オペラの最近のブログ記事

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先日、第39回目の「早わかりクラシック音楽講座」ではロック音楽を採り上げた。久しぶりにいろいろとロックのことを復習してみて、ポピュラー・ミュージックは極めて短期間に進化、発展しているんだということを再確認した。天才が何か新しいことを始めることにより、もう一人の天才が影響を受け、さらなる進化を遂げる。

産業としてのロック音楽が確立するきっかけになったのは1969年のウッドストック・フェスティバルである。当時僕は5歳。もちろんそんなことは知る余地もなかったが、後に映画化されたこの「ロックの祭典」を観て、衝撃を受けた。20歳の頃、人影まばらな早稲田松竹においてである。ザ・フーが演奏終了後に機材をぶっ壊すシーン、そしてジミ・ヘンドリクスが「アメリカ国家」演奏後にギターを燃やすシーン(この時以来この映画は見ていないので記憶違いのところもあるかもしれぬが)が特に目に焼き付いた。
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世の中の夫婦の形には、「亭主関白」もあれば「かかぁ天下」というものもある。昔、さだまさしが「関白宣言」という歌を作り、これがまた映画になるほど流行ったことで随分物議を醸した。僕などは子ども心に楽しい歌だなとしか感じなかったし、世間の皆様もそれほど深刻に捉えていなかったのかもしれないが、確かに男尊女卑といえばそのようなニュアンスが漂う歌詞であることは間違いない。後に、さだ自身が「関白失脚」というアンサー・ソングを作り、これがどれくらい流行したのかは知らないが、結婚時「亭主関白」だった夫が熟年を迎える頃には威厳を失墜し、ついには家族の誰からも相手にされなくなるという夫婦のよくあるパターンを見事に風刺しており、僕自身はいずれも非常に気に入っている。

男は基本的に弱い生き物だと思う。それに比べてやっぱり女性は強い。男性も女性も人間は誰しも、そもそも母親の胎内から生まれ出てきているのだからそんなことは当たり前といえば当たり前なんだろうけど。
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ここのところ独墺系のいわゆる正統派(?)クラシック音楽から遠ざかっている。今月の「早わかりクラシック音楽講座」のテーマはまたしてもベートーヴェンなので、この天才作曲家の周辺をいろいろと聴き込んでみるべきなのだが、個人的にはさんざん聴き過ぎるくらいに聴いてきた「エロイカ」交響曲を、講座当日に新鮮な耳で捉えるためには、あえて聴かない方が良いのじゃないかという考えからそうしている。

とはいえ、面白いのはコダーイを聴こうが、ヴィラ=ロボスを聴こうが、あるいはストラヴィンスキー、はたまたエルヴィス・コステロビル・エヴァンスを聴いても、(ジャンルを問わず)ベートーヴェン以降の音楽家は、とどのつまりはこの楽聖の「革新」と「深い精神性」を(意識的であろうと無意識的であろうと)模範にしつつ、創作活動を行っていた(行っている)のだろうと思え、月並みな言い方だがベートーヴェンの(ある種突然変異的な)偉大さをあらためて知り、こと音楽に関しては、過去も未来も全部が彼を中心に派生し、回っているのではないか、すなわちつながってるのではないかと思わせられる。

強みと弱点

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「ワークショップZERO」の「強み」って何なんだろう?
ここのところそのことについて考えている。
人間って自分のことになると途端に疎くなる。よくわからなくなるのである。セミナーについても、主観的な、あくまで主観的な「強み」は言えるのだが、それが客観性をもつかどうかという話になると自信がない。よく企業研修などでは終了直後に参加者にアンケートを書いていただく場合が多いが、残念ながらそういうことにこれまで頭が回らず、僕の手元には受講生のホットな感想が残っていない。せいぜい何ヶ月後かに一部の方に「想い」を書いていただいて、ホームページに掲載している程度である。

ユーザーからの評価―それは「強み」も「弱点」も含めてだが―を知ることは大切なことだ。昨日に引き続き別件で会った卒業生に聴いてみた。
曰く、「日々起こる人間関係の問題についてなぜそうなるのかが理解できるようになった」「人間関係の問題の原因がより深いポイントまでわかるようになった」「単なるスキルではないこと」「誰もが悩みを持って苦しんでいるということがわかった」「家族の絆が深まった」「自分の弱みを知り、自分の過去を洗ったことで、能力が開花した」など。
そして、「具体的に行動を起こしていくためのプログラムを開発するとなお良い」というアドバイスまでいただけた。

双子の研究

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「受け入れる」ってどういうことだろう?
いろいろな考え方があろうが、さしずめ、自分の概念にないことを理解し、認めるということだろうか。
何でもござれというスタンスで鷹揚に構えていれば、人との関係でストレスなど生じることは少なくなるはず。なのに、「こうあらねばいけない」とか「自分は◎◎◎なのに」と愚痴が始まると途端に物事が行き詰ってしまう。それどころか、原因が些細なことであったとしても積もり積もって大きな問題に発展してしまうことも多い。
人はそれぞれ「個性」というものを持っており、生まれ育った環境も経験も皆違うのだから、100%わかり合うなどそもそも不可能だということを知った方が良い。

先月のセミナーでは一卵性の双子が参加した。ある実習で、子どものころに感じていた感覚を思い出したということだ。それは、二人の間に「壁」が存在しないということ、つまり、赤の他人なら一体になるということはそうそう簡単ではないのだが、向かい合って目線を合わせていると、水のように同一化してしまう感覚に襲われるのだという。もっというなら、特に子どもの頃は、片方が怒りの感情を覚えると、遠く離れていても同じ感覚を味わったり、一方が危ない目に遭うとテレパシーのようにそれを直感的に感じることができたというのである。大人になるにつれそういうことは減ったそうだが、セミナー中にそういう感覚を思い出し、取り戻したということは、手前味噌ながら「ワークショップZERO」には、人をありのままに戻し、潜在的に持っている「脳力」を回復させる力がありそうだと実感した。
双子の研究というのはおもしろそうである。

当たり前の幸せ

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ポジティブ心理学では「当たり前の幸せ」について考えるワークがあるが、例えば普通に3食食べることができて生活できているということ自体とても幸せなことで、もっというなら今の時代に日本という国に生を得たことそのものが最大の幸福だということを見逃してはいけないとつくづく思う。もちろんミクロでは不満や愚痴はそれぞれあろう。それでも地球の歴史を24時間で換算した場合、午後11時59分30秒くらいに農業が始まり、午後11時59分59秒頃にようやくエジプト文明が栄えるというわけだから、人の人生などというのは実にとるに足らないもの、そう100分の2秒くらいというわずかなものに過ぎないということを知ったほうがよい。そんな風に思うと過去にとらわれてくよくよするのも愚の骨頂だし、未来について不安を抱きネガティブになるのもおかしなことだと心底思えるから。

地下鉄を降り、いつものエレベーターで地上に出る直前、自分がいかに幸せなのか、頭に過った。誕生日のブログのコメントには父をはじめ何人かの方からコメントをいただいた。さらに、携帯電話には何人もの方から「おめでとう」メールが入った(一日遅れの今日ですらありがたいことに何人もからメールをいただける)。たくさんの方々から支えられてきたという事実、そして今も支えていただいているという事実があって今ここに自分が存在していることを何だかあらためて実感した。

早起きは三文の得

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現在第145巻まで刊行されているユーラシア・ブックレットは、「ブックレット発刊によせて」というあとがきによると「ロシア・ユーラシア諸国に関する多面的な情報を提供するだけではなく、日本ではあまり知られていないこの地域の広くて深い世界を楽しんでいただくこと」をも目的としているそうで、手軽に読め(1冊につき60ページほどの小冊子)、しかも内容が相当に充実しているという点でかっこうのシリーズだと思う。
第115巻「ムソルグスキー~『展覧会の絵』の真実」(一柳富美子著)にざっと目を通したが、これまであまり知られることのなかった作曲家の私生活や名曲「展覧会の絵」のまさに「真実」が語られており、滅法面白い。中で、第3章は「ロシア・オペラの最高峰『ボリス・ゴドゥノフ』」と題され、この途轍もなく巨大な名作について、その成立や初演の経緯、あるいはムソルグスキーがここで何を語りたかったのかなどわずか10ページほどで簡潔にまとめられている。

あわせて3つの稿をもつ「ボリス」であるが、1869年に生み出された初稿はマリインスキー劇場から、女性が登場しないこと、物語が特異で陰惨であること、さらには音楽があまりにも新し過ぎることなどを理由に上演許可がおりなかった。それを受け、作曲家は即座に改訂・補足を加え第2稿を発表、1874年1月27日にようやくこれが件の劇場にて上演されることになるのだが、そもそもなぜムソルグスキーは許可も下りないような型破りのオペラを書いたのか、その理由が一柳富美子氏によって次のように解説されている。
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もう30年になるが、日本フルトヴェングラー協会に一時期入会していた。インターネットなどない、情報を集めるのに一苦労だったその時代においては、そういうコアな活動団体や「レコード芸術」などの月刊誌は貴重な情報源であり、毎々送られてくる月報を楽しみに待っていたものだ。協会から頒布されるアナログ・レコードをなけなしのお小遣いで買って繰り返し聴いた。以前採り上げた1949年6月10日のヴィースバーデンでの実況録音盤もその頃に購入したものである。当日のプログラムはプフィッツナーの歌劇「パレストリーナ」から3つの前奏曲とモーツァルトの第40番交響曲、そしてブラームスの第4交響曲という魅力的なものであった。フルトヴェングラーの第40番はEMIのスタジオ録音、例の快速テンポの演奏が有名だが、当時はフルトヴェングラーならもっとデモーニッシュで心の奥底に響くような音楽を創れるだろうにと失望した(現在の僕の評価はちょっと違う。これはこれで素晴らしい解釈だと思えるようになった)。ブラームスの第4は、これも48年のライヴ録音がことのほか有名で、テンポが伸び縮みする独特の解釈にその当時はどっぷりはまり込み、特にフィナーレのパッサカリアのコーダに向かって突進してゆく推進力に度肝を抜かれ、興奮したものだった。
それが別の日のコンサートの演目で(しかも協会の割合に音質の良いレコードで)いっぺんに聴けるのだから、頒布の報せをみて見逃さない手はなかった。もちろん手に入れるなり繰り返し聴いた。モーツァルトもブラームスも良かった。心底感動した。

さまよえるオランダ人

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所用で巣鴨に出掛けた帰りの車中で20年前のことを思い出した。当時、僕はイベント業に携わっていたのだが、札幌で開催されるあるイベントで担当者が都合悪くなり、急遽単身でそのパーティーの現場責任者として借り出された。ともかく前日からの徹夜での仕込みに立会い、当日のパーティーを無事見届けるようにという命令だった。社会人歴の浅いひよっこだった僕は、ほとんど初めてだった「現場」の熱気や聞き慣れない専門用語に右往左往しつつも前日の準備を乗り切り、何とか無事に終えることができるだろうと半ば安心していた。しかしながら、高を括ったのも束の間、実際のところは本番でのバンドの出のキュー出しをミスり、結果クライアントから大目玉を食らうという大失態を演じてしまった。以降のそのクライアントとの仕事にも支障を来したようだから、随分反省した。

何が問題だったのかというと、単純な確認ミスである。初めての現場で、しかも初対面の方々との仕事なのだから、面会するなりいろいろとコミュニケーションをとっておけば良かっただけの話なのだが、どういうわけかそのあたりを怠ってしまった。今となったら考えられないような凡ミスだが、25歳の僕はまだまだ未熟だった。でも、そういう経験からいろいろなことを学び、人って成り立ってゆくものだから特に若いうちはどんどん失敗すれば良いのだけど・・・。

失敗は成功のもと

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本日の授業では、エントリーシートの書き方について一通り講義をした後、実際に「攻略テスト」なるものに挑戦してもらった。このテストは添削が入れられ1ヶ月後に学生本人の自宅に返送される。いわゆる本番ではないのだから、とにかく与えられた時間内にスペースを埋めることに重点を置き、ペンを進めればいいのに、大半の学生が下書きに時間をとられたり、考えすぎていて、一通り完成できた学生は2、3割だったんじゃないだろうか。

どうやら失敗を怖れる癖がついてしまっているようだ。若いのだから、まずはぶつかってみて、どうなるのかを体感してみればいいのに、じっとして動かない。テストとなると良い点を取らなきゃという思考がついつい働いてしまうのかな・・・。

「失敗は成功のもと」というとおり、「失敗」するから人は成長するのである。そして二度と同じ失敗を繰り返さないように努力すれば良いだけだ。

2010年9月

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