交響曲の最近のブログ記事

瑞浪にて

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haydn_symphony_harnoncourt.jpg現在、岐阜県瑞浪市に滞在中。
瑞浪へは新幹線より高速バスが都合良い。新宿から直通ということもあり、かつ速く、しかも値段が格安。それに中央高速道は何と言っても道中の景色が素晴らしい。まぁ、夕方に東京を出てるので、長野県を通過する頃には既に日没近いゆえ「景色」云々はあまり関係ないのだが。

今日は久しぶりにとても暖かかった。午前中から専ら事務作業に時間を割いたが、洗濯やら何やら「家事」を思いっきりしたくなる(笑)。

ところで、僕は研修業、講師業のほか転職サポートを仕事の柱にしているが、一昨年のリーマン・ショック以降の世界同時不況の影響で、思うように成果が挙がらない。否、成果が挙がらないというのは語弊があるか・・・。やはり、企業側の求人が激減していること、そして優秀な人間に限って動かないことなどが理由で業界が冷え込んでいるような印象を受けるのだ。

ただし、ひとりひとりの志願者を具に見てみると、それぞれが「良いところ」をもっており、マッチングによっては最高のパフォーマンスをあげられるのではないかとも思えるのだ。

呼吸

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呼吸が一致することって大事だ。
感性や考え方、あるいは習慣の違いなどは、いくらでも修正はきく。しかしながら、本来的な「呼吸」についてはどうしようもない。ペースの差を補うことは難しい。

もう30年になる。僕がブルックナーの音楽に初めて触れたのは朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会における交響曲第7番だった。悠揚迫らぬ広大な音楽世界と水墨画のようでありながら妙なる色彩感をもつこの音楽の虜にすぐ様なった。当然ブルックナーについてもより一層知りたくなる。当時、巷で手にできる音楽書は今ほど膨大ではなく、特にブルックナーに関してはわずかな資料しかなかったのではないだろうか。その中に青土社から出ていた「音楽の手帖シリーズ」があった。この本は、僕がブルックナーの世界を知り、初めて手に取った参考書の一つであった。貪るように読んだ。

そこでは、宇野功芳先生が、『ブルックナー演奏のディスコロジー』と題するコラムを書かれており、評されるレコードを空想しながら、ひとつひとつ買い集め、繰り返し聴いた。

生きる力

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「人間力」とは、「生きる力」と置き換えてもいいかもしれない。

これだけ「情報過多」の時代において、誰しも溢れる情報に左右され、何でも知っているかのような錯覚に陥る。しかし、それは所詮はフィルターを通したデータに過ぎない。その情報をもとに、具体的に行動し、体感することが重要になる。それが成功体験であれ、失敗体験であれ、自分で経験してみて、血となり肉となるのである。「知識」とは「情報」と「体感」がバランスよく融合したものなり。

そして、得たその「知識」を分かち合うこと、すなわち人と触れ合い、コミュニケーションし、そこから「感動」や「共感」が生まれることで、「生きる力」がより一層増幅される。

「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように、人は人でしか磨けない」という。人は互いに支え合い、刺激し合い、生きている。お互いに生かし合っているのである。そういう意味では「生きる力」は自家発電できるものではなく、人の存在を介してのものである。やっぱり「関係性」が極めて大きなポイントなのである。

チェリのチャイコ

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明日からほぼ1週間毎日某大学での午前中の講義に出講する。片道2時間の道程ゆえいつもより早い時間に起床し、準備をしなければならない。「早起きは三文の得」というし、実際夜明け前の空気は爽快な冷たさで、それが妙に気持ちよいので、楽しみにはしているのだが。
昨年の12月に集団討議やエントリーシートの講義を受け持った生徒たちに、今この時期に準備しなければならないポイントを体感的に教えてゆくのである。模擬面接やディスカッション。大人数での実施だから、ひとりひとりを個別に細かくフォローすることは物理的に難しいが、できるだけ「お役に立てるよう」ベストを尽くそうと考えている。それにしても今年就職活動をする学生諸君は大変である。頑張ってもらいたい。

わずかな時間とはいえ、学生と対峙することがとても面白い。若者を相手に語るとき、自分の中にある「熱いもの」が大いに高ぶる。これこそまさに天職なりと思えるのだが、いかんせん報酬が低い(苦笑)。ほとんど名誉職のようなものだと捉えているから、依頼をいただければ二つ返事で引き受ける。自分自身も十分楽しませていただいているからいいのだけど。

男子厨房に入らず

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男と女は別の生物だというが、男と女に限らず十人十色、ペースもやり方も、もちろん感じ方も千差万別。ひとつのものさしでは決して測れない奥深さを持つ。それがまた人間なのだから面白い。各々は不完全な存在だが、協力して調和することで完全になる。まさにひとつになることだ。山川紘矢氏の講演を聴きながら、そんなことを考えさせられた。

「男子厨房に入らず」という言葉がある。昔、竈には竈の神様がいて、それを祭るのは女性の仕事だとされており、むやみに男性が入ると神様の機嫌を損ねて、とんでもない災いを引き起こすと怖れられていたことがその言葉の意味らしい。
現代の人間関係を軸に考えてみた。冒頭に書いたように、男と女の感覚の違いを暗にほのめかしているようにもとれる。彼女が思ったような手順で料理を手際よく作らないと妻はいらいらするらしい。でも、ペースもやり方も違うし、そんなものに正解など存在しないと夫は言い張る。どんなことでも責任の所在をはっきりし、何が起こってもその責任者が責任をとることが大事ということか。大袈裟にいえばそんなようなことを伝えている言葉のようにも聞こえる。いかに人間関係をスムーズにするか、それは誰にとっても大切な要件なのである。
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先日の結婚式のとき。久しぶりに出会う人たちが口を揃えて「痩せた?!」という。ここのところ体重計に乗っていなかったから自覚はまったくなかったが、そういわれたらそうなのかもしれないと思い、帰宅後久しぶりに体重を量った。結果、ほとんど変わらず。おそらく細見のスーツを着けていたから必要以上に痩せて見えたのだろうが、あまり貧弱に見えるのもどうかなと思い、少しくらい太ってもいいのかなと思うようになった。

自宅では基本的に「菜食」生活である。「菜食」というと知らない人は野菜サラダしか食べていないように勘違いされる方も多いのだが、さにあらず。最近では大豆を加工した肉もどきでもとても美味しいものがあるし、いろいろと美味しい菜食レシピなども開発されているから、いわゆる肉食の人でも十分に満足のできる食事が実は堪能できる。かれこれ6,7年そういう生活をしているから痩せた原因が「菜食」にあるとは思われない。

じゃあ、心的ストレスなのか?いやいや、痩せ細るほど人間関係にトラブルを抱えているわけでもないし、心配事が山積みのわけでもない。
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上野の森美術館で開催されている「聖地チベット~ポタラ宮と天空の至宝」展に行く。最終日でしかも3連休の最後の日ということもあるだろうが、とにかく人、人、人。混んでいるせいもあるが、序章「吐蕃王国のチベット統一」から第4章「チベットの暮らし」まで展示された美術品をひとつひとつ丁寧にながめていくだけで正味2時間近くかかった。チベット仏教、密教なるものを研究していくと相当に面白そうだ。

チベットのラマ僧の儀式だといわれる「チベット体操」を毎朝欠かさず励行してかれこれ6年が経過するが、チベットについてはほとんど知識がない。妻も同じくチベット体操を欠かさずやっているが、どうやら僕以上にチベットに興味を持っているようだ(おそらく前世か過去世かどこかのタイミングで一緒に修行をしていたのだろうが)。今年はチベット自治区まで何とか旅をしてみたいという。チベットを旅したことのある友人はこぞって絶対に行ったほうが良いと薦めるくらいだから余程良いところなのだろう。何とか時間を作って足を踏み入れてみたいものだ。

第2章「チベット密教の清華」のあたりで、突如ブルックナーが鳴り響いた。なぜかはわからない。第8交響曲フィナーレのコーダ。そして、アダージョ楽章のコーダ。いずれも野人ブルックナーが書いた傑作の結尾である。もちろんブルックナーがチベットと関係あるはずはない。それでもあの高貴な音楽が無意識に相応しいと思ったのかどうか。
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ワークライフバランスという言葉が囁かれるようになって久しいが、転職相談に来る若者にじっくり聴いてみると、休日とは名ばかりで、血を吐くほど会社でこき使われ、心身ともに疲弊して「仕事をとにかく辞めたい」と思うようになったという話がとても多くなっている。中には殴る、蹴るというパワハラが日常茶飯事だったという輩もいる。
新卒で入社して3年にも満たない若者が何を弱気なことを言っているんだと最初は半ば喝を入れるように激励していたが、どうやら「(信じられない)耐えられない仕事環境」というのは本当に存在するようだ。

昨今の転職市場は非常に厳しい。仕事がないわけではない。選ばなければ何でもある。とはいえ、前職でひどい目に遭っている人たちは、とにかく就業環境について特に過敏になる。せめてまともに休日が欲しい、サービス残業ばかりでなくきちんと残業代が欲しい。至極当たり前の要望である。そういう意見がまかり通らないということなのか、ただただ耐えて無心に働くのみ。成果を挙げようが、周りの雰囲気が休みを取ることを許さない。ある会社は「休むことは死ぬことと同義だ」として所定の休日すら出勤を暗黙の了解で強要されるという。何かがおかしい・・・。

自然回帰

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「すき家(24H)」「オリジン弁当(24H)」「マクドナルド(24H)」「ワークショップZERO」終了。少人数ながら、いつも最後は一体感を感じる。言葉に頼らず、接触に頼らず、目と目で通じ合うということがまさに体感できる、そういう瞬間こそが「生きている」と感じれる時。不夜城新宿界隈を歩いていると、果たして人間にとって24時間眠らぬ街が良いのかどうか疑問に思えてくる。人は「体内時計」なるものを持っている。夜明けとともに目覚め、夜更けとともに眠りに就く。少なくとも文明が開かれる前、原初的な生活を強いられていた人々は地球や自然と一体の生活を送っていた。

一晩中ネオンの灯り。煌々と照らされる人工的な色。自然と離れ、エゴイスティックに行動を起こすようになると、生活そのものに乱れが生じてくる。今の世の中、どこもかしこも「戦っている」。自分との「闘い」ではなく、他者と「争って」いるのである。互いに傷つけあい、最後は各々自滅してゆくという生き方。そろそろ気づいて、そういう考え方を捨て去らねば・・・。

孤高の職人

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プライドをかなぐり捨てなさいという言葉。悩まず助けを求めなさいというメッセージ。セミナーの中ではことある毎に参加者にお話してきたことだが、実はこれらは今の自分にこそ最も相応しい。自分軸はぶらさず、とはいえ手段を選ばず。
長く生きてくる間に雪だるまのようにこびりついた習慣化した「癖」を取っ払うのにはかなりのエネルギーを要する。行動パターンを変えることには不安がつきものだ。それを超えるには「勇気」しかない。まさに「限られた知識と不十分な証拠に基づいて行動を起こす勇気」である。

「ワークショップZERO」第1日目を終え、アシストしてくれているKさんと「フリーモント・カレー&デリ」で雑談を交えて1時間半ほど。実は彼女のお父さんとは面識がある。10月に拙宅で開催されたバースデー・パーティにフィリピンから一時帰国していたお父さんも参加されたから。そのお父さんはもう何年も前、家計が火の車であったとき、やりたくもない仕事をただ単に「稼ぐ手段」として、妙なプライドを捨ててやり切ったのだと。そのお陰で新たな縁ができ、次の仕事にも繋がったということだから世の中に無駄なことはひとつもないということ。

2010年3月

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