというのは、実演はもちろんのこと音盤ででも正座をして向き合っていないということ。ちなみに、10代の後半から30代前半までの10数年間は、僕のブルックナーの音楽に対する最も濃密な期間だった。録音はもちろんのこと、朝比奈先生の公演が東京である場合は、何がなんでも駆けつけた。それくらいブルックナーの音楽に恋していた、そんな時代だった。

第7交響曲に触れ、即座にブルックナーの世界に開眼した僕は、その後、第8、第4、第9、と順番に聴き込んでいった。今でこそ、第5交響曲は彼の交響曲の中で最高峰だと評価しているが、当時は最もとっつきにくく、何度聴いてもピンと来ない、そんな作品だった。そのゴツゴツした雰囲気がどうも自分の肌に合わないと勝手に決めつけていた、そんな若気の至りの頃。しかし、ちょうど同じ頃、第5交響曲を上梓して間もない時期にブルックナーが生み出した珍しい室内楽曲を聴いて、その流麗な響きに、当時最も愛して止まなかった第7交響曲に通じる「匂い」を感じ、日夜アナログ盤に耳を傾けていた。

フランクの交響曲

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午前、旧知のとある企業から、組織において「共通の意識やルールをもつこと」の重要性を学べるコンテンツ案が欲しいという依頼を受けた。要はチームビルディングに関わるポイントを簡単に短時間で気づけるプログラムはないかという問い合わせである。

あるにはある。が、短時間でとなるとこれがまた難しい。頭を捻り、2案ほど引っ張り出したが、果たしてどうだろう・・・。

夜、こちらもかつての教え子から進路の相談。業務のあまりの多忙さにプチ鬱状態なのだと。いろいろと聴いてみると、ひとつは「仕事を完璧にこなせない自分自身への否定感」が要因のひとつになっているよう。責任感をもって仕事に臨むことは大事だが、ひとつのもれなく完璧にできる人などいないわけだから、無理せず、たまには「まぁいっか」と思えるようになりなさいとアドバイス。それに、ここ1年近く彼氏いない状態のようなので、恋愛のスイッチを入れることの重要性もあわせて説いておいた(笑)。

仕事とプライベートのバランスをしっかりとること、そう「恋すること」こそが活力源だと僕は思うのです・・・。

ありのままに生きよう

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beethoven_16_bernstein.jpg迷っているとき、人は誰か(何か)に後押ししてもらえる瞬間を待っている。4年前仕事を辞めるとき、僕自身もたくさんの友人から「きっかけ」をもらった。そして、内なる声が「これでいいのです」と自分に語りかけてきたとき、ようやく決心がついた。後先考えず、その決断でいいのか迷いながらも恐る恐る足を踏み出した。

美しく明るい月。満月の夜に聴くベートーヴェンの音楽は格別だ。特に、深い内容を湛えた最晩年のカルテットの世界は、満ちても欠けても美しさを決して失わない神秘的な月を想起させる。最後の弦楽四重奏曲作品135は、そのフィナーレに意味深な言葉が掲げられている。「ようやくついた決心」という標題、そして「そうあらねばならないか?」、「そうあらねばならない」という言葉。後年の研究者を悩ませることになるこれらのフレーズは何を意味するのか?

当時、ベートーヴェンは、自分自身の命があとわずかで尽きるとは思ってもみなかったはずだ。一般的には、死を悟った作曲者の諦観の極地の世界が表出されているようなことがいわれるが、そんな話は後付に過ぎない。作曲家はまだまだ精力的に活動しようと思っていたのではないか・・・。つまり、それまで「あくまで自分自身を演じてきた」ベートーヴェンがようやくその年にして「ありのまま、自然体」を表現できる余裕が生まれてきたことを悟ったということだ。そう、"Es muss sein."は「ありのままに生きよう」という決心なのである。

チームワーク

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どうも「チームワーク」ということがここのところのテーマになりそうだ。
企業から受ける要望も「チームワーク」、個人から受ける相談も要は「チームワーク」。この世の中で活動している以上、人とのコミュニケーション抜きでは何事も前に進まない。それでも、今の世の風潮なのか、個人主義的で、横のつながり、縦のつながりをきちんともてない人が多いよう。そういうことは、子どもの頃から慣らされていないと難しい。子ども同士でも夫婦でも、時に思いっきり感情をぶつけ合って喧嘩した方が良い。

昨晩、京王線の新宿駅ホームの事故で亡くなった老人は、北海道の星槎大学学長で、作家・詩人の佐藤春夫の長男、佐藤方哉氏だと知り、驚いた。何とも不幸な死に方故、本人的にも納得ゆかない面もあるだろうが、そういうことも運命だから致し方なし。佐藤さんの母親の千代さんは、春夫が谷崎潤一郎から譲ってもらったという、例の「細君譲渡事件(1930年8月18日)」といわれる事件の当事者。しかも3人連名での挨拶状を発表したというのだから、何とも一般人の常識では考えられない不思議な関係だったことだろう。

旧知の教え子との再会

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気分良く、ほろ酔いの電車の中で今日は何を書こうかと思案することは、寝過して最寄り駅を通過してしまわないことに効果がある。少なくとも考えている瞬間、頭は起きているから。

酔っている分、頭の血の巡りが良いのだろう、いつになく詩的な文章が生まれる。実は、この文章は結構な量を飲んだあとに車中で書いているのだが、果たして「詩的」かどうか・・・(笑)。そのあたりはいい加減なものだから突っ込みなしということで・・・。

それでも素面の時よりは沸々と文章が湧いて出てくるところをみると、大袈裟な言い方だが、「感性」のおもむくままに書いているのだということが理解できる。

旧知と教え子と
10年近くぶりに
再会し、
酒を酌み交わすと
タイム・スリップしたかのように
あの頃のことが
不思議にリアルに思い出される。

音、妄想、空想・・・

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エルーデ*サロンをさらに使いやすくするためにテレビ等のAV機器を撤去した。
そもそも日々の生活の中でテレビを観る習慣がないのでさして問題はないのだが、これまで食事の時はニュースを観たりしていた関係で、さてどうしたものかと思案した。
そうか、じっくり音楽でも聴く機会にすればいいんだと当たり前のことを思いつき、BGM的にエルガーの交響曲第1番を流してみた。いやはやこれがまったくBGMにならない。こういう音楽はやっぱり正座をして真摯に向かい合い、そこそこの音量で聴くべきものなのだろう。エルガーが意図したわけではないにせよ、彼の音楽は王室の行事などの実用音楽として重用されていたわけだから、高尚な、我々庶民には及びもつかない高貴な波動が刷り込まれているのかもしれない(笑)。

かつて、テレビ草成期の頃、大宅壮一氏が唱えた「一億総白痴化」という言葉。そう、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう(ウィキペディア)」という意味合いの言葉であるが、「白痴」という表現は言い過ぎにせよ、確かに人間の想像力は昔より随分落ちてしまったのではないか。先日、パーティーの幹事連中との懇親会でも、そこにたまたまTBSラジオのプロデューサーが居たものだから、話がラジオのことに及び、人間の想像力を掻き立てる面白い番組を今こそラジオが制作すべきだと議論になった。ラジオでしかできない興味深い番組。音だけで表現し、聴く者の想像力を彼方まで飛翔させるプログラム、そんなものがあれば必ず聴くのになぁ。いや、しかし「白痴化」した大衆は音だけの番組なんて受け付けないのかなぁ。聴衆の支持がなければ番組も成り立たないわけだからそれも難しかろう。まぁ、そういうリスクを背負ってでも人間の可能性、想像力を取り戻し、より飛躍させようという奇特なスポンサーでも見つかれば叶うことなのだろうけど・・・。

探しモノ

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エルガーについていろいろと調べていくうちに、ピエール・モントゥーが確かロンドン響と録音した「エニグマ変奏曲」(カップリングはシベリウスの第2交響曲)があったなと、数日前から棚を漁っているのだけれど、どこにもない。見落としているのか、それとも誰かに貸したまま、忘れてしまっているのか・・・。大事な音盤を貸してそのままにしておくというのは僕の性格上考えにくいので、おそらく前者なのだろうが、それにしても隈なく探しても見つからない。この音盤を所有していたつもりで、実は持っていなかったのかもしれないと曖昧な記憶をたどりながら悶々とする。探しモノが見つからないというのは一大事で、一旦そうなったら気になって仕方がない。

ところで、エルガーは9歳のとき、初めてオーケストラの演奏を聴き、非常な感銘を受けた。27歳の時にはオケのメンバーとして作曲者の指揮によりドヴォルザークの交響曲第6番とスターバト・マーテルを演奏した。その経験が後の作曲活動に影響を与えたようだが、そういえばチェロ協奏曲やヴァイオリン協奏曲を聴いているとドヴォルザークの影がチラホラと見える。

2010年9月

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