室内楽曲の最近のブログ記事

女というもの

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一昨日の記事に雅之さんからコメントを頂き、早速「現代ギター」8月号を探しに歩いた。というより、たまたま表参道、銀座方面に所用があったので、河合楽器、山野楽器に寄っただけなのだが、既に9月号が店頭に並んでおり、残念ながら手に入れることができなかった。
その旨雅之さんにメールでお伝えしたところ、当該ページをご丁寧にファックスでいただいた。お忙しい中、勝手なお願いにもかかわらず素早い対処に感激している。毎々ありがとうございます。

この記事、「シューマン夫妻とブラームスの『闇』について考える」ということだが、さすがに『闇』がテーマであるだけに実に物々しく、重い。確かにこの三者の間には一般的に知られた歴史的事実と、どんなに学者が研究をしようとも最終的には推測の域を出ない想像があり、これまでも様々な考えが発表されていると思われるが、いずれにせよ後世の我々にどれが正しいのかを計る術はまったくなく、どんな意見、考察が出てきても興味深く読める。
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お陰さまで昨日提案したコンテンツを採用いただくことになった。既存のワークを少しばかりアレンジしただけなのでそもそも大した労力はかかっていないのだが、それはそれで嬉しいものだ。

もう長いことブルックナーをきちんと聴いていない。きちんと聴いていないというのは、実演はもちろんのこと音盤ででも正座をして向き合っていないということ。ちなみに、10代の後半から30代前半までの10数年間は、僕のブルックナーの音楽に対する最も濃密な期間だった。録音はもちろんのこと、朝比奈先生の公演が東京である場合は、何がなんでも駆けつけた。それくらいブルックナーの音楽に恋していた、そんな時代だった。

第7交響曲に触れ、即座にブルックナーの世界に開眼した僕は、その後、第8、第4、第9、と順番に聴き込んでいった。今でこそ、第5交響曲は彼の交響曲の中で最高峰だと評価しているが、当時は最もとっつきにくく、何度聴いてもピンと来ない、そんな作品だった。そのゴツゴツした雰囲気がどうも自分の肌に合わないと勝手に決めつけていた、そんな若気の至りの頃。しかし、ちょうど同じ頃、第5交響曲を上梓して間もない時期にブルックナーが生み出した珍しい室内楽曲を聴いて、その流麗な響きに、当時最も愛して止まなかった第7交響曲に通じる「匂い」を感じ、日夜アナログ盤に耳を傾けていた。

旧知の教え子との再会

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気分良く、ほろ酔いの電車の中で今日は何を書こうかと思案することは、寝過して最寄り駅を通過してしまわないことに効果がある。少なくとも考えている瞬間、頭は起きているから。

酔っている分、頭の血の巡りが良いのだろう、いつになく詩的な文章が生まれる。実は、この文章は結構な量を飲んだあとに車中で書いているのだが、果たして「詩的」かどうか・・・(笑)。そのあたりはいい加減なものだから突っ込みなしということで・・・。

それでも素面の時よりは沸々と文章が湧いて出てくるところをみると、大袈裟な言い方だが、「感性」のおもむくままに書いているのだということが理解できる。

旧知と教え子と
10年近くぶりに
再会し、
酒を酌み交わすと
タイム・スリップしたかのように
あの頃のことが
不思議にリアルに思い出される。

探しモノ

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エルガーについていろいろと調べていくうちに、ピエール・モントゥーが確かロンドン響と録音した「エニグマ変奏曲」(カップリングはシベリウスの第2交響曲)があったなと、数日前から棚を漁っているのだけれど、どこにもない。見落としているのか、それとも誰かに貸したまま、忘れてしまっているのか・・・。大事な音盤を貸してそのままにしておくというのは僕の性格上考えにくいので、おそらく前者なのだろうが、それにしても隈なく探しても見つからない。この音盤を所有していたつもりで、実は持っていなかったのかもしれないと曖昧な記憶をたどりながら悶々とする。探しモノが見つからないというのは一大事で、一旦そうなったら気になって仕方がない。

ところで、エルガーは9歳のとき、初めてオーケストラの演奏を聴き、非常な感銘を受けた。27歳の時にはオケのメンバーとして作曲者の指揮によりドヴォルザークの交響曲第6番とスターバト・マーテルを演奏した。その経験が後の作曲活動に影響を与えたようだが、そういえばチェロ協奏曲やヴァイオリン協奏曲を聴いているとドヴォルザークの影がチラホラと見える。
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夫婦の関係がもめるという話をよく耳にする。
以前から何度も書いていることだから、しつこく書くのは止しておくが、そういう時は一方の話を聴くだけでは不完全で、もう一方の話をじっくり聴いてみたいとつくづく思う。得てして「全く違った話」が聴こえてくるのだが、誰もが「自分は正しい」と思っているわけだからそれは致し方ないことだろう。何も夫婦の関係に限ったことでもない。上司と部下の関係でもそういうことは多い。

そういう時、相手の立場になって物事を捉える、考えられるということが当たり前だが大事になってくる。昨日の「大局観」ではないが、「大人になる」ということは「相手の視点から物事が考えられる余裕をもてる」ということなのだろう。

理論派の人は、喧嘩も理路整然としており、いわゆる喧嘩にならないらしい。そう、相手を余計に感情的にさせてしまうのだとか。目には目をでないが、時には感情でぶつかり合うということも、夫婦という「人間関係」においては大切なことかも。
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僕は、幼少の頃、魁傑という力士がことのほか好きだった。特に、優勝決定戦で北の湖を倒して優勝した一番は思い出深い。実に身軽な動きでありながら、後の千代の富士とは違った「危うさ」を秘めており、彼の相撲の取り方そのものに「陰陽」があった。

その魁傑関も放駒親方として日本相撲協会に大いに貢献されたことだろうが、先般理事長に就任された。その途端にスキャンダルを書き立てようとするマスコミの姿勢というのはいかがなものなのだろう?角界の内側についてはこれまでほとんど表沙汰にされたことがないが、何ゆえ今になってこうも叩かれるのか?裏の世界とつながっていることがそれほど問題なのか?(そんなことを言ってしまえば、つながっていない世界などないように思うのだが・・・)

今の時代、どの世界においても「正しい」ことが求められる。でも、「正しいこと」って何なのか、60億の人がいて60億通りの考えがあるなら、残念ながら答など何時まで経っても出ることはない。

家族の絆

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beethoven_guarneri_q.jpg人間の最小単位は「個人」ではなく「家族」である。両親の仲が良いこと、たとえ年に数回であっても家族で旅行なり外食なり、団欒の機会があること。楽しく面白く過ごせる環境が揃っていることで「絆」が深まる。そもそも子どもの立場からしてみても、深い「絆」があり、信頼関係があればグレようがない。多少の悪ふざけはしてみても一線を越えることができようはずもない。細かくリサーチしたわけではないが、昨今の親子の事件の裏には家族間の「絆」の深度の影響があるのではないだろうか。

土地柄にもよるだろうが、最近は中学生ともなると親が子どもに無関心で授業参観どころか学校行事に参加しないことが多いのだという。もちろん子どもが嫌がるということもあろうが、少なくとも12歳頃までは親子のコミュニケーションを重視して、たとえ多忙でも子どもと過ごす時間、子どもに興味を持つ時間を増やさないことには青少年にまつわる事件が減ることがないように思う。いずれにせよ「絆」が浅いことが問題の根源なのだ。それは何も家族に限ったことではない。友人同士、恋人、夫婦の中でも同じような現象がみられるのだから、いかに喜怒哀楽を共にし、ぶつかり合ったり共感しあったりということが大事かあらためて考えさせられる。

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人生の中で転機になる時期、いわゆる誰もが直面するイベントはいくつかある。
学校の入学、卒業。あるいは、就職、転職。さらには結婚や出産、そして時には離婚など。節目節目において、人は悩み、壁を乗り越え、成長する。

新米パパ&ママ、プレ・ママ&パパたちにとって音楽で癒されることって大切だろうという考えから愛知とし子の「音浴じかん」は始まったが、「癒し」だけでなく、人間について学ぶことも大事なのでは、という話になった。

子どもの成長にとって、特に3歳までの親の生き様や環境はその後を左右するとても重要な要素になる。誰しも親として最初は未熟だ。間違ったこともしてしまうこともある。たとえそうだとしても、「人を受け容れる」ということを体感的に教えられていれば子育ては全く違ったものになる。残念ながら、現時点で僕はまだ子育てを経験していないから大きなことは言えないが、旧知の友人から聞いた話をあえて書いてみると次のようだ。

シューベルトの幻想曲

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食事時に滅多につけないチャンネルをつけたら、糸井重里と矢沢永吉の姿が・・・。
思わず引き込まれ、最後まで観てしまった。

題して「矢沢永吉&糸井重里~今だからこそお金の話~」。ロックシンガーと社長の2足の草鞋を履く永ちゃんの社長としての失敗談、そして34億円もの詐欺被害にあった後の復活話など、ためになる話満載。今の世の中の最大の問題は、政治の世界でも何の世界でも「自分で尻を拭かない奴」が多過ぎることだと矢沢はボヤく。ありがとう。勉強になりました、そして勇気づけられました。

ところで、リヒテルが亡くなって早くも13年が経過する。晩年は何度も日本を訪れ、ほとんど真っ暗と言っていい不思議な舞台で彼らしい独自の世界を披露してくれたことはいろいろな文献の絶賛の言葉から読み取れるが、結局僕自身は実演で聴く機会を逸してしまった。J.Sバッハの「平均律クラヴィーア曲集」など、ビクターへのスタジオ録音盤、インスブルックでのライブ盤、いずれを聴いても最高の出来ゆえ、生の舞台に触れたときにはさぞかし鳥肌がたつような演奏だろうと想像できるだけに何とも惜しい。

「自分開花」勉強会

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あなたをみんなと同じようにしてしまおうと日夜励んでいる世の中で、自分以外の何者にもなるまいとするのは人間のできうる闘争の中で最も厳しい闘いだ。そしてその闘いを止めてはならない。

本日の勉強会では、直前のキャンセルが相次いで結果としてマンツーマンの会となった。しかしながら、実に意味があり、よかった(もちろんクライアント氏にとって)。自分であろうとする闘いは本当に厳しい。受動的に流れに任せて生きていくのは楽だろうとふと思うことがある。その都度、いやいや「こうありたいんだ」ともう一人の自分が心の中で叫ぶ。であるなら、やっぱりやりたいようにやり、振舞ったほうが良い。言いたいことも遠慮なく言うべし。でないと、結局歪が生じ(バランスを欠き)、人間関係にも大きな影響を与えてしまう。

2010年9月

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