宇多田ヒカル 初恋(2018)ほかを聴いて思ふ

彼の研究は概して極めてわかりにくく、扱い難いものであり、素朴に興味を抱いた程度ではなかなか手に負えないからである。彼の議論は、しばしばあまりにも細部に拘泥しすぎていたり、あるいは逆に論理に飛躍があったりしてかなり慎重な読みを必要とする。
~はじめに 伊東信宏著「バルトーク―民謡を『発見』した辺境の作曲家」(中公新書)

確かにその通りなのだろう。しかし、バルトークの民俗音楽研究の再評価にもつながるこの「バルトーク論」然り、「音楽論選」然り、伊東信宏さんのバルトークにまつわる書籍は実に読みごたえがある。何より伊東さんの幅広い見識と尽きない興味、全方位に渡る知識による深読みとでもいうのか、その辺りの方法論が他にはないもので、本当に興味深い。

伊東さんが「レコード芸術」に連載されている「東欧採音譚」(2018年11月号)を読んで少々驚いた。何と「芸能の地平へ—宇多田ヒカルの行方」という副題が添えられているのである。宇多田ヒカルの最新アルバムは、見事な出来で、リリース以来しばらく繰り返し聴いてきたものなので、彼が彼女のことについて書いていることや、まして彼が「夏の終わりになると、宇多田ヒカルばかりを聴いている」という事実に吃驚、いや、正直僕は感激してしまった。

数ヶ月前、NHKで放映されたSONGSスペシャル「宇多田ヒカル」はとても良かった。
何とも暗い、しかし、魅力的なあの詩が生み出された背景には、やっぱり幼少時代の体験があるようだ。まず何をおいても母である藤圭子の影響が大きいのだと本人は語っていた。そういう視点で聴いてみると、すべての楽曲が、(感情の起伏が異常に激しく、娘を含めた周囲を振り回わした挙句)自死を選んだ母への「共に在りたい」という想いと、今となってはそれが叶わない苦悩に溢れ、しかし一方でその思いを、作品として赤裸々に吐露することで自ら解決しようとする毅然とした勇気ある態度が錯綜し、どの瞬間も心に刺さる。

今、世界がこうだって思っても、次の0.5秒後にそれがすべてひっくり返される可能性があるっていうのが普通だった。

同様の不安定さは、当然宇多田自身の中にもあるのだろう。それゆえに、彼女の歌は人の心に直接に響き、また感応を呼び、芸術としての作品の完成度は、類い稀なものとなっているのだと思う。

そういうヒカルが、この完璧な歌手たる母親にはとても追いつけない、と思っていたのは容易に想像がつく。そういう思いを抱きながら、精神的に問題を抱えていた母と距離を置かざるを得なくなり、さらにその母親を自殺という形で失ってしまう。追いつけそうにもなかった母は、そのまま手の届かないところに行ってしまって、老いて衰えることもなくなった。それがヒカルの歌のいたましさとなる。彼女のいたましさは、母藤圭子の、あるいはそのさらに母親、阿部照子の面影を通じて「芸能」の世界が肌身を通して知っていながら、それを手にする機会を失い、永遠に追い求めることしかできないという不可能の中にあるように思われる。母を失くして以来、彼女はほとんどそれしか歌っていない。
伊東信宏「東欧採音譚 芸能の地平へ—宇多田ヒカルの行方」
~「レコード芸術」2018年11月号(音楽之友社)P60

いたましい。いたましいけれど、それが間違いなく楽曲の価値を上げている。それこそ彼女のアーティスト人生にとって藤は必要な母であり、出来事だったんだといえるのだ。

・宇多田ヒカル:初恋(2018)

全12曲50余分。どの瞬間も、つい感情移入してしまう詩と、完璧にコントロールされた彼女らしい、新しい音楽に心が揺れる(例えば、擬人化された隠喩のにおいする「パクチーの歌」などは見事)。「あなた」はもちろんのこと、「残り香」も「夕凪」も、詩に託された母への痛切な思いが溢れ出ていて、涙なくして聴けぬもの。(聴けば聴くほど、音の構成力も音そのものの力も、あるいは目に見えない存在までもが彼女の味方をするかのように恐るべきエネルギーを放出しているのがわかる。もはや虜だ)

そうして、間を置かず、竹内まりやの最新シングルを聴いた。
宇多田ヒカルに比して、何て健康的な歌なのだろう。まるで正反対の方向から音波波状攻撃。「小さな願い」、「今を生きよう」、「声だけ聞かせて」に、山下達郎が1986年にリリースした「ポケット・ミュージック」に収録されていた「シャンプー」のまりやバージョン。

とかくこの世は生き辛くて ままならぬことばかり
天は超えられる試練だけ 与えると言うけれど・・・
不満ばかりじゃ変わらないさ まずは自分が変わらなきゃ
「今を生きよう(Seize the Day)」

出雲の老舗旅館「竹野屋旅館」四代目の三女としておそらく何不自由なく育てられた彼女の歌は、自由かつ快活で、どんな歌であっても明るい。
「小さな願い」の、人とのつながりの温かさが伝わる詩と音楽の解放感が美しい。

・MARIYA TAKEUCHI:小さな願い/今を生きよう(Seize the Day)(2018)

まりや版「シャンプー」は、達郎版から少々水気を切ったドライな印象。内側に向かう気が、外を向いて、女性らしくすべてを包み込むような、あるいは陰から陽への転換。

流れで、久しぶりに「ポケット・ミュージック」を取り出した。
傑作「THE WAR SONG」は幾度聴いても沁みる。続く(こぶしの効いた)「シャンプー」は、何だかとても悲しい曲だ。

シャンプー お願いそばに来て
むかしみたいに笑ってほしい

・山下達郎:ポケット・ミュージック(1986)

都会的センス満点の、達郎らしい楽曲「ムーンライト」に僕は涙する。また、ジャジーな”LADY BLUE”は、Alan O’Dayの詩によるいかにも達郎らしい洒落た歌。昔を思い出した。

ところで、山下達郎がHMVのインタビューで語っていたこと。

ライブっていうのは、観客と演奏者が精神的にフィフティーフィフティーで場を共有する一期一会。でもそれはしばしば緊張感のぶつかり合いにもなるんですよ。宇多田ヒカルさんが「ライブは肝試し」って言ってたでしょ?僕の場合は「ライブは果し合い」かな。あと、お客さんにものごとを要求しないのが僕の主義なんでね。

肝試しと果し合い。果たしてどちらが強いのか?(笑)
達郎は外向きの人らしい。やっぱり男性なのだ。
ちなみに、宇多田ヒカルはバルトークの音楽が好きらしい。

 

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