オペラにおいて言葉と音楽とどちらが重要か、1770年代のフランスでグルックとピッチーニをその中心において論争が巻き起こったが、その史実をテクストにしてクレメンス・クラウスが台本を書き、リヒャルト・シュトラウスが歌劇に仕上げた会話劇「カプリッチョ」。老シュトラウスによる最後のオペラになるが、彼の創作したどのオペラに増して簡潔にして可憐で、耳に心地よく、一方さすがに晩年の筆だけあり、極めて高度な音楽語法を用い、美しく昇華された屈指の作品。おそらく「サロメ」や「ばらの騎士」などの諸作品に比べると、舞台にかけられる機会も少ないだろうし、その筋などを具体的に語り、音楽を知悉している人はよほどのシュトラウス・ファンでない限り少ないことだと思うが、聴けば聴くほどその音楽の魅力にとりつかれる。
言葉は世界を閉じ、音楽は世界を開くものだと僕はこれまで考えていた。でも、西洋音楽における平均率の完成が1722年頃で、その完廃が20世紀の中頃だとするなら、我々がいわゆる音楽として楽しんでいるほとんどが、実は「人工的に作られた枠組の中での出来事」であり、その意味では「音楽も閉じられたものなのかもしれない」と思うに至り、オペラにおいて「言葉が先でも音楽が先でもどちらでもいいことなのではないか」とも考え始めた。何が正しいなんていうものはそもそもないのだから、歴史上の論争のほとんどは所詮茶番。正否を求めると間違うかもしれない、どちらも正しいのである。
「カプリッチョ」の音楽は最美だ(グルックをはじめ、ラモーや自身の作品などが次々と引用される)。これをもってしてシュトラウスの打ち出した「答」だと僕は解するが、舞台上では結局その答は出されない。
ところで、このオペラでは、弦楽六重奏による序曲からしばらくして「アウリス」序曲が木霊するが、この音楽は人の感性を刺激し、居ても立ってもいられないほどエネルギーを鼓舞する。
グルック:歌劇「アウリスのイフィゲーニエ」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
トゥルデリーゼ・シュミット(メゾソプラノ)
アンナ・モッフォ(ソプラノ)
アーリーン・オジェー(ソプラノ)ほか
クルト・アイヒホルン指揮ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団
序曲は偉大だ。ワーグナーの編曲版によるフルトヴェングラー盤、クレンペラー盤いずれも甲乙つけ難い名演奏で、その時の気分によっていずれかを取り出して愛聴するが(何とこの音楽にはモーツァルトによる編曲版があるのだという。これは是非とも聴いてみたいものだが、いかんせん音源がどこにもない)、全曲盤に触れてみることで、グルックがより音楽を重視し、劇的な要素を持って「心理(真理)」を描写しようとしたのだということがわかって面白い。残念ながらピッチーニという作曲家のことは人生についても作品についてもよく知らない。この時点で、僕には先の事件の正否を判断するどころか土俵にすら乗れないことになる。
言葉(歌手)を重視しようが、音楽(作曲家)を重視しようが、そんなことはどちらでも良い。後世の我々に残されているのは作品のみ。どちらに心を動かされるのか、それはその人次第。
ちなみに、40年近く前のこのアイヒホルンによる演奏は、モッフォやディースカウの名唱とあわせて驚くばかりの輝きを放つ。ザルツブルク音楽祭におけるベームのライブ録音も捨て難いが、こちらに軍配を挙げる(グルックでもモーツァルトでも、あの時代の作品をオリジナル楽器とやらで演奏するスタイルは僕は苦手。やっぱり大オーケストラでブイブイ鳴らす様式が嬉しい)。
おはようございます。
グルック:「アウリスのイフィゲーニエ」(アウリスのイフィゲニア)序曲(ワーグナー編曲)については、お会いした時にお話ししました通り、遠い昔、私が学生オケに入って最初に演奏した思い出深い曲です(ヴィオラ)。だから、理屈抜きで好きな曲です。一方、静かに終わらないモーツァルト編曲版も時々プロオケのプログラムに載ることもあり、こちらは聴いた経験しかありませんが、(2004年1月23日 名古屋フィル第299回定期 指揮:若杉弘 など)、完全にコーダはモーツァルト的魅力に満ちた曲に変身しており、CD等もご紹介したいところですが、不思議と見当たりませんねぇ。
ワーグナー編曲の序曲は、弦・パートなども技術的にも難しくないため、今でもアマ・オケや学生オケで楽器初心者も弾ける曲として重宝されています。仮に岡本さんがヴィオラを今から習い始めたとしても、3ケ月後にはアマ・オケで弾けているくらいです。正直、フルトヴェングラーやクレンペラーの立派な演奏を持ち出すまでもないと思っている曲です、個人的な、初々しく弾いた思い出のほうがはるかに大事なので・・・。
>何が正しいなんていうものはそもそもないのだから、
そうです。だからこそ、個人的な、私だけの、ある曲についての素晴らしい物語を作り上げることが大切なのです。そのためにも、楽器もやりましょうよ!!
私が学オケ定演で「アウリス序曲」を弾いた直後(80年代初頭)、他大学オケのエキストラではドヴォ・コンのヴィオラ・パートも弾き、この2曲の思い出は繋がっています。懐かしくて涙が出そうです。
先日、ラトルのドヴォルザークと同時に、こんなCDを聴きました。
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲(コントラバス版) ゲリー・カー(コントラバス)、朝比奈隆&大阪フィル(1983年6月20日)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3859504
ムラヴィンスキーのエソテリックのSACDと同じく、マスタリングは杉本一家氏です。氏によるSACDやXRCDでのマスタリングは、最高評価ばかりですが、今回も極上だと感じました。カーによる1611年製アマティのコントラバスならではの深々とした響きが心に沁みわたります。朝比奈先生も心底共感しているのが音楽からよく伝わり、いつものとおりスケールが大きくソロを包み込んでいます。これは宝物CDになりました。
※「アウリスのイフィゲーニエ」、全曲はベーム盤しか聴いていませんので、ご紹介の盤も聴いてみたいです。全曲を語るには、少々聴き込み不足です。
>雅之様
おはようございます。
先日お会いした時にお伺いした「アウリス」のモーツァルト編曲版のことがきになって仕方ありません(笑)。
>完全にコーダはモーツァルト的魅力に満ちた曲に変身しており
現時点ではこれはもう想像するしかないのでしょうが、聴いてみたい、とにかく聴いてみたいです。
>仮に岡本さんがヴィオラを今から習い始めたとしても、3ケ月後にはアマ・オケで弾けているくらいです。
>そのためにも、楽器もやりましょうよ!!
ああー、そのお言葉・・・(苦笑)。しかし、いくらなんでもそんな簡単なものじゃないですよね?一度も手にしたことないんですよ!?
朝比奈先生とゲリー・カーによるドヴォ・コンいいですよね。僕は大昔に購入した非リマスター盤なので、雅之さんがお聴きになっているものとだいぶ音の鮮度は違うでしょうが・・・。
久しぶりに聴いてみたいと思います。
アイヒホルンの「アウリス」、ぜひ聴いてみてください。素晴らしいです。
こんばんは。
「アウリスのイフィゲーニエ」序曲、モーツァルト編曲版を、さらにギター・マンドリン用に誰かが編曲した版の演奏をYou Tube画像でついに発見!!
http://www.youtube.com/watch?v=SzKADJ1jgGM&feature=related
コーダの旋律線はモーツァルト版で間違いありませんので、ひとまずこれでオケ版を想像してみてください。
ところで、
>しかし、いくらなんでもそんな簡単なものじゃないですよね?一度も手にしたことないんですよ!?
大丈夫! いける、いける!!
>雅之様
いやー、素晴らしい!!感動しました。
ありがとうございます。
純粋にこのマンドリン・バージョンもとてもいいですね!
もう20年くらい前、友人が慶応のマンドリン・クラブにいて、そのコンサートでもその音色の素晴らしさに感動したのですが、ちょっとその当時のことを思い出しました。
>大丈夫! いける、いける!!
笑!!