ハード・ロックの最近のブログ記事

心・技・体

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エルーデ・サロンでは、新月に合わせ女子のためのイベントが行われるということで、男子である僕は早々と追い出された(笑)。教え子が離婚をしたというので、その報告とあわせてセミナーに後輩を紹介したいということ、そして独立して新規ビジネスを立ち上げる予定なのでコラボできないかということでもあったので、久しぶりに会うことにした。

先日も書いたが、それにしても若くしての離婚が多い。双方の話をしっかりじっくりと聴かないと公正な判断ができないので何とも言いかねるが、奥様が育児ノイローゼになったことがその発端になったのだとか。確かに日中、ほとんど言葉を交わすことができない乳児と二人きりで部屋の中に居続けることは精神的にも相当きつかろう。本来ならいくら仕事が忙しいとはいっても夫が話し相手になり、コミュニケーションを十分にとるべきだったのだが、今のこの景気の状態や年齢などを考えると、寸暇を惜しんで働かざるを得ない状況だったのだろうと、男性側の気持ちもよく理解できるから、どちらが正しいとははっきりいえないところがやはり心苦しい。
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昨日の都内の気温は摂氏20度、今日は摂氏10度だという。こうも温度の変化が激しいと身体を慣れさせるのが大変である。ともかく体調を崩さないようにしないと。
毎日午前中に千葉のとある大学に出講するため、今週は毎朝早くに起床している。夜明け前の空気、雰囲気は春夏秋冬問わず心地よい。

人間と自然がひとつになるには太陽が昇り始める頃が一番良い時間帯なんだろう。いまだ灰色の空を見上げながら、少しだけ窓を開放し、少しずつ身体を動かし始める。右に21回転・・・。

電車に揺られること2時間。ここの学生たちはとても素直である。都会の喧騒を離れてのキャンパス・ライフは伸び伸びとしてとても良いものなのだろう。ただし、一方でのんびりしすぎて危機感が薄くなる傾向もある。講座に出席する学生などは意識が高い方だからよい。そういう学生はわずか20%にも満たないそうだから、あとの8割の学生は大変だろう。いや、本人にそういう意識がないのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが。フリーターでもいいやと諦め気分で過ごす輩も多かろうが、20年後のことをもっと真剣に考えろと言いたい・・・。

鳥のように自由に

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1971年、95歳で国連平和賞を受賞したカザルスは国連で大勢の聴衆を前にカタロニア民謡「鳥の歌」を奏した。彼ははこの曲について次のように語ると、弦楽の伴奏に乗り、徐にチェロを弾き始めるのだ。

私はカタロニアの人間です。今ではスペインの一地方ですが、カタロニアとは一体何だったんでしょうか?カタロニアは世界でも最も偉大な国でした。これから短いカタロニアの民謡を1曲演奏します。この曲は「鳥の歌」と呼ばれています。空の鳥、宇宙の鳥は「ピース(平和)!、ピース(平和)!、ピース(平和)!」と歌います。この曲はバッハやベートーヴェンなど大作曲家もきっと愛したでしょう。とても美しい曲です。それに私の祖国カタロニアの魂なのです。

老巨匠による、「鳥の歌」は本当に感動的だ。まさに平和のシンボルとしての「鳥」がこの音楽の中に飛翔する。

古来、人は鳥のように自由に飛びたいと願った。いつの日か大空を羽ばたくことを想像した。そして、ライト兄弟によって飛行機が発明され、人類はその夢の第一歩を踏み出した。

QueenとKWEEN

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気がつくと「我(が)」に入っている自分がいた。
ともかく四六時中「自分のこと」ばかり考えているのである。
そういう時は思考がまったく働かない。
もちろん他人に何かしてあげたいなどとは思いもよらない。

人間は生活する中で、自身の身体を維持するために「自己防衛」という本能を与えられている。重要な機能なのだが、過剰になると心身に異常を来す。自分事は4割、あとの6割は他人への想いや感謝に費やすことが自ずとできるようになればどれだけ楽だろうか。

僕は長男である。年子で生まれた妹がいる。得てして第一子というのは損な役回りを預かるものだ。親も決して意図するわけではないのだが、下に対しての保護が厚くなる分、上は圧倒的に欲求不満に陥る。そういえば、子どもの頃、妹と比べて「なにが損だ、なにが得だ」と不満を垂れ流し、よく喧嘩をしていたものだ。そう、自分のことばかり考えていたのである。

要はストレートな交流ができなかった、つまり素直になれなかったということだ。本当はありのままのフィーリングを解放し、ぶつかればすんなりと何事も解決できるのに。

余波

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理屈ではなく、直感的に物事を捉えることが大事な時が時にある。いや、全てのことは本来そういうものなのかもしれない。自分の感覚やセンスを信じることは極めて大事である。

世の中、知らないことがあまりに多い。中には知らなくても良いこともある。表の世界、裏の世界、その全部を一望することが不可能であるにしても、「真実」を知ることは大切なことであり、上面の状況に惑わされず何事も深掘りすることが重要だ。「なぜ?」という問いかけ。

諦めずに続けることは大切なことだが、時には潔く「諦めてしまう」ことも大事。そう、拘らず、執着せず、いっそのこと捨ててしまうこと。確かに勇気は要るが。いつだったか読んだ「ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。」に、「目標を立てるな」ということが書いてあったが、ニュアンスはそれに近い。多分に逆説的ではあるものの当を得ている。
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レッド・ツェッペリンの音楽ってどうしてこんなにも刺激的なのだろうか?
第5作「聖なる館」を繰り返し聴いていると、音の洪水の中に身をさらわれ、気が狂うほどの圧迫感と、同時に得体の知れない充足感に身も心も晒され、居ても立ってもいられなくなるほどの「浮遊感」を覚えてしまう。特に、名実共頂点に君臨していた頃、すなわちこのアルバムを制作した頃の彼らの思考、波動、動き・・・、どれをとっても完璧で感動的である・・・。

週末の「早わかりクラシック講座」に向け資料作りをしながらシュトラウスの音楽を流しっ放しでいたら少々聴き飽きた。リヒャルト・シュトラウスの交響詩の問題点はどうやら繰り返し反復に耐え得ないということだろうか・・・。リストやワーグナーなど新ドイツ楽派の影響をもろに受け、創作された交響詩の数々は名作揃いである。しかし、これまた彼の芸術のもう一つの柱となる「オペラ」に比べると決して薄っぺらというわけではないが、彼独自の語法に基づきながらもどこか「二番煎じ的」な弱点を晒しているように感じるのである(20世紀初頭、いわゆる交響詩の世界を卒業し、ほぼオペラの創作に集中し始めたのは、交響詩というジャンルを完成させたというより彼自身この分野に限界を感じてのことだったのではないのかとふと考えた。実際のところは不明だが)。

四重人格

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今はとても便利な時代である。どんなことでも知りたいと思えば、ネットで検索するといくつもの該当ページが表示され(検索ワードを間違えない限りだが)、必要な情報で満たされており、いつ何時でも知りたいことの詳細を得ることができる。

「クラシック音楽講座」をやるにあたり、いつもは雑誌や書籍、あるいはインターネットなどを駆使して、文献を漁り、時代背景や作曲家の人となりをそれなりに調べた上で資料を作成することにしている。
今月はロドリーゴの「アランフエス協奏曲」を採り上げることになっているのだが、ロドリーゴに関する資料のいかに乏しいことか・・・。今年は没後10年という節目に当たる年であり、「レコード芸術」や「音楽現代」などの雑誌類、あるいは新刊予定書などをあたりつくしても、ある程度まとまったものがなさそうなのである。ひょっとして2002年の生誕100年のときに特集が組まれていたのかもしれないが、残念ながらまったく記憶にない。所有する雑誌の全てをひっくり返して調べるわけにもいかずどうしたものか悩み中。はたと困った・・・。
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6月に入ってからクラシック音楽を聴いていない。特に意図しているわけではないが、気がつくとロックやジャズやタンゴなど、かつてのめりこんで聴いていたアーティストの音盤を久々に取り出して流していることが多い。何か内に鬱積したものがあるのかどうか、外に向けて発散、発信したいという願望が深層心理にあるのか、クラシック音楽では得られないカタルシスを求めてグルグル周っているような感じだ。それにしても久しぶりに聴く「それぞれ」の音楽は刺激的。ピアソラ然り、コルトレーン然り、もちろんブルース・スプリングスティーンもだ。世の中には様々なジャンルの音楽がある。それぞれのジャンルでは何千、何万という専門家がしのぎを削って、ともかく第一線に出ようと努力をしている。それでもメディアに採り上げられ有名になれるのはほんの一部、氷山の一角に過ぎない。どんな分野の音楽活動にせよ、命を懸けてやり続ける人には敵わない。もって生まれた才能ももちろん重要だろう。運の良さというのもあるかもしれない。それでも、ひとつのことをとことん追求し努力する人が僕は好きである。
夕食を摂りながら、テレビのスイッチをつけると、かつて一世を風靡した有名人の「今」をレポートする番組をやっていた。過去の栄光は今何処・・・?夢破れて新たな目標に向けて頑張る人、ひとつの夢を達成してあらたな挑戦をする人・・・、それでも、誰もが「今」を十分に楽しみ、それぞれの分野でうまくやっている。

デトックス

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人って意外に狭い世界でだけ生きている。特に、今いる環境に左右され、そこしか見えなくなっていることもままある。「情に篤い」人に限って、自分が何とかしなければとか、自分がいなければダメなんだくらいの意気込みで身を粉にして一生懸命に頑張ってしまう。「のりしろ」をもってうまく渡る分にはまだいいが、人によっては身体を壊すくらいまで自分のことを省みず、熱中してしまうこともあるのだから気をつけるべし。「情は人のためならず」とはよく言ったもの。

安部司著「なにを食べたらいいの?」(新潮社)を読んでいて、添加物で精製されたいわゆるサラダ油が身体に良くないのだと初めて知った。かつて日本人は油といえば、大豆やなたねを圧搾して作った「てんぷら油」(味がしっかりと濃くて、身体にいいビタミンEがいっぱい入っている)を主に使っていたのだが、重くて臭いという理由で多くの家庭が使用を止めてしまったということ。そのかわりに登場したのがサラダ油。搾った油の上澄みを取り、精製するからいくらでも量を摂取できる。同時に劣化も早いので、酸化防止剤も必要になる。そういえば、動物性の食材を使わない今日のようなときでもサラダ油が大量に必要な揚げ物などをたくさん食べると胃酸が上がってくるような「胃もたれ感」(昔「ほか弁」を食べたときに感じた違和感と同じ)を感じるのは、そのせいだったんだということに気がついた。たとえそれが植物性だろうと、結局油のとりすぎは健康に良くないということだ。

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