No.022 「グスタフ・マーラーについて思うこと」 2008/7/29

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「デートDV(ドメスティック・バイオレンス)」(遠藤智子著)と
いう本を読んだ。恋人や夫からいちいち行動を携帯電話でチェックされたり、嫉妬妄想から暴力をふるわれたり、挙句の果てはストーカーに遭ったりと悲惨な目
に遭っている女性が増えているという。この本では女性側の視点に立ち、どういう風にDV防止に取り組むのか、あるいはDV予備軍をいかに見抜くかが様々な
アンケートやケースワークから論じられており、誰もが同様の経験をするだろう可能性をもっている現代社会において一読の価値ありだと思う。そういえば、身
近で「彼氏から異常に縛られている」という女性を何人もみてきたし、いわゆる予備軍というのは決して少なくないのだろう。

「カリスマ教師の心づくり塾」(原田隆史著)。
今、学校が荒れに荒れているという(今に始まったことではないけれども、子どものいない僕のような、学校教育の現場から程遠い人間にとっては信じられない
状況であるらしい)。そもそも学校そのものが30年近く前我々の世代が経験したような場とは全く異質のものになっているのだろう。ともかくモンスター・ペ
アレントという親の出現が示すように、親自体がきちっとした道徳的教育を受けていないものだから(これも90年代初頭から始まった「ゆとり教育」を一つの
因とするもの)、家庭において本来なら当たり前の教育や躾ができていない子どもが多いのだという。ましてや昔だったら教師が厳しく指導し、人間として大事
な面を、身体を張って教えてきたともいえるのだが、今や「体罰」なども許されない環境で、先生自身が腫れ物に触るかのように子どもたちに対処せざるを得な
いことがそれに輪をかけている。
そもそも問題を起こす子どもの多くは家庭教育に問題がある。例えば掃除をすることを教えられていない子ども。あるいは放ったらかしにされてきた子ど
も。・・・原田氏は「ストローク」の重要性をこの書籍の中で説いているが、裏返せば親が子に対して、あるいは先生が生徒に対して、もっと広げるなら人間が
人間に対して「愛」のあるコミュニケーション(愛をもって叱るという行為も含めて)をとれなくなっているということなのだろう。
上記のDVを起こす男性然り、幼少時の「受け入れ」が人間の成長過程において最も重要なファクターであると常々僕は考えてきた。それは20年近く「人間教
育」に携わり、何百回とセミナーを運営してきた経験、あるいはそのセミナーを通して10,000人近くの若者に対処してきた経験から間違いないものである
と思うのである。

ところで、来月の「早わかりクラシック音楽講座」で
はグスタフ・マーラーをとりあげる。後期ロマン派と現代音楽との架け橋として西洋音楽の峰の一角に聳え立つ彼の音楽的業績は計り知れない。しかしながら、
彼の音楽を短時間で語りきることはとても難しい。わずか50年という人生の中で10以上の大交響曲を産み出した彼は間違いなく天才なのだが、彼の生い立ち
や人となりを知れば知るほど人間としては問題の多い男性であったことに一方で気づかされる(そのあたりを理解して彼の音楽を聴くとまた面白い!)。
彼は今の世でいうDV的な要素ももっていたろうし(妻である才媛アルマに対する異常なまでの嫉妬妄想と規制、そしてその妻に宛てたまるで関白宣言のような
長々しい手紙がそれを証明している)、性的コンプレックスの塊であったことも様々な資料からうかがい知ることができる。おそらくマーラーの場合も幼少時の
「ストローク=受け入れ」が欠けていたことが一因であることは間違いない。
愛と死、マジとおちゃらけ、聖と俗の間を脈絡なく往来するマーラーの支離滅裂さについていくことは難しい。とはいえ人間や自然というものの本質を突いているという意味では聴き応えのある音楽であり、クラシック音楽を究めるという意味において避けては通れない存在である。

「愛」が不足すると人間は人に固執する。
その固執が度を越して妄想へと変化する。
人が人として正しく成長するには「愛」が不可欠だ。
そして、親が子どもを育てる時に一番考慮しなければいけないことは、すなわち「受け入れること」である。