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僕の部屋では毎朝定刻にNHK-FMが流れるようにラジオがセットされている。もう十数年の習慣である。平日はゆったりとクラシック音楽が聴こえてくるのだが、毎週土曜日はピーター・バラカン氏のDJによる「ウィークエンド・サンシャイン」という番組が鳴り出す。イギリス、ロンドンで生まれ育ったバラカン氏の知識、そして音楽体験は並大抵でない。過去のポピュラー・ミュージック・シーンを体感的に語れる人は彼以外にいないのでは・・・。しかも、常に「新しい」音楽を発掘しようとするチャレンジングな姿勢がまた魅力的なのである。というより、異常に音楽好きなのだろう、ともかく彼から学ぶことは大いにある。

ピーターさんとは2度ほど仕事の関係でお会いしたことがある。前職で英会話スクールの運営、英会話教材の開発にも携わっていたこともあり、テキストの付録CDのナレーターとして出演していただいたことがあったからだ。とても気さくで謙虚、それに(当たり前だが)日本語も英語もお上手で、話がこれまた面白い。まったく表裏がなく、あのラジオでの調子そのままのピーターさんなのである。
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まる1日あちこち動き回り、頭も相当使ったので、今日はブログを書くのをよそうかと思っていた。先日のポゴレリッチのコンサートで、プログラムにないブラームスの作品118-2が、あまりに異形のピースになっていたことは横に置いておくとして、僕にとっては極めて深みのある晩年の作曲者の心境―孤独とか抑圧とかの類―を見事に表現し得ていた独自のパフォーマンスだったことが忘れられないことと、そういえば今日はブラームスが生まれた日だったことを思い出して、せっかくだから彼の音楽を聴こうと音盤を取り出し、ついでにブログを書いてしまおうとパソコンに向かった(とはいえ、頭がしっかり働かないので、短めにしておく・・・)。

音楽をすることとは、それを創作した音楽家のそのときのフィーリングをいかに表現できるかが重要なポイントなのではないか。たとえそれが、彼が想像した枠をはみ出していたとしても、聴く側に相応の感情が伝わるのならばそれはありだと。だから、表現方法、スタイルは無限にあってよし。とにかく様々な解釈を感じ、享受できるという余裕を持ちたいものである。
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ゴールデンウィークが終わり、世間の喧騒が戻ってきた。
自宅からオフィスに徒歩で通勤する途中の「気」が明らかに違う。人が動き出すと「空気」が変わるっていうのは本当なんだ・・・。

昨日のポゴレリッチのコンサートについて、サイトで検索するといろんな人がいろんな意見を書かれているのが発見できる。賛否両論で、やっぱりついていけない人も多かったよう。確かに、3年ほど前のリサイタルはもう少し一般的に受け容れられ易い解釈だったように思うし、それくらいに今回の演奏会はぶっ飛んでいたということだが、僕に言わせれば、これがポゴレリッチの進化、深化であり、ひょっとすると神化かもしれないとさえ思え、真の芸術というものはこういうものであり、解釈の幅の広さが尋常じゃない(人智では計り知れないものという意味合いも含め)ということをわかって享受するべきものなんじゃないかとも思うのである。多分に横柄な言い方になるけど・・・。

昨日の静かな興奮がやっぱり蘇る。というより、深く考えさせられる。あれは、1と2の間に無数の数が存在するように割り切れない、答にならない、答を見出すことなんて不可能な体験だったのだ。それこそありのままを受け容れるしか我々凡人にはできない。あんなパフォーマンスは他の誰にも真似できまい。そんな勇気など誰も持たないだろうが・・・。
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別世界、否、別次元の空間だった。
前半は、時折「祈り」の瞬間が訪れるものの、それでもまだまだ混沌としており、完全に彼の世界に浸り難かったが、休憩を挟んでの後半は、もう言葉では表現し難い崇高な時間を過ごさせていただいた。息を凝らし一音一音を聴き逃すまいと静まり返った聴衆の反応。そして鼻息を荒くし、轟音を鳴り響かせたかと思うと、どうやってこんな繊細な音を出せるのだろうと思える、にわかには信じられない静謐さとが入り混じるスタインウェイ。ほとんど儀式のような3時間。
そう、これはポゴレリッチ教の儀式なのである。この孤高のピアニストのほとんど自己陶酔的なパフォーマンスに、狂信的なまでにすがろうとする信者たちを取り囲むように、興味本位で観てみようと訪ねてきた一般の音楽ファンたちが、第三者的に、あくまで客観的、冷静に彼の演奏を捉えようと耳をそばだてる、ある見方をすれば、そんなような光景である。

昨年1月のリサイタルで披露する予定だったプログラムを引っ提げてイーヴォ・ポゴレリッチが来日した。外は初夏の陽気。そして、サントリーホールの中はといえば久しぶりの公演に期待で胸を高鳴らせる満員の聴衆。

心をつなぐ

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とても素晴らしい1日だった。
銀座ain sophで開催した「ワークショップZERO~ゴールデンウィーク・スペシャル1dayセミナー」が無事好評の裡、終了した。

セミナー中、あれこれと「想い」を巡らせた。場合によっては1日でポイントを多くの方に教授するというやり方もありなのではないか、あるいは、女性に特化した「関係性向上」セミナーにしてみてもいいのではないか、などなど。ともかく僕の本心はひとりでも多くの方に「真実」を知っていただきたいということである。ありのままの自分で良いんだということを1分1秒でも早く気づいていただきたい。そして、自然体で心をつなぐコミュニケーションを体験した時に人間は真に「自由」になれるんだということをお知らせしたい。そんなことを考えた。

最後にいただいたアンケートの一部を抜粋する。
「本来の自分をとりもどす言葉ではないコミュニケーションの力の強さを感じました」
「女性だけのせいか、とても繊細で、受容的で、やさしさにあふれていました」
「このような本質に働きかけるワークははじめてでしたので、最初は戸惑いましたが、(一見)単純なワークの中に真髄があり、内から良い意味でくずされていくのを実感しました」
「胸の中から、心の中から愛が泉のように湧き出るセミナーだったなぁと思います」

などなど。

強みと弱点

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「ワークショップZERO」の「強み」って何なんだろう?
ここのところそのことについて考えている。
人間って自分のことになると途端に疎くなる。よくわからなくなるのである。セミナーについても、主観的な、あくまで主観的な「強み」は言えるのだが、それが客観性をもつかどうかという話になると自信がない。よく企業研修などでは終了直後に参加者にアンケートを書いていただく場合が多いが、残念ながらそういうことにこれまで頭が回らず、僕の手元には受講生のホットな感想が残っていない。せいぜい何ヶ月後かに一部の方に「想い」を書いていただいて、ホームページに掲載している程度である。

ユーザーからの評価―それは「強み」も「弱点」も含めてだが―を知ることは大切なことだ。昨日に引き続き別件で会った卒業生に聴いてみた。
曰く、「日々起こる人間関係の問題についてなぜそうなるのかが理解できるようになった」「人間関係の問題の原因がより深いポイントまでわかるようになった」「単なるスキルではないこと」「誰もが悩みを持って苦しんでいるということがわかった」「家族の絆が深まった」「自分の弱みを知り、自分の過去を洗ったことで、能力が開花した」など。
そして、「具体的に行動を起こしていくためのプログラムを開発するとなお良い」というアドバイスまでいただけた。

セゴビアの芸術

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明後日、銀座のain sophで1日の特別セミナーを開催するのだが・・・、
参加いただく方それぞれに意義深い、そして大いに意味のある「記憶に残る」1日にしたいと思い、スケジュール進行や内容をいま一度吟味した。
ここ数年の経験からお伝えしたいことは山ほどあるが、やはり「人間力」というテーマはぶらさず、しかもスピリチュアル的・現実生活的両方の足がかりになる内容にするということが第一か。それに全員女性だというのも面白いし、いろんな世代の方たちが「集まる」には偶然でなく相応の理由がありそうだから、その「理由」にできるだけピンポイントで体感していただけるようプログラムを考えようと思っている。

今回のポイントはやはり「関係性」のような気がする。
「関係性」を知り、「関係性」を認め、そして「関係性」を受け容れる。それにはどういうプロセスを経ればいいのか、それが大きなテーマになろう。
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酒は百薬の長というが、ほどほどでないと逆効果になる。僕はもともと酒に弱い方だから、若い頃から決して飲める方ではないが、それでもその雰囲気が好きで、ほぼ毎日のように嗜む程度の酒量はこなしてきた。今では休肝日を設けているが、晩酌を楽しむことは多い。

ただし、一定量以上摂取すると眠くなってしまうというのが難点。ましてやちゃんぽんなどすると一遍にイッてしまう(苦笑)。

ミュージシャンの多くは、現実逃避という意味も多分にあったのだろうが、酒に強い、否、酒に溺れてしまう人が多かった。酒や麻薬というのは依存性があるから怖い。何事も度を越せば「クスリ」どころか「リスク」になってしまう恐ろしさがあるが、いわゆる芸術的天才諸氏にとっては、凡人には決してわからないような「悩み」があったはずだし、革新的なものを創作するために、酒に頼らざるを得なかったのだろうことは何となく理解できる。それで本望ならまるで肯定できるし、そのお陰で我々は後世の残る傑作を享受できるのだからありがたいと思った方がよい。

着想力

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僕はおそらく「着想」が低い。斬新なアイデアを出し、新しいこと、モノを多角的な視点から創造する能力に欠けている。「着想」とは、過去と未来をつなぐ架け橋のようなもので、「着想力」が高い人は、すなわち過去と未来を自由に行き来できる能力を持つ人なのだと僕は思う。

「今」は点であり、その「点」の連なりが歴史である。過去と未来はつながっている。温故知新。要は、ベクトル―向かうべき方向性だけ明確に決め、あとは流れに任せるというのが実は一番手っ取り早く正しい方法なのではないだろうか・・・。

先日、「早わかりクラシック音楽講座」で採り上げたホルストなどは、過去にも未来にも同等に目を向けられた作曲家だった。いや、ホルストに限らず、古今東西、現代に名を残している音楽家はジャンルを問わず皆そういう視点、力―すなわち「着想力」をもった人たちだったのだろう。歴史から学ぶことは多い。
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今年のゴールデン・ウィークは「音浴じかん」でスタートした。
赤ちゃんはかわいい。あどけない、邪心のない姿、行動は大人を癒す。音楽による癒しと子どもの無邪気さの癒しが掛け合わされてとてもエネルギーの高いひととき、空間になった。いつも通りの愛知とし子のピアノ演奏の後、毎々打楽器演奏の時間では、大人も子どもも「音楽をする」ことでとてもハッピーになるのだろう、それぞれが音楽に合わせて(今回はビゼーの歌劇「カルメン」から第1幕前奏曲)無心に楽器を鳴らし楽しそうに15分間を過ごしていただいた。

人間って誰しももとは「赤ちゃん」だったんだと考えると不思議な気分になる。もちろん僕自身にもそんな時期があったのだが、何物にも囚われず、ありのまま自然体でいられることって素晴らしい。そんな時代はどこへやら、である。

2010年9月

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