協奏曲の最近のブログ記事

自己開示

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先日のパーティーで何より良かったのは、両親や家族が喜んでくれたこと。そして、当日参加いただいた皆様はもちろんのこと、参加いただけなかった方たちからお祝いの言葉をたくさんいただけているという事実。それもランチやディナーにと、特別なお誘いがあるところが正直嬉しい。

長い間独り身でいたことから多くの方に心配をお掛けしたんだなという思いもあるし、結婚後2年近くもお披露目しないまま放っておいたという後ろめたさもあり、あらためて「人の想い」に感謝し、多くのそういった友人を得ることができたことを心底実感させられた。

パーティーの幹事を務めていただいた3人をご招待して、大いに盛り上がった。19:00前からスタートして終わったのは23:00過ぎ。あっという間の時間は本当に楽しい。途中、音楽の話になったり、プライベートの他愛もない話に脱線したり、あるいは真面目な話に転回したり・・・。
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駄作だと信じ込んできた作品でも、視点を変えてじっくり聴き込んでみると意外に「良さ」を発見できるものである。特に、クラシック音楽というジャンルにおいては、若い頃に読んだり聞いたりした評論家の言葉や一般的な見解に良し悪しの感度を左右されることも多い。ベートーヴェンの三重協奏曲などはその最たる例で、誰もが信じて疑わないベートーヴェンの失敗作だという定説をずっと鵜呑みにしてきた。

しかし、ベートーヴェンともあろう男がわざわざ凡作を出版するのだろうか?正規の作品番号をもつ楽曲ゆえ、半端な気持ちで創ったとは思えないし、やっぱり何か「意味」が隠されているのではないか、そんなことも一方で考えるようになった。

あれこれ勝手に推理し、そして空想し・・・、何百年も前の音楽を聴く醍醐味、楽しみはそんなところにもある。どんな音楽であれ、そこには人間が介在するのだから、それを生み出した作曲家の思考や癖、そして成育歴、体験などを深読みしていくことはとても面白い。

刺激的な三重協奏曲

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僕の中で大きなパラダイム・シフトが起こっている。独身者ベートーヴェンは女性になど目もくれない偏屈だと信じていた若き日。そして、実はアルコール依存症の父親に育てられ、アダルト・チルドレンでありながら相当な女性遍歴を繰り返したことを知り、単に結婚という形態をとらなかっただけで、相当な「女好き」だったことを知ったとある日。さらに、いわゆる「不滅の恋人への手紙」が、実は暗号文書だったのではないかという衝撃的新説。まさにコペルニクス的転回、そのどれもが相応の信憑性を持ち、ベートーヴェン研究家の血と涙の結晶なのだということがわかるが、人間の研究というのは書くも面白いものだということを再発見する。

J.S.バッハの音楽もモーツァルトの音楽もかけがえのない宝だが、やっぱりベートーヴェンこそが古今東西随一の作曲家であることをあらためて感じている。彼の音楽をひとつひとつじっくりと聴きながら、当時の時代背景を詳細に研究し、この天才が何を感じ、何を想い、音楽を創作していたのかをもっともっと知りたくなった。

例えば、作品55の「エロイカ」交響曲は、フリーメイスンとの関係が明らかである。また、作品57の「熱情」ソナタにおける「運命」の4つの音は、幼少期の父親の拳骨に対する恐怖を表現するものだという。幼い頃に愛情を十分受けられなかった楽聖が、ゆえに大人になった時「自由、平等、博愛」を標榜するフリーメイスンの虜になっただろうことは容易に想像がつく。ならば、その間に位置する作品56の「三重協奏曲」はどうだろう?ベートーヴェンの愚作といわれる音楽である。確かに、いつだったかアルゲリッチらの実演に触れたときも残念ながら感動はできなかった。一般的にはピアノを愛奏するルドルフ大公のために書いたと伝えられているが、果たして本当にそれだけなのか?

ムターのモーツァルト

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1982年、大阪国際フェスティバルで、ムターが外山雄三指揮大阪フィルをバックにモーツァルトの第5番のコンチェルトとブラームスのコンチェルトを披露した。そのコンサートは、僕が生演奏に触れた最初なのだが(実演デビューはかなり遅かった)、もうほんとに夢見心地で、2時間弱のひとときがあっという間に過ぎ去り、しばらく彼女の奏でる音楽に浸り続けていたいと心底思ったほど感動的だった。あれから30年近い時が経つ。その間、何度かムターの実演を聴いたが、大人になるにつれ確かに表現の幅が広がり、テクニック的にもより一層上手くなり、いまやヴァイオリン界の女王と称されるくらいまでその地位を確かなものにしているのだが、残念ながら18歳のムターを聴いた時ほどの感動を覚えたことが実は一度もない。

それは、ひょっとすると僕自身の問題もあるかもしれない。どんなことでも初体験の記憶というのは鮮烈で、余程のことでない限りそれに勝る経験をすることは難しいから。ただし、そういうことを差し置いたとしても、あの頃の若々しい、まだまだカラヤンの庇護の下、多少の迷いを見せながら、真摯に楽器に向かう少女の音楽は「不完全でありながら完全な」ものだったことは間違いない。特に、ブラームス!!ヴィオラとチェロとファゴットが第1主題を奏するやいなや僕はブラームスの、いぶし銀の如くの、老練の極みの世界に引き摺りこまれていた。ましてやムターのヴァイオリンが入ってくるところなどは悶絶モノで(大袈裟!)、初夏のフェスティバルホールの満員の聴衆の熱気などどこ吹く風、もうたった独り「自分の世界」に埋もれていたいとどれほど思ったことか。わずか30分ほどの至高の瞬間。あの時のこと、あの時の感覚は生涯忘れないだろう。
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久しぶりに「何もない」1日。
打ち合わせや研修や、あるいは大学の講義で日中が潰れる時は、基本的に落ち着いて物を考えたり、整理することが難しい。ひとつひとつやるべきことを片づけてゆく。

昨晩、昨年末に引き続き、Oご夫妻、Y先生ご夫妻とともに青山でお食事会。
その時にも書いたが、Oさんは独身の頃、日比谷公会堂で錚々たる来日アーティストのリサイタルに触れられており、当時のプログラムやチケットをお持ちくださり、さらにはゆっくり見てくださいと、大切なお宝をお貸しくださった。

例えば、ヴィルヘルム・バックハウスの1954年4月9日の演奏会(入場料500円!)。

J.S.バッハ
・イタリア協奏曲ヘ長調
・半音階的幻想曲と遁走曲ニ短調
・フランス組曲第5番ト長調
ブラームス
・ラプソディト短調作品79-2
・間奏曲変ホ長調作品117-1
・間奏曲変ロ短調作品117-2
・カプリッチョロ短調作品76-2
・間奏曲ハ長調作品119-3
ショパン
・バラード第1番ト短調作品23
・夜想曲変ニ長調作品27-2
・練習曲作品25-1,2,3,9,作品10-5
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1998年以来12年連続で自殺者総数が3万人を越えるという(潜在的な数字を含めるともっとだろう)。いわゆる企業で働く労働者に限ってみても、1997年の6212人から翌年8673人に急増したのを皮切りにこれまでずっとほぼ横ばいで(8~9000人)推移している。
経営という視点からは巨額の賠償金支払いという労災リスクや企業イメージの悪化につながりかねないし、内部的にも職場の人間関係の悪化やサービスの質の低下、求職・離職の増加による生産性への影響など、企業においてメンタルヘルス不調問題はまだまだ大きな課題を含んでいるようだ。

メンタルヘルス対策として厚生労働省の指針には「4つのケア」が挙げられている。すなわち、社員自らが行うストレスへの気づきと対処(セルフ・ケア)、管理監督者が行う職場環境等の改善と部下からの相談への対応(ラインによるケア)、産業医、衛生管理者等による専門的な対応(事業場内産業保健スタッフ等によるケア)、EAP会社や相談機関などの外部の専門機関によるケア(事業場外資源によるケア)である。
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男は未練がましい。
女はあっという間に吹っ切れる。
男の側から振る場合はさほど問題にならないが、女からのそれとなるとややこしい。最悪はストーカーという状態に陥るのだが、女性のストーカーというのをあまり耳にしないことを思うと、やっぱり「しつこい、諦めきれない」というのは男性特有の性質なのだろう。

母親の胎内から生まれ出てくる時、赤ちゃんは一体どんな心境なのだろう?泣き声は不安の象徴だという説もあるが、やっぱり母体と切り離される不安感から声を発するのだろうか?

そういえば、僕も子どもの頃、母親の影をずっと追っていた(ように思う。今から考えるとだが)。特に長男という境遇もあろう、幼い頃の「関係」が満たされていなかったのかどうかそのあたりは不明だが、ともかく「切り離された感」が極めて強かったのだろうと思う。とはいえ、これまた長男の宿命で、思ったことをそのまま素直に伝えるということができなかった。「じっと我慢の子」、そんな子どもだったのである。

有言実行

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とある大学の1年生に向けて「キャリア・プランニング」の授業を毎週受け持っていることは以前も書いた。本日も朝から90分の講義をもったのだが、いかに夢を実現させるか、そしてより具体的にリアルに夢や目標を描くことが大切だという話をした。あまりにベタな話で個人的にはあまり好きではないテーマなのだが、先方の要望ということもあり、いくつか事例を紹介しながら熱く語らせていただいた。

昨日のサンケイ・スポーツの1面にワールド・カップの日本代表に選ばれた本田圭祐選手の小学校卒業文集が掲載されていたので、それを学生諸君に紹介した。「将来の夢」と題したその作文は、12歳でこんなにも具体的に目標を書けるのかという驚きの内容である。他にも、メジャー・リーグのイチロー選手やゴルフの石川遼選手の小学校時の作文を紹介したが、いずれも信じられないほど具体的に「夢」が語られており、いわゆる「天才」というのは若くして夢や目標が明確で、しかもそれを具体的に公表しているところが共通点なんだとあらためて思った。まさに有言実行の精神なのである。学生も皆驚いていた(汗)・・・。

成功のポイントは「そう」なりたい姿をできる限り鮮明にしていくことなのだと・・・。

癒しのモーツァルト

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基本的に研修は人里離れた自然の中で「静かになって」やるべきものだと思っている。余計な気がかりをいかに減らし、プログラムに集中できるか、そしてあらゆる文明の利器から離れて自分自身にいかに意識をフォーカスするか、そういうことがとても大事だと思うのだ。

先週に引き続き、新入社員合同研修。今日明日の2日間は五反田ゆうぽうとの研修ルームにて。16名の新人さんたちと初めて顔を合わせ、8時間超の体験実習を中心とした内容で、様々な気づきを得ていただいた。少なからず反応の鈍さを感じたものの第1日目が終わってみての感想を聞く限りでは、それぞれが相応の「想い」を持っていただけたようで良かった。明日もまた丸一日研修が続くが、気合いを入れてがんばろうと思う。

とはいえ、思った以上に疲れた。通常これくらいは集中力も途切れず難なくこなせるのだが、不思議に今日は違った。天候のせいか場所のせいか理由は定かでないが、とにかく終了後大変に身体が重かった。よくよく考えてみると、昨晩はあまり寝つきが良くなく、多少睡眠不足というのも災いしたのかもしれない。基本的に眠れないということは滅多にないのだが、遠足の前のような気分で高ぶっていたのか、または研修前で無意識に緊張していたのか、僕の精神力も大したことないなと少しばかり反省した。

心つなぎ

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もともと酒に弱い体質ゆえ、連日のように宴会が続くと途端に身体が悲鳴を上げる。といっても、ビールをいつもより多少多く摂取するに過ぎないのだが。先日の岐阜、滋賀県方面の旅では、久しぶりに家族親戚が揃ったことで、毎日のように宴が続いた。一昨日帰京してからはその反動でか、一滴も飲んでいない。よって極めて調子が良い。いずれにせよ、そのうちまた飲みたくなるだろうからそのときにゆっくりグラスを傾けるようにしようか・・・。

青柳いづみこ著「ピアニストが見たピアニスト~名演奏家の秘密とは」をざっと読んだ。以前、「ドビュッシー~想念のエクトプラズム」を読んだとき、青柳さんの深い洞察力と、文章表現の上手さ、読みやすさに驚かされたが、この本も一流ピアニストの様々な側面が彼女の感性で見事に語られており、頗る面白い。特に、エリック・ハイドシェックの章で、(何度かこのブログでも書いているが)1999年、浜離宮朝日ホールでのベートーヴェン・ツィクルスの際、「ハンマークラヴィーア」ソナタのフィナーレで止まってしまい、しばらくの休憩の後、弾き直しをしたものの、相当危なげな演奏だったこと、そして、その後の公演をすべてキャンセルして帰国したという事件の真相が具に書かれており、とても興味深かった。この件については、当時からインターネットを調べても、あらゆる情報誌をながめても、それにまつわる情報がまったくなく、体調不良だったのだろうことは想像がつくものの、実際のところはどうだったのだろうと一人のファンとしてどうも整理がつかず、常にどこか頭の片隅に残っていた。ようやくこの著書の中で、当時のハイドシェックの状態、状況などを含めた事実がはっきりし、積年の「想い」が氷解したことが何より収穫だった。

2010年9月

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