交響曲の最近のブログ記事

着想力

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僕はおそらく「着想」が低い。斬新なアイデアを出し、新しいこと、モノを多角的な視点から創造する能力に欠けている。「着想」とは、過去と未来をつなぐ架け橋のようなもので、「着想力」が高い人は、すなわち過去と未来を自由に行き来できる能力を持つ人なのだと僕は思う。

「今」は点であり、その「点」の連なりが歴史である。過去と未来はつながっている。温故知新。要は、ベクトル―向かうべき方向性だけ明確に決め、あとは流れに任せるというのが実は一番手っ取り早く正しい方法なのではないだろうか・・・。

先日、「早わかりクラシック音楽講座」で採り上げたホルストなどは、過去にも未来にも同等に目を向けられた作曲家だった。いや、ホルストに限らず、古今東西、現代に名を残している音楽家はジャンルを問わず皆そういう視点、力―すなわち「着想力」をもった人たちだったのだろう。歴史から学ぶことは多い。
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神奈川のとある大学に出講。3年生と修士1年生を対象に、履歴書やエントリーシートの書き方について講義した。夏休みのインターンシップや就職活動本番に向けて、既に3年生が動き出しているということだが、どう見ても学生たちの意志というより、大学のキャリアセンター(いわゆる就職課)がお尻を叩いているようで、職員や先生の方がどちらかというと必死になっておられる。少子化による入学者の激減という状況もさることながら、昨今の不況による影響で大卒求人倍率が1.28倍、09年度の就職内定率が8割という中、いかに卒業生の就職内定率を上げ、アピールするか皆さん頭を痛めておられるということだ。(一部の有名大学を除いて)大学が生き残っていいくに大変な時代である。

講義を進めるにあたり、一方通行の授業ではどうにもならないゆえ、必ずワークを入れる。例題を出題し、学生にチェックさせ、それを何人かに発表してもらったが、意外にポイントはしっかり突いており、理解はしているんだということがわかる。事前のインフォメーションではレベルが低いと聞かされていたが、思ったほどではない。あとは学生一人一人が学んだことを肝に銘じて自己鍛錬するかどうかが鍵だが、おそらくそういうことが今の学生にできないことなのだろう。帰りがけ、キャリアセンターの担当職員が「ゆとり世代」云々と嘆かれていたが、「ゆとり教育」というものはやっぱり何がしかの問題を含んでいたのだろうか(僕は「ゆとり世代」の教育というものが実際のところどういうものか、一般的に語られている事実くらいしか知らない。この世代の子どもを持った親御さんに彼らが受けた教育についてどうだったかいろいろと聞いてみたい)。
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今年の気候の特徴は、暑くなったり寒くなったり日替わりで異常なくらい変動することだろう。「異常」な事態である。人間でも不安定な時は感情の起伏がそれなりにあり、誰でも日々の生活の中で気持ちが上がったり下がったりする。それが精神に異常を来したなら、突然激昂したり、あるいは突如として落ち込んだり、普通では考えられないほどの頻度で感情の爆発と沈潜を繰り返す。いわばそんな状態か・・・。
例えば、幼少期にストローク(受け入れ)が足りなかった時、人間は「不満状態」になり、それが因となり他者を求め過ぎるという「依存状態」に陥る。表面的には威勢よく明るく振舞っていても、常に何かが足りないという「飢餓感」が自身を支配する。

クリシュナムルティは、人間にとってまず大切なことは「自分自身を認識する」ことだと常々語るが、その中で「孤独」ということについては次のように語る。

形と実質

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今までの仕事のスタンスの刷り込みのせいか、僕は「形」よりも「実質」を重視する傾向にある。とにかく経験を積むことが最重要課題で、見た目や技術的な側面は意外に軽視してきた。そんなお陰で自身をブランディングすることやプロデュースすることは極めて苦手で、我ながら「凄い力」を持っている(と思っている)にも関わらず、ほとんど表舞台に出ることなく縁の下の力持ち的に淡々と仕事をこなしてきた(それが悪いということではないが)。良い意味では「謙虚」というのだろうが、ここのところ「ポジティブ心理学」を学ぶにつれ、そしていわゆるテクニックを教授していただくに及び、プロとしてスキルもきちんと学習しておくことの大切さを今更ながらに実感している。

どんなことでも自分が一番大切で、経験する前から批判的な目で物事を見て、自分の中に取り込めない人がいるが、そういう人はいつまで経っても成長しない、とても損をする性格なんだということがよくわかる。その道のプロフェッショナル、そして第一線の現場で活躍している人の言葉はどれも重みがあり、聞いておく価値、教えていただく価値は十分にある。あとはその言葉が軽くならないように、たとえ後付けであろうと体感することが重要なのだろう。

あばたもえくぼ

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人間というもの、どんな関係においても「お互いに補完し合っている」という共通意識が大事だ。それは、自分の強みと弱みを知ること、そして相手の強みと弱みを把握、理解するところから始まる。

本来ひとりひとりはつながっているが、生まれ育った環境も経験も皆違うゆえ「習慣」や「概念」がぶつかり合うことが多々ある。特に夫婦関係においては一つ屋根の下で赤の他人が共に暮らすのだということを肝に銘じて、ない部分を補完し、助け合うという考え方がとても重要になる。

最近は、日本でも離婚が多いと聞く。それぞれは特段問題なく「良い人」なのだが、マッチングが悪いお陰で物事が立ち行かなくなる。話をじっくり聴いてみると、だいたいが相手のせいにする。責任のなすりつけ合いというか、決して自分の非を認めないケースが多い。そこがコミュニケーションの難しさといえば難しさなのだろうが、できるだけの努力はし、結果的にどうしても無理ならなるべく早めに離れて、本当に受け入れ合える相手を見つけた方が互いにとってベストだろうとつくづく僕は思う。

解放

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平成22年4月4日。何だか特別な日のようにも感じる。新年度がスタートして、それぞれに相応の変化が起こっているようだし、その変化も確実な進化・深化ゆえ、未来が楽しみである。

「ワークショップZERO」はある意味、過去の拘り、執着を捨て、新しい自分と出逢うという機能を有しているように思う。人が自分らしくなり、ありのままの自分を肯定する、そういう瞬間を体感できる。ただし、そういう瞬間を享受したからといってすぐ様何かが変わるわけではないが、知り、認め、受け容れてしまった時には、必ず変化と成長が訪れるのである。まさに、"Hello Goodbye"、出逢いがあれば別れもある、別れがあるからまた新しい出逢いがあるのだということを身に染みて感じた方が良い、そんなことを考えさせられた一日だった。

1802年、ベートーヴェンは刻一刻と悪化する耳病への恐怖、そして音楽家の絶望から弟たちに「ハイリゲンシュタットの遺書」を綴る。

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今日から試験的に「エルーデ・サロン」が始動するのにあわせ、要らない物は破棄、移動し、ほぼ形は整った。身軽になるとこうも気持ちがいいものかとあらためて確認した。それに、日中の陽気と強風もいよいよ春めいてきた感を強めてくれた。考えてみるともう4月である。2010年も早くも4分の1が過ぎたことになる。

「人を認めること」、「どんなに偉くなっても謙虚でいること」、本当に成功している人はほとんどがそういう態度をもっているという。それも自然体で。

昨日も「『人間力』日記」の方に書いたが、ほめられて嫌な気になる人はいまい。貶したり、否定したりするのではなく、たとえ些細なことでもよかったことをよかったと言ってあげるだけで人の可能性って格段に拡がるのだから素晴らしい。ほめられて伸びるというのは誰にも当てはまることだろう。
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転職支援業を始めてかれこれ2年になる。リーマン・ショック以降、転職志願者は増えるものの求人案件は減り、次の仕事先が決まらないままいわゆる「浪人生活」を送っている若者が多く目に入るようになった。厳密には求人案件そのものが減っているわけではない。要は、即戦力になる優秀な人材であるなら企業はすぐにでも採用したいのである。しかしながら、優秀な人間は会社を辞めることはなく、またリストラに遭うこともないゆえ、案件が減ったようにみえるだけなのだ。

今年に入り、少しずつ状況が変わりつつあるように思える。景気の回復はまだまだのようにいわれるが、人材エージェント業に関していうなら「底」はついたように感じる。

それにしても人の行動パターンというものは根本的に変わることはない。転職活動において、学生時代の就職活動と同じような失敗を繰り返す輩が何と多いことか。そういう人は、いろいろと聴いてみると、なぜ失敗したのか、何がよくなかったのかという質問に即答できない場合が多い。反省していないのである。それに自分自身を深掘りして知ろうという努力が足りない。問題解決の端緒はまず「よく知る」ことなのに、そのあたりを甘く考えているのか、あるいは現実を見たくないと無意識に思うのかともかく「軽い」のである。

過去への囚われ

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だいぶ前に「早わかりクラシック音楽講座」のコラムでも書いたが、ベートーヴェンは「引越し魔」でウィーン時代だけでも80回以上の移動を重ねたという。それには物理的側面、精神的な面、いろんな理由があるだろうが、彼のそういう「癖」が、常に斬新で革新的な音楽を生み続けた原動力になっていたのではないのかとふと思った。

4月から支援型レンタル・サロン「エルーデ・サロン」がオープンするが、その関係で住居を別にする。昨日と今日、日を徹して作業をしたが、家全部の引越しじゃないので大したことはないだろうと高をくくっていた。一昨日の記事のコメントにも少し書いたが、書籍の量が半端でなく、自分でも少々途方に暮れた。しかも、押入れの奥には必要のない書類の山、あるいは着ない洋服が山のようにあり、妻から呆れられるどころか怒られた(それこど使わない物を溜め込むことほど悪いことはない)。本は僕にとっての重要な仕事の材料(趣味でもあるが)だから仕方ないにしても、ガラクタの類までごっそりとっておいたとは自分でも吃驚した。よくよく考えると相当「過去」に囚われていた。いつか必要になるかもしれないという一種の不安感(?)からとっておいたが、「固執を捨ててしまうのが肝心」ということで書籍以外の全てはほぼ処分した。
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第36回「早わかりクラシック音楽講座」終了。例によって講座の詳細は追ってサイトにアップする予定だが、さすがにベートーヴェンの第7交響曲は人気曲だけあり、2種(不滅のクレンペラー盤と先年発売され相当話題になったカルロス・クライバーのライヴ録音)の音盤を聴き比べたが、いずれも甲乙つけ難い演奏で、ご参加いただいた皆様にも3時間をたっぷりとご堪能いただけたようだ。皆さんの好みは、6:4でクライバー盤に軍配が挙がったが、指揮者の演奏スタイルなどは各人の趣味の問題ゆえ、気分と状況に合わせていろいろと聴き、それこそ音楽を自分のものにするとよりクラシック音楽の世界が広がってゆくと思うので、これを機にクラシック音楽に興味を持つ人たちが増えてゆけばよいなとあらためて思った。
それにしても大音量で、そしてみんなでホールに居座るように聴くCD鑑賞というのは乙なものである。クライバー登場時の聴衆の堰を切ったように流れ出す圧倒的な拍手喝采と演奏そのものの生々しい(観客の咳払いなどのノイズなども含め)推進力は他を完全に圧倒する世界を描き出す。フィナーレなどまるでロック・ミュージックである。
その後に聴いたクレンペラー&フィルハーモニア管の有名な録音も、並べて聴くことで一層その意味が、そしてその存在意義がわかった。聴後の感想で参加者のひとりが「もう一度クライバー盤を聴いてみたくなった」とふと漏らしていたが、それは、二人の指揮者の解釈がそれくらいに違っていると同時に、実は内側のエネルギーという点ではほぼ同質のものがあるという証ではなかろうか。ちなみに、講座の中で当時のベートーヴェンの個人的心境を説明するのにウゴルスキの弾いた「エリーゼのために」を聴いていただいた。このあまりにも有名な音楽に「切なさ」を感じたのは初めてだと、とある女性から終了後にアンコールで聴かせてほしいと声がかかった。確かに・・・。40歳のベートーヴェンが18歳の娘に恋をしたときに書いたのであろうと推測されるこの不滅の名曲を50歳を過ぎてメジャー・デビューした奇才アナトール・ウゴルスキが演奏するとこんなにも「深い」音楽と化してしまうのかと誰もが夢中で耳をそばだてていた。

2010年7月

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