協奏曲の最近のブログ記事

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明日開催予定だった第35回「早わかりクラシック音楽講座」を諸般の事情で中止することにした。いつも楽しみにしていただいている参加予定だった皆さまには大変申し訳なく思います。

今回はイギリスの生んだ大作曲家グスターヴ・ホルストの名作、組曲「惑星」を中心に採り上げる予定だった。ところが、このホルストという作曲家に関しては僕自身勉強不足で、これまで多くの作品を享受してこなかったどころか、その生い立ちや人間性についてもほとんど無知だったゆえ、ひょっとすると神様がもう少し勉強してから皆さまに講義すべきだろうと、採り上げるのを延期するよう計らってくれたのかもしれないと思い、ホッとしているところだ。

とはいえ、少しずつホルストについて調べ上げているうちに、例えば彼が熱烈なワグネリアンだったこと、若い頃聴いた「神々の黄昏」やバッハのロ短調ミサ曲に衝撃を受けたこと、あるいはインド哲学やサンスクリット文学に興味を持ち、厳格な菜食主義者であったこと、そして音楽的にはテューダー朝のトマス・ウィールクスやウィリアム・バード、ヘンリー・パーセルといった作曲家にぞっこんだったことなどが判明し、ともかく興味が尽きない。そういう彼が占星術に興味を抱き、その結果「惑星」が生まれたことなどを合わせて考えると、この作曲家の人となりやその音楽の「底」は極めて深く、決して安易に採り上げられるような芸術家ではないこともよくわかり、一旦中止にしてちょうどよかったかもしれないと考えている。この際、もう少しホルストについて掘り下げて研究、熟聴した上で近いうちに採り上げることにしようと思う。

ロシア音楽の魅力

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ロシア音楽が暗いということはもはやわかりきった事実だが(本当か?!)、昨日の晴香葉子さんのご講演の最後で、ロシア文学の魅力とは結局何なのかを次のようにまとめられていたのを聴き、とても納得した。

ロシア文学の魅力とは、すなわち、闇があるからこその光の美しさであり、苦悩があるからこその愛の実感だと思う。そしてたゆまぬ努力の上での共有する時間、一緒に楽しく過ごす時間が短いからこそしっかりつながっている時間を実感できるのだと思う、そんな話だった。

表があっての裏、壁があっての幸せ。どんなことも受け容れ、前向きに生きてゆくことの重要性をあらためて教えていただいたようで良かった。

よくよく考えてみると、当たり前のことである。右肩上がりに順風満帆であったとしても、いつまでもその状況が続くわけでなし、人生というもの山あり谷ありであることが刺激的で面白いのである。まさに「祇園精舎の鐘の声」である。
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「気づき」のシェアーをしていただくと、自分自身の大いなる「気づき」にも直結する。自身が傷つくことを怖れて人は「真実」を追求しようとしない。棚に上げて見ないふりをすれば時が解決してくれるものだと思うのだ。特に、「問題」についてはたとえその時にうまく回避できたとしても、いずれまた同じような壁にぶち当たり、同じく解決できないまま避けて通るということが繰り返される。事の詳細が異なっていても、同じ人間が起こす行動の根本は決して変わることはない。人間、そうそうは変わらないのだ。であるなら、今、この時に解決に導くほうがよい。人間関係においては推測でモノを語るなかれ。人にはそれぞれ理由がある。とったその行動の裏には必ず事情があるのだ。その事情をしっかり把握した上で相手を認め、受容すれば、ぎくしゃくした関係も途端にスムーズに運ぶようになる。とはいえ、簡単なようでいて難しいのが「人間関係」。相手があることだから、必ずしもシミュレーション通りに事は進まないが、性善説に基づくなら怖れる必要はなかろう。

親子関係とその他の人間関係は地続きだと僕は思う。「親和」のコミュニケーション、すなわち深いストロークのある関係性においては「信頼」が生まれるが、表層的な交流からは「不信感」しか生まれえない。表向きいくら仲良さそうな関係に見えても、根底でつながっていない限り人は他人に心を許すことができない。その大本が親と子の関係であると考えるのだ。よって「親和」とは「親との和」という意味合いも兼ねている(と僕は考える)。

パガニーニを聴く

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ニコロ・パガニーニ。悪魔に魂を売り渡したヴァイオリニストとして聴衆から怖れられた彼は作曲家としても超一流の腕前を誇った。アッカルドがデュトワと録音した協奏曲全集はつとに有名だが、久しぶりにその中から1枚を取り出して聴いてみた。

そういえば僕がまだ社会人になりたての頃、もう20年以上も前の話だが、当時勤めていたイベント会社でとある部長が凄い音楽があるんだと自慢げに語った上で自宅からわざわざ持参、聴かせてくれたのがこのアッカルドのアナログ・レコードだった。件の部長は既に鬼籍に入られたが、会議室で二人してパガニーニの音楽に釘付けになったことあの日のことが忘れられない。20代前半の僕の心を虜にしたテクニカルな名曲であり名演奏だった。

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6&第2番ロ短調作品7「ラ・カンパネラ」
サルヴァトーレ・アッカルド(ヴァイオリン)
シャルル・デュトワ指揮論ドン・フィルハーモニー管弦楽団

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以前クラシカ・ジャパンで放映されたドキュメンタリー「ポートレート『ジャン・シベリウス』」を観ていて、かの大作曲家もプレッシャーにはことのほか弱く、都会の喧騒に塗れながら自身の創作活動にいつまでも自信が持てず酒と煙草に浸る日々が続いたことをあらためて確認した。芸術家は大衆から評価を受けない限り「芸術家」として決して認知されないわけだから、いくらインスピレーションが湧いて出たとしても人々に受け容れられるかどうかが常に心配の種なんだろう。クリエイターではない僕などはのんびりとした暢気な性格ゆえいつでも「どうにかなる」と考えてきたものだから周りからは随分呆れられてきたが、今の今まで「何とか生きてきている」わけだから、人間やるべきことを普通にやっていれば必ず助けてくれる人もいるし、上手に渡っていけるものなんだと思うのだけど。

僕は長い間セミナーに携わってきて、人間本来の直感力、インスピレーションの凄さを常々垣間見てきた。頭で考えるより、明らかに感じることを優先する方が正しいのである。例えば人間関係の場合、たとえ相手が初対面だとしても少なくとも半分くらいは相手のことを言い当てることができる。家族構成や血液型、職業などの属性はもちろんのこと性格的なことまで含めても吃驚するような割合で相手を読めるのだ。これこそは人間が生まれながらに持ち合わせている「脳力」なのである。

心ゆくもの

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「白く清げなる陸奥紙に、いといと細う書くべくはあらぬ筆して、文書きたる」
『枕草子』の「心ゆくもの」という段で清少納言が綴った一説である。白く清らかな上質の和紙に粗末な扱いにくい筆で手紙を書いたものは意外に心地良いもののひとつだと言うのである。わざわざ書きにくい筆を選んで書くことこそによって味わい深さが加味されるということなのだろう。比較という意味では多少下世話な話になるが、僕の周りでも恋愛や結婚の対象として相手を選ぶときに、いわゆる「扱いにくい」女性を選ぶ輩が多いように思う。そう、何でも言うことを聞き、先回りして何でもやってくれる相手は大切な存在なのだが、時に物足りなさを感じるという男が多い。苦労するのは目に見えていても、みんな扱いにくいじゃじゃ馬が好きなのだ。

人生順風満帆に進んできた人は意外に弱い。挫折にも極めて弱い。そういえば新人採用活動の際、エントリーシートの中で「学生時代の苦労話、挫折経験にはどういうものがあるか?」と問う企業が多い。学生時代にどのような失敗経験をし、挫折感を味わい、それをどのように乗り越えたのか、そのプロセスにその人の人間性が滲み出ると考えるからである。行動を起こすということはそこには少なからずリスクが生じる。当然失敗もある。逆に、何もしなければ何も起こらない。ただし、安全ではあるが現状のままである。失敗したって良い。うまくゆかなくて当然なのだから。そういう気概で何事にもチャレンジできる人って素敵である。
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コツコツと積み上げてゆく仕事は一見大変な様相を呈するが、継続することで結果的に大きな財産になる。誰が何と言おうと「続けた年月」がものをいう。

毎月特定の作曲家を採り上げクラシック講座なるものを始めてから3年近くが経過するが、長い間クラシック音楽を聴き続けてきても意外に作曲家本人のことを知らなかったり、作品についても表層的に知っているだけで聴き込んでいるわけでなく、よく知らない場合も多い。そういうときに文献をひもといたり、音楽を繰り返し聴いてみたりすることで新しい発見が常にあることが面白くてたまらない。人に何かを教える行為は自分の成長に間違いなくつながるが、毎々10名ほどの参加者であるにも関わらず、ここまで継続してこれているお陰で、知識が増え、興味の範囲が圧倒的に広がり、それがまた喜びに変わるわけだから一石二鳥どころか三鳥くらいの価値はあろう。まさかこんな形でクラシック音楽を勉強するとは思ってもみなかった。

「早わかりクラシック音楽講座」のコンセプトは、単に音楽を聴いて楽しむだけでなく、作曲家の生き様から「人間力向上」のヒントになるであろう「何か」を見つけ出し、講座中にご紹介するというもの。さすがに過去の偉人の周辺には見事な言葉や感動的な生き様が残されており、現代の我々の生き方にも非常に参考になる。

感謝と素直

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感謝される人間になることも大切だが、日々感謝できる人間になることはもっと重要だ。十数年という時間、何千人という若者に対峙してきたお蔭で、よく相談を受ける。迷ったとき、壁に当たったとき、辛いとき、状況は様々だが、そういう時にはできるだけ力を貸そうと努力してきた。数年経ってみると「あの時はありがとう」という意味の感謝の言葉をいつもいただく。

部下にいつも感謝の意を表現、「ありがとう」という言葉をことある毎に伝えるのだと。普通ならそこまで表現しなくても良いときにもあえてそうするのだと。そのお蔭でスタッフ間の人間関係が見違えるように良くなり、仕事もスムーズに、売上も右肩上がりで好調になる。それはそうだろう。感謝されて嬉しくない人はいまい。より一層頑張ろうと思えるのが人間というものだから。

愚痴を言わず「感謝」と「喜び」の言葉を表すよう努めること。それによってお金では決して買えない贈物をたくさんいただける。

諏訪内のシベリウス

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いよいよ今週末は「愛知とし子×近藤恵三子コラボレートコンサート」である。ピアニストの練習も佳境に入り、本番直前モード。何とも表現しがたい、ほど良い緊張感に包まれる。お蔭様でチケットの売れ行きも好調で、最終日(15日)のチケットはソールドアウト。14日についても残りわずかという状況。さすがに13日だけは金曜日ということもあり、まだ余裕がある(ねらい目は金曜日19:30からの回です)。ぜひ成城まで足をお運びください。

随分寒くなった。とはいえ、昨年の今頃よりはだいぶマシだろうか。朝から例によって学生のエントリーシートの添削をしたり、明日の授業の準備をしたりしながら過ごす。集中する時、無音で過ごすことも多いが、気分転換にCDを漁る。今の時期、晩秋から初冬にかけて相応しいのはやっぱりシベリウスの音楽か。久しぶりに棚から取り出して多少音量を上げ気味で聴いてみる。目の覚めるような、しかも熱を帯びているがあくまで涼しいヴァイオリンの音色・・・。
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昨日からモーツァルトに関連する書籍をいくつかひもときつつ、ピアノ協奏曲を中心にピアノ四重奏曲、弦楽四重奏曲など、ちょうど彼の全盛期にあたる1784年~86年に創作された作品群を聴いている。若い頃など、あっさりと聴き流していた10番代のピアノ協奏曲も、こうやって作曲背景を確認しながらひとつひとつじっくりと耳を傾けると途轍もない重みと充足感に支配されており、当時毎月のように新曲を生み出していたモーツァルトの天才的なクリエイティビティと身体的頑強さに今更ながら舌を巻く思いだ。

昔は、極端な言い方をすると全てが同じ曲のように聴こえていた。余程の凄演でない限り1度か2度は聴いても、それ以上はなかなか音盤をプレーヤーに載せることがなかった。いや、凄い演奏であったにしてもロマン派のドロドロとした官能美や理屈っぽさにイカレていた時分には、「物足りなさ」を感じ、しばらく全く聴かない時期もあったほどだ。振り返ると、モーツァルトの真の天才が理解できるようになったのはようやく40に差し掛かるかどうかの頃だったように思う。わかりやすく見える分、わかりにくいのだろう。モーツァルトを理解するには相応の人生経験が必要だ。

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