No.010 「フリーメイスンの謎」 2007/10/3

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「魔笛」秘教オペラという本を読んだ。滅法面白い。
モーツァルトは1784年12月、28歳のときにフリーメイスンに入会をしている。その後、すぐに父レオポルトやハイドンにも入会を勧め、時期を同じくして彼らも入会している。ハイドンは熱心なカトリック信者でもあったのでただ入会しただけの幽霊会員。一方、モーツァルトはある意味狂信的な信者然とした時期が長かったようだ。
実際、フリーメイスンが作曲家モーツァルトに与えた影響は計り知れない。
例えば、音楽面においても入会前と後では歴然とした違いがみてとれる。オペラでは「後宮からの誘拐」と「フィガロの結婚」、ピアノ協奏曲では第19番と第 20番の間、交響曲では第36番「リンツ」と第38番「プラハ」の間、といった具合だ。明らかに創造的エネルギーのレベルに「大いなる差」があるのだ。人間的に成長したのか・・・。おそらく何か彼の中での大きな変化、次元の転換とでも言うべき変化が起こっているのであろう。

フリーメイスンとは一体何なのか?日本では「秘密結社」といわれたり、何か「宗教的な」怪しさをもつ団体のように評されたり、その実態ははっきりとは掴めないというのが実情だ。しかし、インターネットで調べたり、出版されている書籍などを参考にしてみると、その本質が何となく理解できるので簡単にそれについて書いてみよう。

まず、フリーメイスンの「教義」、というより(宗教ではないということなので)その「教え」とか「スローガン」なるものは「自由、平等、友愛」ということである。人間として誰もがそう願う当たり前の思想といえば思想(以前のコラムでも触れたがここでも「3」という調和の数字がとても意識されているようだ)である。ところが、理想はそうであるものの実際のところ人間は誰しも「二元論」的なものの見方、そういう落とし穴に陥ってしまう。陰陽、善悪、好き嫌い、明暗、などなどそういう観点だけで物事を見てしまうと、どうしても間違いが生じるのだ。それが、長い間人類が起こしてきた戦争や闘いという「過ち」の大きな原因なのである。人間の戦争の歴史を振り返ると、戦いの大本は「宗教戦争」である。かつての十字軍の歴史に始まり、現代のテロ戦争にしても「イスラム」世界と「キリスト」世界の戦いである。「こちらが正しくあちらが間違っている」という二元的なモノの見方の典型的なわかりやすい例だといえよう。
では、真実は一体どこにあるのか?その問いに答えるとするなら、「どちらも正しいといえば正しいし、間違っているといえば間違っている」としか答えようがない。結局、「善悪」、「陰陽」に捉われない鳥瞰的なものの見方ができるようになるということ、そこにヒントがあるのだ。要は、宇宙生成のはじまりは「すべてが一つ」であったはずだということにここで気づかなければならない。そこには表裏は無い、そして善悪もない、何が正しく何が間違っているのかという区別もないはずなのである。仏教では「空(くう)」と呼ぶ概念のことである。おそらく、その「空なるもの」を追求し、「人類は皆兄弟だ」という思想の下、エゴ(二)的ではなくエヴァ(一)的な思想をもち、共生を謳っていたのがおそらくフリーメイスンなのではなかろうか。少々大袈裟に言うなら、いわゆる宗教というものを超えたところ、その大本なるところに位置するものがフリーメイスンということになるかもしれない。

現在のフリーメイソンの活動については知識が無いので言及を避けるが、モーツァルト存命当時に関していうならば、ハイドンやゲーテ(証拠は残されていないのだが、ベートーヴェンやシューベルトも会員だったというせつもあるほどだ)など著名な音楽家や文筆家の多くがフリーメイソンの会員だったらしく、彼らが入会後創造した作品の「燦燦たる煌き」を考えると、その人の「スイッチを入れる」儀式(イニシエーション)的なものがあったようでその内容については興味が尽きない。