ポピュラー&ロックの最近のブログ記事

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人の悪口や批判をする人は、たとえどんなに能力が高くても信用できない。ましてや、それが過去のことであれ自分の近くの人のことであったなら、やっぱり良い気はしない。誰しも「過去」は否定できまい。それがどんなに辛い体験であったとしても、そのことがあるゆえ「今」があるのだから。すべての出来事、そしてこれまで出逢った人々に感謝の念を忘れないことだ。ハワイ伝承のヒーリングである「ホ・オポノポノ」「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」、この4つの言葉がすべての問題を解決に導くのだという。

身の周りに起こる現象はすべて自分自身の「鏡」である。問題に直面した時こそ感謝の気持ち、あるいは懺悔の気持ちを忘れるなということだろう。

知らず知らずのうちに人は誰でも愚痴ってしまっている。言葉に出さずとも、ついついそういう気持ちに陥ってしまうのだ。あの時ああすればよかった。あの時ああじゃなければよかった。過去の否定は現在の否定につながる。そんなことが良いはずはない。

早3月、春の気配

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自身をポジティブにイメージすることは大切だ。
人間誰しも多かれ少なかれ「不安」をもつものだと思うが、何か問題に直面するとどうしてもネガティブに傾いてしまう。「今」を、ベストを尽くして生きていれば悪くなろうはずがないのに、ついつい将来の心配をしてしまうのである。

否定的な意味ではないが、明日のことなどわからない。とにかく「今」この瞬間を謳歌することが大切だ。

1月のハイチでの地震に続き、南米チリでも大地震が起こった。地震多発地区ではない沖縄でも震度4レベルのものが直近あったことを考えると、自然からの何か大きな警告なのか、それとも偶然なのか、あるいは単純に地下活動が活発化しているだけなのか、いずれにせよ大自然を前にしての人間の力など及びもつかないものだということを再確認させられるようだ。

ハイチの地震では何十万人もの人々が亡くなった。チリの場合も700名以上の死亡が確認されているようだ。亡くなった方々はまさか自分がこんな形で命を落とすとは思ってもみなかっただろう。
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Disciplineという名のバンドがKing Crimsonと名を変え、1980年代初頭に突如表舞台に現れたとき、世のプログレ・ファンは一瞬驚喜したものの、次の瞬間「果たして本当に大丈夫なのか?」という不安に駆られた。

ちょうど僕が大学に入学した頃、そのバンドの初来日公演が行われたが、かつてのへヴィーなファンももちろんその来日を子どものように喜び、楽しみにした。当時の映像はVTRやLDで残っているが、時折、ギタリストが古い楽曲を弾く瞬間も捉えられており、その一瞬だけが妙に神々しいオーラに覆われていることが逆に滑稽に映って、そうそう何度も繰り返し観ていられなかったことを思い出す。

僕の周辺でもほとんどのKing Crimsonフリークはこのバンドを「Crimsonに非ず」と否定した。当然ながら僕も、ほとんど自身の率直な、あるいは直感的な見解を横に置き、そういう風潮に完璧に同調していた(とはいえ、セカンド・アルバムもサード・アルバムもオンタイムにしっかりと聴いているのだが)。
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昨日の都内の気温は摂氏20度、今日は摂氏10度だという。こうも温度の変化が激しいと身体を慣れさせるのが大変である。ともかく体調を崩さないようにしないと。
毎日午前中に千葉のとある大学に出講するため、今週は毎朝早くに起床している。夜明け前の空気、雰囲気は春夏秋冬問わず心地よい。

人間と自然がひとつになるには太陽が昇り始める頃が一番良い時間帯なんだろう。いまだ灰色の空を見上げながら、少しだけ窓を開放し、少しずつ身体を動かし始める。右に21回転・・・。

電車に揺られること2時間。ここの学生たちはとても素直である。都会の喧騒を離れてのキャンパス・ライフは伸び伸びとしてとても良いものなのだろう。ただし、一方でのんびりしすぎて危機感が薄くなる傾向もある。講座に出席する学生などは意識が高い方だからよい。そういう学生はわずか20%にも満たないそうだから、あとの8割の学生は大変だろう。いや、本人にそういう意識がないのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが。フリーターでもいいやと諦め気分で過ごす輩も多かろうが、20年後のことをもっと真剣に考えろと言いたい・・・。

鳥のように自由に

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1971年、95歳で国連平和賞を受賞したカザルスは国連で大勢の聴衆を前にカタロニア民謡「鳥の歌」を奏した。彼ははこの曲について次のように語ると、弦楽の伴奏に乗り、徐にチェロを弾き始めるのだ。

私はカタロニアの人間です。今ではスペインの一地方ですが、カタロニアとは一体何だったんでしょうか?カタロニアは世界でも最も偉大な国でした。これから短いカタロニアの民謡を1曲演奏します。この曲は「鳥の歌」と呼ばれています。空の鳥、宇宙の鳥は「ピース(平和)!、ピース(平和)!、ピース(平和)!」と歌います。この曲はバッハやベートーヴェンなど大作曲家もきっと愛したでしょう。とても美しい曲です。それに私の祖国カタロニアの魂なのです。

老巨匠による、「鳥の歌」は本当に感動的だ。まさに平和のシンボルとしての「鳥」がこの音楽の中に飛翔する。

古来、人は鳥のように自由に飛びたいと願った。いつの日か大空を羽ばたくことを想像した。そして、ライト兄弟によって飛行機が発明され、人類はその夢の第一歩を踏み出した。

QueenとKWEEN

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気がつくと「我(が)」に入っている自分がいた。
ともかく四六時中「自分のこと」ばかり考えているのである。
そういう時は思考がまったく働かない。
もちろん他人に何かしてあげたいなどとは思いもよらない。

人間は生活する中で、自身の身体を維持するために「自己防衛」という本能を与えられている。重要な機能なのだが、過剰になると心身に異常を来す。自分事は4割、あとの6割は他人への想いや感謝に費やすことが自ずとできるようになればどれだけ楽だろうか。

僕は長男である。年子で生まれた妹がいる。得てして第一子というのは損な役回りを預かるものだ。親も決して意図するわけではないのだが、下に対しての保護が厚くなる分、上は圧倒的に欲求不満に陥る。そういえば、子どもの頃、妹と比べて「なにが損だ、なにが得だ」と不満を垂れ流し、よく喧嘩をしていたものだ。そう、自分のことばかり考えていたのである。

要はストレートな交流ができなかった、つまり素直になれなかったということだ。本当はありのままのフィーリングを解放し、ぶつかればすんなりと何事も解決できるのに。

一通のメール

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バルザックはいう。

しかしただ一つのことを知っておきたまえ、そしてしっかりとあなたの柔軟な心にきざみつけておきたまえ、人間が孤独にたいする恐怖をもっているということを。すべての孤独のなかでも、精神的孤独がもっとも恐ろしいものだ。神とともに住む最初の隠者は、精霊たちの世界にびっしりととりかこまれて生活していた。癩病患者であれ、囚人であれ、罪人であれ、病人であれ、最初にうかぶ考えは、かれの運命に同伴してくれるものがほしいということである。この生命そのもののような衝動を生かすために、人間は全力を尽くす。生活のすべてのエネルギーをついやす。(バルザック「幻滅-メディア戦記」より)

自由になりたいと望みながら、いざその「自由」を手に入れると、無性に寂しくなる。何かに縛られているときは不平不満を抱えて文句ばかり言っていたのに、である。人はほどよい「縛り」があってこそ本当の力を発揮できるものなのかもしれない。

Christopher Cross

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息が詰まるようなとき、心身をほぐすのにSimon & GarfunkelやChristopher Crossの音楽を耳にすると「嫌なこと、辛いこと」がすっかり頭の中から遠のき、心地良い「癒し」に満たされる。今に始まったことではない。そういえば若い頃からそうだった。久しぶりに"Scarborough Fair/Canticle"を聴く。初めて聴いたのは一般より少し遅かった。ちょうど大学に入学した間もない春先、友人が薦めてくれた音盤を早速買い求め、独りじっくりと聴いた。名曲"The Sounds of Silence"、"Mrs. Robinson"、"Bridge Over Troubled Water"など、一度聴くなり彼らの音楽の虜になった。そして、一際僕の心の琴線に触れた音楽が"Scarborough Fair/Canticle"だった。一度聴いただけでは決して真似することのできない複雑で完璧なハーモニーから発せられる得も言われぬ感動的で静謐なメロディとエネルギー。この音楽が持つ特別な力に19歳になったばかりの僕はねじ伏せられた。

同じ年、Christopher Crossが発表したセカンド・アルバム"Another Page"が、僕の周りで大いに流行った。ファースト・アルバムほどの売上を伸ばすことはできなかったようだが、この美声のAORシンガーのファンだった友人の影響で、寝ても覚めてもクリストファー・クロスという時期があった。特に、同アルバムに収録されている"All Right"は我々友人同士の間では「合言葉」になるほどだった。その"All Right"にまつわるエピソードを思い出すだけで自然に笑みがこぼれる・・・。もう27年も前の話・・・。

人と人のつながり

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人のつながりの大切さをあらためて感じさせられた一日だった。
結婚式の披露宴に始まり、二次会、そしてお茶だけとはいえ30歳前後のある一時期に同志として切磋琢磨しあった仲間たちとの懇親会まで8時間近くの濃い時間を過ごさせていただいた。久しぶりに会う人、しばしば顔を会わす輩、年代や職業は違えど会えば時間も空間も超えて話に花が咲く。不思議な一体感に満たされる。

3年前まで勤めていた会社は今はもうない。よって当時のセミナーを請負える人は僕以外いなくなっているという状況である。それでもあの体験を友人に伝えたいと思っている人たちはたくさんいるようで、僕が現在細々と「ワークショップZERO」なるセミナーを開催していることを聞きつけ、それについて尋ねてくる人たち。そう、当時のセミナーのエッセンスを取り入れつつ、僕なりの進化させた解釈を入れ込みながら進めてゆくこのセミナーはおススメだよと僕は太鼓判を押す。こういう世の中だからこそ必要とされている大切なことなんだと実感する。ますます頑張ろうという気持ちになる。

名曲喫茶ルネッサンス

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時が静止してしまっているかのような空間。若い男性が二人。それぞれ別の席を陣取り、宙を観てただひたすら「音」に向かっている。それに小さな声で申し訳なさそうにおしゃべりに夢中になっている若い女性二人。僕がそのお店に入ったときは懐かしくも円やかな響きで鳴るモーツァルトの音楽以外ひとかけらの物音も立たない静寂で周りが包み込まれていた。みんな真剣である。後から入ってきた中年のサラリーマン二人組も黒板にリクエストを書き込み、ソファーに座り込むなり目を閉じ、まるで瞑想をするかのようにその音楽に没頭し始める。

高円寺の名曲喫茶「ルネッサンス」を訪れた。黄色地に赤い字でただ「ルネッサンス」と掲げられた看板を背に階段を降り、地下1階の店内に入るとそこは昭和の匂い。古びた調度品が並び、真空管アンプと大型のスピーカーが据え置かれ、パチパチという針音を伴った音楽がほど良い音量で流れる。歌劇「魔笛」の序曲が始まったところだった。その後すぐに第1幕の冒頭につながったので全曲盤なのかと思いきや、台詞がカットされた抜粋版のよう。正味1時間のモノラル録音。あえて演奏者を確認しなかったのだが、アナログ・レコードの何ともいえない風情のある音を久しぶりに聴いて心が洗われすっきりとした気持ちになった。今時、名曲喫茶は流行らないのだろう店内の人は数えるほどで、何といってもドリンク1杯400円でいつまでいても差し支えないようだし、食べ物の持ち込みも可能というとだから、場合によっては飽きるまで長居できそうだ。駅近くの流行の外資系チェーンカフェも便利だが、そういうところでは体感し得ない「安心感」がここにはある。

2010年3月

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