バラホフスキーとともにバイエルン放送交響楽団の名手たちを迎えて

100年前へタイム・スリップ。何て熱い一夜!
1918年から21年までわずか3年の間に113回のコンサートが開かれた「私的演奏協会」の再現。アーノルト・シェーンベルクの編曲によるマーラーと、3人の弟子に編曲を分担させたブルックナーの音楽は、それぞれ幾分退廃的な香りを残しつつも現代的な透明度の高い音調で、当時の聴衆に圧倒的感銘を与えたことだろう。

衝撃のブルックナー。
僕が初めて触れたブルックナーは、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第168回定期演奏会での交響曲第7番だった。1980年9月10日のこと。震撼した。感動した。大袈裟だけれど、その日から僕の人生はすっかり変わったように思う。

まるで同質の感激。何より一般的にはアンバランスだとして過小評価される第3楽章、及び終楽章の素晴らしさ(もちろん最初の2つの楽章も最高の出来だけれど)。それは、個々人の技量が問われ、誤魔化しが利かない室内楽編成用アレンジであるがゆえの熱を帯びたパフォーマンスであったからなのだろう、小さなミスは散見されるも、見事なアンサンブルでブルックナーの新たな顔を映し出しつつ、それでも決してブルックナーの本質を損なわない圧倒的な時間であった。

ちなみに、本編曲では、ブルックナーの真筆かどうか怪しいとされる第1楽章アレグロ・モデラート提示部のフライング・ホルンも丁寧に付加されているところがミソ。カーステン・ダフィンのホルンは冒頭から美しい響きを保っていたが、終楽章コーダのところで一瞬ひっくり返ったことが少々残念。ただし、大きな瑕ではなかったので大勢に影響はない。それにしても各奏者の音楽への没頭ぶりは、ほとんどブルックナーの使徒然とした恐れ多いもの。70余分の間、会場には大変なエネルギーが充溢していた。

紀尾井ホール室内管弦楽団によるアンサンブルコンサート3
バラホフスキーとともにバイエルン放送交響楽団の名手たちを迎えて
2018年12月5日(水)19時開演
紀尾井ホール
アントン・バラホフスキー(ヴァイオリン)
ダフィト・ファン・ダイク(ヴァイオリン)
ベン・ヘイムズ(ヴィオラ)
カーステン・ダフィン(ホルン)
伊東裕(チェロ)
吉田秀(コントラバス)
野口みお(フルート)
金子平(クラリネット)
武藤厚志(ティンパニ・打楽器)
西沢央子(ハルモニウム)
北村朋幹(ピアノ)
中桐望(ピアノ)
萩原潤(バリトン)
・マーラー:さすらう若人の歌(アーノルト・シェーンベルク編曲)
休憩
・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
—第1楽章アレグロ・モデラート(ハンス・アイスラー編曲)
—第2楽章アダージョ(エルヴィン・シュタイン編曲)
—第3楽章スケルツォ(ハンス・アイスラー編曲)
—第4楽章(カール・ランクル編曲)

前半、シェーンベルク編曲による「さすらう若人の歌」。作曲家独特のアンニュイな雰囲気が音楽を一層高貴な印象に変え、また、室内楽アレンジという音の少なさが、青春の虚無感を一層露わに映す名演奏。萩原潤のバリトンは明瞭で快活、心のこもった歌。小管弦楽とのバランスも素晴らしく、第4曲「恋人の碧い二つの瞳」など、繊細で静謐な音の響きはため息がもれるほど美しかった(第1曲「恋人の婚礼の日」から管弦楽の音は本当に美しかった)。

ところで、西沢央子さんによる、1892年フランス・ミュステル社製のハルモニウムがもたらす、斬新でありながらどこか懐かしい響きは、筆舌に尽くし難い魅力を放っていた。編曲の中にあってまるで一服の清涼剤の如し。

 

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