海童道(わたづみどう)

| コメント(2) | トラックバック(0)
watazumido_practical_philosophy.jpg
デスクトップPCが起動しなくなった。どうやらハードディスクがやられた模様。ウィルスに感染した挙句の「オチ」かもしれない。3年前に人様からいただいた中古品ゆえ致し方なし。役目が終わったということかな。

まもなく2010年を迎える。何と元旦は満月であるという。しかも部分月食まで起こるのだと。古いものが消滅し、新しいことが始まる予感であり、不要なものが駆逐され、必要なものが自ずと脚光を浴びる時代になるのだろう。本物だけが残るのである。

周りの動きが慌しい。どうしても転職を余儀なくされる人。あるいは引き戻される人。一見最悪に見えることでも後になって振り返って見ると「あの時のあれはああで良かったんだ」ということになることが多い。最終的には自分自身を信じることしかない。アンテナを立て、直感で感じとり、進むべき方向に進むこと。

「何ができるのか?」―独自の世界を築き上げた人を、人は「孤高」と呼ぶ。俗世間から離れずとも、できることを追求してゆく人はかっこいい。種を蒔き、水を遣り、太陽を浴びて芽吹く。花が咲き、やがて果実が実る。一所懸命が大事なんだな・・・。
ようやく年賀状を書き終え、投函した。例年はおススメCDや書籍など、僕の一方的な「想い」を賀状に認め、縁ある方々に送付させていただいていた。毎年楽しみに待つ方もいらしたようだが、自己満足の世界ということもあり、中には「意味がわからない」と不評を買うこともあったようなので(笑)今年からそのスタイルはやめることにした。

松岡正剛氏の「連塾・方法日本Ⅱ」を読んでいて、中村明一氏の尺八の素晴らしさに触れた箇所があり、その音がどうしても聴きたくなった。

中村: ええ、尺八の楽譜では、記譜の文字と音高とが、一対一対応をしてはいない、ということです。尺八は一見素朴な楽器ですけれども、ある意味で人間の体に入っていくような進歩の仕方をしているんですね。西洋の楽器は、指が届かないところへ向かっていかに指を運ぶかという体外に向かってどんどん発展していくとこ ろがあります。尺八の場合は、正倉院に所蔵されている中国から伝わったものからくらべると、内径が非常に太く変化しているんですね。これは世界の楽器の発展の仕方からすると逆行です。
松岡:どんどん吹きにくくなっている。
中村:そうなんです。ふつうは縦笛はだんだん細く吹きやすいものになっていきますし、この手孔もどんどん増やすことで音質・音量が平均的に出るようになっていく。ところが尺八の場合は手孔の数がどんどん減って、しかもだんだん大きくなっています。手孔は小さいほうが演奏しやすいはずですよね。指で閉じたり開けたりするのが簡単で、オンかオフかのデジタルな動きを正確にすることができますからね。ところが、これが大きくなると、指で押さえきれなかったり、閉じそこなったりする恐れも生じます。
(前掲書P61~62より抜粋)

武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」を初演した横山勝也氏を師とする中村明一氏の尺八。一度じっくりと生演奏を聴いてみたい、心底そう思った。残念ながら彼の音盤は所有していないので、師の横山氏のこれまた師である海童道祖の音盤、それも唯一のライブ録音を。

海童道 無装飾無調音
吹定(すいじょう)=海童道祖(わたづみどうそ)
(1973.12.5Live東京文化会館小ホール)


以前、 海童道祖を採り上げた。身震いするほどの険しさと緊張感をもつ傑作「神秘の竹の音-前衛と古典」である。「吹定」という行為は、道具と呼ぶ竹笛を用いて、修行を積む方法であることから演奏が一般公開されることがなかった。しかしながら周囲よりの長い間の懇請を受け、ようやく昭和48年12月5日に「海童道を聴く会」として開催されるに至ったということである。解説書によると、当日の楽曲(=道曲とよぶ)は初めから選ばれず、道祖がその場の気分に即して選び、簡単な説明を加えながら演奏を披露していったという。音盤には道祖の解説ともどもその全容が記録されているが、とにかく凄い!魂に直接的に響く音であ る。

特に、「鶴の巣籠り」においては、素人が単に切取っただけという竹を使って、「指を躍動させ、呼吸だけを使う」奏法により信じられない感動的な「音楽」が演奏されている。

上野のアメヤ横丁には本日だけで40万もの人が訪れたのだという。そういえば昨年12月30日にぶらりと出掛けた時に立ち寄ったが、とても歩けるような状態じゃなかったことを思い出す。日中、巣鴨地蔵通り商店街を散策。歳末ゆえの賑わいかもしれないが、昔ながらの商店街は活気があって良い。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://opus-3.net/mt/mt-tb.cgi/582

コメント(2)

おはようございます。
松岡正剛氏の「連塾・方法日本Ⅱ」、未読ですが、テーマが目下私の最も興味のあることのひとつなので面白そうです。
実は私も、これからの日本人の思考に一番必要なのは、「引き算の美学」だと考えていたところでした。エコやCO2削減にしたってそうですし、卑近な例でいえば、何千枚も所有しているCDなんぞ、真に必要な数百枚か数十枚を除いて全部処分したら、どんなにスッキリするだろうとマジに思っていることなどもそうです。


中村明一氏の、尺八の素晴らしさについての話も納得です。
>これは世界の楽器の発展の仕方からすると逆行です。
ゲームやスポーツでいえば、難易度が高くなり、奥深く進化しているということですね。ボウリングだって、ガター(ガーター)があり難しくなってるからこそ面白いですものね・・・って、ちょっと場違いな譬えでしたか(笑)、失礼しました。
しかし、そもそも楽器の進化って何なのでしょうね。極論すれば、私や岡本さんでもボタンひとつ押せば、思うがままの解釈でリストの超絶技巧曲が完璧に弾けてしまうほど演奏技術が簡単になるよう改良されたピアノが発明されたら、それは楽器の進化といえるのでしょうか?


「海童道 無装飾無調音」も、未聴なので、ぜひとも聴いてみたいです。


ところで、正倉院に所蔵されている中国から伝わった楽器と聞いて、急に私の脳裏に、今まで誰も考えつかなかった仮説が閃きました! これは神仏からのお告げなのでしょうか?!
その仮説とは、
「ヴィオラと琵琶は、シルクロードの元を辿れば同じ語源である!!!」
何?根拠は?ですって?
「根拠は後から貨物列車に乗って付いてくるんです!!!」

>雅之様
おはようございます。

>これからの日本人の思考に一番必要なのは、「引き算の美学」だと考えていたところでした。
同感です。不要なものは捨て、いろんな意味で身軽になった方がいいですね。柔軟性が大切だと思います。その点、僕は頑固でまだまだです。

文明の進化は、ある意味人間の退化とイコールだと思います。人間と自然とは一体であり、かつ大いに乖離している、そういう「矛盾」が内側にあるように思うのです。そういう意味では、おっしゃるとおり「難易度が高くなり、奥深く進化しているということ」ですね。

海童道祖の演奏はぜひとも聴いてみていただきたいと思います。今回の音盤も素晴らしいですし、2007年8月に紹介したものも途轍もない代物です。

>「ヴィオラと琵琶は、シルクロードの元を辿れば同じ語源である!!!」
いや、ありえるんじゃないでしょうか!
そういう僕にも根拠はないですが(笑)。

コメントする

2010年7月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のコメント