モダン・ジャズの最近のブログ記事

命懸けのピアニスト

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男と女、大人と子ども、与える人ともらう人。世の中、2つに分けようとするといろいろな分け方ができる。面倒見が良い人、そうでない人。見返りを期待する人、そうでない人。どちらが良い悪いではないが、人間模様様々だ。

他人思いの人は「おせっかい」な一面も当然持っている。何かとやってあげたいという思いが強い分、必要以上に注力するものだから少しばかり重くなる。特に見返りを期待するわけでもないのだから素晴らしい素養であるのだが、仕事をする上ではそのあたりが玉に瑕になることも時にある。人間関係のバランスというのはなかなか難しい。

タイマンだと何かと問題が生じることでも、第三者に客観的な眼で仲介してもらえれば状況が一変する。当事者であることがこれまた問題を難儀にする。一歩引いて冷静に・・・。

Live Under the Sky

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高校に入学したばかりの頃、中学時代はそこそこ勉強ができたという自負もあってか、何とか余裕でやっていけるだろうと思っていたのも束の間、最初の実力テストで鼻っ柱をへし折られた。数学についてはできると信じていたが、それは勘違いだった。ともかく全くわからない。自分でも唖然とするほどできなかった。数日後答案が返ってきた時、愕然とした。それまでに見たことがない点数。100点満点で確か6点だったか・・・。恥をさらすようで情けないが、それ以降、僕の数学苦手意識が一層強まった。

人間の感覚というのは面白いもので、一旦駄目だと思い込むとまったく理解できなくなる。授業についていくどころか、月日を経るにつれどんどん置いてけぼりにされる、そんな感覚に陥った。高校3年間で、数学の授業ほど僕にとって最悪の時間はなかったと言って良い。それがゆえ、当然大学進学は文系にしたし、数学を選択しなくて済むような大学を選んで志願した。僕が論理的思考力に少々欠けるのは、ティーンエイジャーの大事な時期に数学的思考というものを放棄したからだろうと今になってわかる。

自由って何だろう?

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「自由に振舞ってください」という指示を出すと、大抵の人は戸惑ってしまう。居心地の悪さとともに時間が過ぎ去る。人は誰でも「自由になりたい」と思いながら、いざ自由になると、どうしていいかわからなくなってしまうものだ。

僕は考えた。「自由」って何だろう?

自分が思ったこと、考えたことを好きなように行動できること。誰にも規制されることなく、ただ感じたままやりたいようにすること、なんだろうが、じゃあ、好きなようにするってどういうことなんだろう?そんなことを考えているといつまで経っても答は出てきそうにない。

最近思う。「自由」というのは人と人とが心からつながったときに生まれるものなのではないかと。魂と魂が触れ合うくらい、深いところで交われば、喜びや解放感に満ち溢れる。それこそが本当の「自由」だと思うのだ。やっぱり他への意識をいかに醸成するかがポイントだ。
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酒は百薬の長というが、ほどほどでないと逆効果になる。僕はもともと酒に弱い方だから、若い頃から決して飲める方ではないが、それでもその雰囲気が好きで、ほぼ毎日のように嗜む程度の酒量はこなしてきた。今では休肝日を設けているが、晩酌を楽しむことは多い。

ただし、一定量以上摂取すると眠くなってしまうというのが難点。ましてやちゃんぽんなどすると一遍にイッてしまう(苦笑)。

ミュージシャンの多くは、現実逃避という意味も多分にあったのだろうが、酒に強い、否、酒に溺れてしまう人が多かった。酒や麻薬というのは依存性があるから怖い。何事も度を越せば「クスリ」どころか「リスク」になってしまう恐ろしさがあるが、いわゆる芸術的天才諸氏にとっては、凡人には決してわからないような「悩み」があったはずだし、革新的なものを創作するために、酒に頼らざるを得なかったのだろうことは何となく理解できる。それで本望ならまるで肯定できるし、そのお陰で我々は後世の残る傑作を享受できるのだからありがたいと思った方がよい。

生と死の幻想

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自然に四季があるように、人間にもバイオリズムがある。桜は毎年同じ時期に花を咲かせ、実をつけ、そして枯れ、翌年また生まれ変わる。自然の大いなる力の前に人間の意志などまったく相手にならない。

くよくよ悩まず、あるべき姿に戻り、正しいと直感する方向だけしっかり定め、あとは流れに任せる方が良い。さすれば、なるようになる。それも最善の場所に行き着くのである。

久しぶりにオスカー・ピーターソンとアンドレ・プレヴィンのデュオを聴いて(観て)、痺れた。かつてポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーが「エボニー・アンド・アイボリー」で人類の調和を歌ったが、それより前にジャズ界を代表する黒人&白人ピアニストがまさに「ひとつ」になって音楽を奏でた類稀な瞬間であると僕には思えてならない(多分に大袈裟だが)。
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学習院大学特別客員教授木谷宏氏の講演を聴いたのだが、その中で先生がもたれているゼミの授業での話がとても面白かった。「『プロフェッショナル』という言葉で思い浮かぶ職業は何ですか?」という問いに対して、一般的にはスポーツ選手や芸術家、あるいは医師や弁護士といういわゆる士業などを挙げる人が大半を占めるという。『プロフェッショナル』って一体何なのだろう?ある学生が考えに考えた末、プロとは「挫折を知っている人」と答えたという。なかなか面白い回答だなと思ったそうだが、一方、その答に対して別の学生が、「いや、挫折を知っているのはもちろんだが、それを前向きなエネルギーに変え、乗り越えた人」だと切り返したのだという。こういうことを言うのはそもそも偏見に近いが、いまどきの学生も馬鹿にしたものじゃない、「なるほど!」と感心した。

『プロフェッショナル』というとあまりにも遠い存在のように感じるらしい。とても自分には届きそうもない雲の上のような存在、そんなふうに感じてしまうのだと。要は一握りのエリートのことを指しているようについつい思ってしまうのだ。では、そういう学生がモティベーションが低いのかと言えばさにあらず。普通の人たちよりはずっと将来のことを考えているし、仕事やキャリアについても真剣なのである。

赤坂氷川神社

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乃木坂と赤坂のちょうど真中に位置する赤坂氷川神社。とても静かで厳粛な雰囲気が漂う。東京の中心地にこんな場所があったとは知らなかった。神社を中心にした周囲は時計の針が止まったのではないかと錯覚するほど空気がゆったりと流れる。少し足を延ばすと赤坂サカスTBSなどのある盛り場&オフィス街に辿り着くのだが、もうこのあたりになると空気が重い。
ここのところ、明治神宮の清正井がパワースポットとして一躍有名になり、連日数時間待ちという長蛇の列ができるそうだが、はっきりいって比べ物にならないくらい「氷川神社」は神聖である。あまり有名になってもらっても困るので、こういうところには書きたくないが、この神社はおススメである。

乃木坂駅から神社に向かう途中道に迷ってしまった。近くの住人らしきおばさまに道順を聞いたら、説明できないからと言ってわざわざ車で送り届けてくれた。こういうところも東京っぽくない(笑)。代々赤坂に住んでおられる様子だったが、人情に厚い昔の江戸っ子気質ばりばりの気風のよさそうなおばさまだった。感謝。
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銀座でのミーティングの後、月光荘画室こんぱる中室で開かれている財津昌樹と山口マオの「トイレで知る・考える」カレンダー展にお邪魔した。財津さんは知る人ぞ知るいわゆるグリーンコンシューマーで、彼が20年近くに亘って制作し続けているカレンダーは「環境問題」に一石を投じる含蓄に富んだ言葉にいつも溢れている。このカレンダー、拙宅では指示通りトイレにかけてある。2009年のものは以前もブログで採り上げたように天晴れと唸るようなフレーズに毎月のように彩られている。2010年度のものも絶品。おススメです。
ちなみに、氏が制作するポスターのキャッチコピーがこれまた意味深い。なるほど、である。

「エゴイスト菌」
想像力が欠落した人に感染しやすく、肉体に苦痛をともなわないために本人が感染していることに気付かないでいる場合が多い。
日本人100人のうち99人がこの菌に冒されている
・症状:環境破壊

満月にインタープレイ

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まったくもって勉強不足でジャズには詳しくない。多くは語れないくせに、時折名盤といわれる音盤を取り出して、黄昏時か夜もほどよく更けた頃に耳を傾ける時がある。
何だろうなぁ、クラシック音楽にはない「ルールに収まり切らない」魅力がある。もちろんスタジオでの録音の場合きちっとまとまった形でレコーディングされているゆえ、ライブ演奏の即興のような醍醐味は薄れるのだけど。

ビル・エヴァンスが得意としたインタープレイ。すなわち演奏中にお互いの音に反応し、相手を刺激しながらより高次の音楽を生み出していくという方法。そう、ぶつかり合うことで、双方が現地点より一層高い地点に登り詰めるということだ。ライバルの存在があり、人は切磋琢磨し、成長する。

周りの音をよく聴き(周りの意見や話をよく聴き)、よりよく対話できることで、誰かと共にいる喜び、そして相手を受け入れることができたという楽しみ、さらに自分も相手に何かを返すことができたという三重の喜びで満たされる。ちょっとニュアンスは異なるだろうが、傾聴と受容の重要さをここでも教えてくれる。
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女流指揮者シモーネ・ヤングのブルックナーの評判が良い。残念ながら未だに聴く機会を逸しており、彼女の音楽創造を云々することはできかねるのだが、昔、エリアフ・インバルがブルックナーの録音を開始したとき、そのどれもが耳慣れない第1稿によるもので、まだまだブルックナーについてはそれほど深く追究しておらず、今となっては彼の新作を聴くような新鮮な気持ちで臨めるものの、当時は第4番「ロマンティック」にせよ第8番にせよ違和感だけが鼻につき、しばらく棚の奥に葬り去っていたことをなぜか思い出した。それから10年以上の歳月を経、いよいよブルックナー芸術の真髄というものを理解し始めたろう頃に、やっとその真価、ブルックナーの頭の中に最初に鳴った音を音盤に刻み込むという意味がわかり、今では時折「新作」を聴くつもりで対峙し、楽しんでいる。

裏を返せば、インバルの第1稿は見事に衝撃的だった。楽想が奔流する若さ(もともと大器晩成の芸術家ゆえ作曲当時の年齢は全然若くないのだが、弟子の忠告を受け容れる前のまっさらな姿という意味では若い!)ゆえの荒削りな「つくり」が僕の脳みそを刺激した。

2010年9月

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