管弦楽曲の最近のブログ記事

ありのままに生きよう

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beethoven_16_bernstein.jpg迷っているとき、人は誰か(何か)に後押ししてもらえる瞬間を待っている。4年前仕事を辞めるとき、僕自身もたくさんの友人から「きっかけ」をもらった。そして、内なる声が「これでいいのです」と自分に語りかけてきたとき、ようやく決心がついた。後先考えず、その決断でいいのか迷いながらも恐る恐る足を踏み出した。

美しく明るい月。満月の夜に聴くベートーヴェンの音楽は格別だ。特に、深い内容を湛えた最晩年のカルテットの世界は、満ちても欠けても美しさを決して失わない神秘的な月を想起させる。最後の弦楽四重奏曲作品135は、そのフィナーレに意味深な言葉が掲げられている。「ようやくついた決心」という標題、そして「そうあらねばならないか?」、「そうあらねばならない」という言葉。後年の研究者を悩ませることになるこれらのフレーズは何を意味するのか?

当時、ベートーヴェンは、自分自身の命があとわずかで尽きるとは思ってもみなかったはずだ。一般的には、死を悟った作曲者の諦観の極地の世界が表出されているようなことがいわれるが、そんな話は後付に過ぎない。作曲家はまだまだ精力的に活動しようと思っていたのではないか・・・。つまり、それまで「あくまで自分自身を演じてきた」ベートーヴェンがようやくその年にして「ありのまま、自然体」を表現できる余裕が生まれてきたことを悟ったということだ。そう、"Es muss sein."は「ありのままに生きよう」という決心なのである。

10年後・・・?

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ヤナーチェクの歌劇「利口な女狐の物語」の存在を知ったのは、1982年度のレコード・アカデミー賞が発表された時。このメルヘン的でありながら哲学的要素も持つ傑作オペラを指揮していたのが、サー・チャールズ・マッケラスであり、この時初めて僕は彼の名を記憶した。とはいえ、当時の僕にとって、「女狐」は愚か、ヤナーチェクですら相当ハードルが高い作曲家で、「猫に小判」状態も良いところ。後年になり、CD化された頃にきちんと真面目に聴いたが、ようやく最近になってこの歌劇の真髄がわかってきたように思う。人間世界と動物世界が錯綜し、自然との共生、あるいは輪廻転生などをテーマにしたこの舞台の奥は相当に深い。3幕仕立てで、2時間弱という長さもちょうど良い。本来オペラは映像を伴って観るべきものであるが、「ながら」で音だけを頼りに舞台を想像して聴くのも乙なものである(さすがにワーグナーの楽劇あたりになると音だけで勝負するのはいささか辛い年齢に差し掛かった)。

それにしても随分記憶力が落ちた気がする。以前なら、一発で頭に入っていたことが、なかなか入らない。年には勝てないのか・・・。

調和とバランス

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8月8日(日)に結婚3周年を記念して、浜松町のT'SUKI sur la merでパーティを開催する。会費制なので、気軽にどなたでもご参加いただきたいと思っているのだが、メールの不首尾で案内が届いていない方が多いようで、直接電話をして急ぎ確認作業をしている。

ちょうど1年前に結婚したT君からのメール。
やりとりは以下の通り。

T:突然だけど、実は今日、嫁と離婚しました。また、8月に中国に異動になりました。蘇州で、新規事業やることに・・・。もしかしたら、出発日が8日と被るかもしれないです。そうなったらすいません・・・。
僕:まじか!まだ1年だよね!?まぁ、しょうがないけどね、こればっかりは。
T:どうも自分のことになると人を見る目がなかったみたいです。すいません、なんだか縁起の悪い報告で・・・。
僕:縁起は悪くないさ。それも必然。バランスと調和だからね。
T:バランスと調和ね。はは、必然か・・・、確かに。バランス崩してたからなぁ、この1年。また連絡します。
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どんなに技術が発達しても人間にしかできないことがある。
「人を感動させること」である。オーディオ・システムがどれだけ高価なものでも、生音には決して敵わない。それもアマであろうとプロであろうと一生懸命に奏された音楽にはどうしても心を動かされる。昨日、中津川の校長先生が即興で「亡き王女のパヴァーヌ」をフルートで弾かれたのを聴き、心底良かった。目前で生み出される音の連なりは、とにかく腹の底にまで響き渡る。多少の技術的な疵は何のその、とにかく誰かを想って演奏された音楽は力強い。

瑞浪から午後帰宅し、メールの確認や溜まっている事務作業をこなし、気分転換に品川あたりに散歩に出ようかと家を出た。いつもとは違うルートで新宿駅に着くと、山手線ホームで偶然既知の知人にあった。営業に関しては右に出る者はいないとされる方で、前職で学生向けに研修を提供している時、随分お世話になった。もうかれこれ20年以上のつきあいである。ちょうど「営業研修」、それもこれまでにない必ず成果に結びつく画期的な研修をプログラミングしたいと考えており、そういえばと彼のことを思い出していた時だったから、これは決して偶然ではないと直感した。目黒のオフィスに戻るところだということだったので、品川行きを目黒行きに変更し、1時間半ほどお茶をしながら近況を語った。

堀明子詩集

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ravel_pavane_cluytens.jpg午前から夕方、多治見や中津川を移動し、打ち合わせ等。
9月11日(土)に多治見市文化会館で開催される愛知とし子presents「1日だけのクラシック音楽レストラン」のチラシが完成した。内容は、デュオあり、トリオありで、お子様にも大人にも楽しんでいただけるプログラム構成。昨年以上に刺激的で興味深いコンテンツ目白押しで、たくさんの方々に是非とも聴いていただきたい。

お世話になっている校長先生が4月から中津川市の小学校に異動されたということで、訪問した。そして、子どもたちと接する先生の「自然体」の姿にあらためて感動させられた。廊下を歩いていても、校長室でお話をしていても通り過ぎる子どもにひとりひとり丁寧に声をお掛けになる先生の優しい姿が目に焼きついて離れない。こういう先生がいるからこそ子どもは天真爛漫に自身を表現できるのではないか。感じたこと、思ったことを直接に表現できる純粋さ。子どもの才能を伸ばすも殺すも小学校の先生次第、そんなことを考えさせられた数時間だった。

いつものようにお土産をいただく。前回の訪問の際にご紹介いただいた堀明子さんの詩集。わずか16歳で夭折した彼女が中学2年生のときに書いた詩に目が留まった。信じられないような感性・・・。

A B C D

bach_air_paillard.jpg勝川での1日セミナーが無事終了した。
あっという間の9時間。少人数での深みのある空間はやはり格別のものがある。擬似空間ながら、そこには真実、事実がある。人と人とが交わることで何らかのシナジーが生まれる。人はお互いに支えあって生きているんだということをあらためて実感する。

すべての存在に感謝、月並みな言い方だが、そんなことを想った。

終了後の打ち上げで、ざっくばらんにいろいろなことを話しながら盛り上がる。
年代によって感じ方、考え方が違うこと、生まれ育った地域によってもそれが異なること。「へぇー」と唸るような気づきもそこにはある。時代によって受ける教育も違えば、流行っている文化も違うのだからそれは致し方なし。それよりも一人ひとりが大人になり、あらゆる事象を受け容れることが大切。本当に千差万別、だからこそ人間は面白い。

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株式会社シグレストと共同で、「スポコレ・ワークショップ with TAG RUGBY」という研修コンテンツを開発した。女性でも気軽に参加できるタックルのないミニ・ラグビーのようなゲームを通じ、前進すること、つまりチャレンジすることの大切さ、そしてフォロー、仲間同士補完し合うことの重要性を軸に、個々人の能力を高めると同時に組織力までアップさせてしまおうという内容。もちろん僕なりの「人間力」をベースにした実習も絡め、他にはない独自の興味深い研修にななると思う。7月以降本格的にスタートする予定だが、まずはお試しコースということでオープン・セミナーを特別価格で実施する。

最近、スポーツ・ネタが多い。身体を動かして、汗をかくことは健康にとても良い。それに頭が冴えて、感覚も鋭くなるのだから二重に良い。

※ちなみに、「スポコレ・ワークショップ」オープン・セミナー(企業様向)は6月28日(月)9:00~17:45、文京区スポーツセンターにて。お一人の講習料金は¥23,000(特別料金)。

浪人時代のこと

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浪人時代のことを突然思い出すことがある。僕は駿台京都校(当時は二条城のそば丸太町にあった)に通っていたのだが、夏季講習の時だったか、親戚の家に1ヶ月ほど居候したことがあった。その間の記憶は妙に生々しく、帰宅途中突然夕立に遭い、ずぶ濡れのまま家に戻り、とにかく洗濯機を回したこと。初めて料理したのか、鰻の蒲焼を冷蔵庫から取り出してレンジで温めて食したものの、頭からバリバリと音をさせながら食べたこと。勉強しながらFM大阪を聴いていて(確かクレンペラーの「マタイ受難曲」が流れていたと思う)、ワルター&ウィーンのSP盤復刻ボックスが発売されたばかりで、視聴者プレゼント(1名にボックス・セットが当たる)があったので早速応募したら、何と当選し忘れた頃に自宅に送られてきて狂気乱舞したこと(このセットはいまだに大事に保管している)。

今となっては古き良き思い出たちだが、目標に向かってとにかく頑張っていた、生きていたあの頃が懐かしい。

愛の音楽家

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晴香葉子先生の「ポジティブ心理学カウンセラー・講師養成コース」も今日で6回目。カウンセラーにとって大切な「ポジティブ・フィードバック」について教えていただく。ネガティブなことでもポジティブなことでもとにかく率直に伝えることが大切だということ。もちろん相手に「想い」があるからこそのフィードバックであり、クライアントが傷つかないようにいかに効果的に伝えるかが重要だということだ。

そういえば僕は昔から「一言多い」タイプである。言わなくても良いことをついぽろっと言ってしまったり、笑いをとろうとブラック・ジョークを織り込んだつもりが、しらけるどころか相手を怒らせてしまったり・・・。おそらく幼少の頃は手がつけられないくらいおしゃべりで、おせっかいで、親は結構恥ずかしい思いをしていたのではなかったか・・・、微かではあるがそんなような記憶が頭の片隅にある。

その反動かどうかは不明だが、小学校に入り、学年を重ねるにつれ、だんだん大人しくなり、中学に上がる頃にはほとんど自分の内側を表現しない、無口どころかいわゆる「殻に閉じこもった」少年になっていた。もちろんいわゆる「自閉」ではないから、友達もたくさんいたし、普通に誰ともコミュニケーションはとれていたのだが。でもどこかで常に「孤独」を感じる、実は「寂しい」少年だったように思うのだ。

コダーイの音楽

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「洞察力」にもいろいろとスキル、テクニックがあることを教わった。
なるほど、直感的に相手を見抜くということはこれまで散々やってきたことだが、統計学的に集積されたデータをもとにした「技術」として捉えていくという方法もあったんだと感心した。あくまで統計ゆえ例外もある。しかしながら、かなりの確率で正確に捉えられるというのだから、こういうことは知っていて損ではない。

もっとも、技術を知ったからといって、すぐさま「洞察力」が向上するわけではないだろう。スキルやテクニックを本物にしていくには相応の「体験」が必要になるからだ。これを機によりたくさんの方に会い、話をし、聴いてみることにしよう。

「悲しき熱帯」が滅法面白い。レヴィ=ストロースのこの体験は70年以上前のものだから、現代に照らし合わせるとその内容に一層乖離があるかもしれないが、それでも非常に説得力があり、かつリアルな筆致が刺激的。先日、この本を読みながらヴィラ=ロボスの音楽に想いを馳せ、ヒナステラなど20世紀南米の音楽を聴き、こういう民俗色の強い音楽は人の心を大いに揺さぶる要素があるものだと思った。かの地の民謡や民俗音楽なるものといわゆる西洋音楽の語法が混じることで得も言われぬ恍惚感を伴った「新しい」音楽が生まれる。古くて新しい懐かしい響きをもつ音楽たち。

2010年9月

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