No.035 「実演か音盤か」 2018/9/22

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実演か音盤か。
なかなか難しい問題です。おそらく結論は出せないでしょう。感性は人それぞれ、いろいろな考え方、趣味・志向がありますからね。

音楽を享受するのに、それぞれに長所短所があります。例えば、先日初めて聴いたピエール・ブーレーズの「プリ・スロン・プリ」、昨年聴いたオリヴィエ・メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」など、特に現代音楽のほとんどは、実演を聴かない限りその意味・意義は理解できないものでしょう。もちろん、モーツァルトやベートーヴェンなど古典派の音楽についても音の立体感や空気感という点で、実演には、音盤とは比較にならないくらいの情報が詰め込まれています(人間が感知できない周波数は音盤にはどうしても入り切らないですからね)。音楽が時間と空間の芸術だというならば、やはりその場に足を運び、空気の振動を生で感じ、眼前に創造される「音の構造物」を直接に体感するのがベストだと思うのです。

しかし一方で、コンサート会場の聴衆のマナーなど、気になる点は正直たくさんあります。気にしなければ良いとは言うものの、咳払いや手もとのがさがさという雑音、ひどいときは鼾をかいて寝るなど、あまりに無頓着な方がいらっしゃるのも確かで、そういうときは本当に興醒めで、つい注意したくなります。音楽に集中して溺れたいタイプの人間にはちょっと辛い状況なのです。

モーリー・ロバートソンさんと石田衣良さんの対談「ひらめきの原点」に、次のような言葉がありました。

モーリー:石田さんはコンサートにも行きますか。
石田:いえ、僕は現場の熱にふれたくないタイプなんですよ。自分でも不思議に感じることがあるけれど、人間の熱が得意ではありません。コンサートよりも、CDやレコードのほうがいい。お芝居よりも、映画のほうがいい。生身の人間との付き合いも、少なくしたいですね。
モーリー:僕もコンサートはあまり好きではないかな。すごく好きなアーティストに対して浅い興味で観に来ている人と接触するのが苦手です。
石田:僕はたぶん、一生レコードとCDを買い続けると思います。書籍も電子化が進んでいますけれど、僕が生きている間は紙の本は存在し続けそうだから、いまの形態の書籍がある限りこつこつと書き続けようと思っています。
モーリー・ロバートソン×石田衣良「ひらめきの原点」第6回
JCB The Premium2018年10月号

石田さんの言葉もモーリーさんの言葉もとてもよくわかります。
実にエゴイスティックではありますが、観客の様子から中途半端な興味でコンサート会場にいてほしくないと思ってしまうことが僕にも幾度もありますから。

ちなみに、これまで数多訪れたものの中でも屈指のコンサート、会場が大変な緊張感に満ちる素晴らしい機会がありました。それは、初台の東京オペラシティコンサートホールでの、ギュンター・ヴァントの、手兵北ドイツ放送響との最後の来日コンサートです。
開演前から異常な雰囲気で、指揮者が登場すると割れんばかりの拍手と歓声、そして演奏中は誰もが息を凝らし、まるで真空状態であるかのように張り詰めた雰囲気の中でシューベルトとブルックナーの(後々まで語り継がれるであろう)稀代の名演奏が奏でられたのです。あの空気感はもちろんCDやDVDには刻まれていません。

たぶん、あの中には中途半端な興味本位の人はいなかったのではないでしょうか。
それこそあの熱狂はたくさんの人に、人間の熱が苦手だという石田衣良さんにもぜひとも体験してもらいたかった、まさに一期一会の音楽体験でした。

しかしながら、音盤には音盤の良さがあります。
独りきりで、古の巨匠の名演奏に触れるも良し、気の合った仲間と集い、お気に入りの演奏を聴いては語り、語ってはまた聴くも良し。何より、聴きたいときに聴きたいだけ、自分のペースでじっくり耳を傾けることができる。それは、文字通り「レコード芸術」であり、コンサート会場の雰囲気とはまた違った状況の中での最高のひと時であると断言できるのです。(僕がブログで日々採り上げる音盤は、ほとんどがそういう、特別な印象を植え付けてくれる代物です)

今はCDが売れない時代です。それでも、石田さんのように、レコードやCDを一生買い続けようと思う音盤ファンはれっきと存在するのだということを忘れてはいけません。どんな形態にせよ、音楽に心底感動し、そしてそこから触発され、何かを生み出すことの尊さ。それはいつどんなときも変わりないと思います。

実演か音盤か。残念ながら答は出ません。
少なくとも今の僕は両方を必要とし、また、両方に魅力を感じるのです。