第37回 早わかりクラシック音楽講座 2010/4/25(Sun)

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「宇宙時代の幕開け~ホルストの名曲・組曲『惑星』」

内容
≪ 宇宙時代の幕開け~ホルストの名曲・組曲『惑星』 ≫
第1部:幼少年期
第2部:青年時代~音楽教師時代、「惑星」による名声
第3部:組曲「惑星」を聴く
-お茶とお菓子付-

第1部
□幼少年期、青年時代~音楽教師時代
1874年9月21日、グスターブは、ピアニストであり、ピアノ教師でもあった父アドルフと優しく控え目な性格の母クララの間に生を得ました(イギリスのチェルトナムにて)。アドルフは仕事漬けの毎日で家庭を顧みることはほとんどなく、父子の関係は、いわば先生と生徒のような関係でした。母クララは第2子を産んだ直後に亡くなります。その時、グスターブはわずか8歳。幼くして母を亡くした彼の下に、まもなく次の母マリーが現れます。11歳の時、父が再婚したのです。継母マリーは後にグスターブが影響を受ける神智学に傾倒しており、スピリチュアル的なものに非常な興味を示す女性でした。父の再婚により少年グスターブはグラマー・スクールに編入することになり、寄宿生活を強いられます。父の「不在」、そして実母の死など、このあたりの事情もグスターブのメンタル面の弱さに直結すると思われます。18歳の年に書いたオペレッタが好評で、アドルフは無理をしてでもロイヤル・アカデミーに息子を入れようとしました。その頃、グスターブが強烈な感銘を受けた音楽にワーグナーの「神々の黄昏」、そしてJ.S.バッハの「ロ短調ミサ曲」がありました。それは、今後の彼の音楽人生を左右するほどの大きな出来事でした。
まずは、当時の彼の気持ちを計る意味で、これらの音楽を抜粋で聴いてみました。

①ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」~ブリュンヒルデの自己犠牲
ビルギット・ニルソン(ソプラノ)
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団

1960年代のベームの実演は最高です。ニルソンやヴィントガッセンをはじめ、歌手陣も当時の錚々たるメンバーを集結しており、瞬間瞬間が輝いています。速めのテンポによる最後のクライマックス・シーン、本当に涙が出るほどです。まだまだワーグナーの世界にはついていけないという参加者の方が多かったのですが、これを機に「ローエングリン」あたりから聴いてみようかと思ってくださったようで、とてもよかったです。

②J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調BWV242~キリエ
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団

バッハの音楽は、多少の抹香臭さを我慢すれば、そこから感じ取れる大らかさは他の音楽家の作品を絶する素晴らしさに溢れています。テイーンエイジャーのグスターブが立ちあがれないほどの感動を覚えたことがわかります。

ほぼ同時代19世紀後半の音楽界を牽引した革新派のワーグナー、そして150年前の古い音楽であったバッハの確固とした音楽宇宙。その両方のエッセンスが後のホルストの音楽的財産、糧になったことは間違いありません。若き日のこの音楽体験こそが彼の原点だったといえるでしょう。

写真 001

第2部
□青年時代~音楽教師時代、「惑星」による名声
1895年、ロイヤル・アカデミーの奨学金を受け始めたグスターブは、同じ頃生涯の友となる同業のヴォーン・ウィリアムズと知り合いました。また、ハマースミス・ソーシャリスト合唱団を指揮、そこで後の妻となるソプラノ歌手イゾベル・ハリスンとも知り合います。

さらにその頃、交流のあったウィリアム・モリス家でヒンドゥー哲学とサンスクリット文学に出会い、興味を抱くようになりました。このことが後々の彼の作品に多大な影響を与えており、「惑星」という名作を生み出す遠因にもなっています。

1900年には「コッツウォルズ」交響曲を作曲、そして1905年にはセント・ポール女子学校の音楽教師に任命されました。ちょうどその頃までグスターブはワーグナーの影響を色濃く受けた作品を書いていましたが、以後彼はイギリス民謡に興味を持つようになっていきます。1906年労作オペラ「シータ」がリコルディ賞で敗北したことを受け、もともと精神的には強くなかった彼は鬱的症状を訴え、ますます孤独な世界に閉じこもるようになってゆきました。

そんな中、音楽的にはより革新的なものに興味を抱くようになり、1909年2月27日のドビュッシー自身の指揮による「夜想曲」から「シレーヌ」を聴き、感銘を受けました。この女声ヴォカリーズ入りの音楽が「惑星」の「海王星」の音楽作りに影響を与えたであろうことは容易に想像がつきます。

③ドビュッシー:3つの夜想曲~シレーヌ
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

何とも浮遊感抜群でアンニュイな雰囲気を漂わす名曲です。

そして、1912年9月3日には、ヘンリー・ウッド指揮によるシェーンベルクの5つの管弦楽曲に触れたこと、さらに13年7月のバレエ・リュスによるストラヴィンスキーの「春の祭典」の衝撃がホルストの魂を射抜きました(その2ヶ月前にパリのシャンゼリゼ劇場での騒動が嘘であるかのように、この斬新で前衛的な音楽が若き作曲家の心を奪ったことがとても興味深いですね)。

④ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」~第1部「大地礼賛」
コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

2007年に*AK*the piano duoが「ハルサイ」を演奏した際、特別講座としてこの音楽を採り上げた時は参加された皆さんが度肝を抜かれていました。それくらいに今でも初めて聴いた人には刺激的な音楽です。久しぶりにデイヴィス盤を聴きましたが、30年以上前の録音とは思えない艶やかさと、クリアな音像、それに有機的な響きが最高です。これまで「ハルサイ」についてはよく理解できず、最後まで聴き通せなかったという方も、今日は十分堪能できたとおっしっていました。

そして、同じ時期、クリフォード・バックスの紹介でグスターブはアラン・レオの「占星術」と出逢い、俄然興味を惹かれるようになりました。精神的に決して強いとはいえない彼にとって「占星術」というのも心の拠り所になったのかもしれません。

これらの体験がもとになり、いよいよ1914年5月から名作「惑星」の作曲を、まずは「戦争をもたらす者」という副題のついた「火星」から開始しました。何と同年8月から第一次世界大戦が始まることを思うと、偶然とはいえホルストの不思議なインスピレーションには驚かされます。

1920年、「惑星」がエードリアン・ボールトの指揮により公開初演された時は大成功で迎えられました。成功をもってしても、ホルストにとっては喜びどころではなく、むしろ神経衰弱に陥り、不眠症になってしまったというくらいなので、彼のメンタル面の弱さは半端ではなかったことがよくわかります。そのため、3ヶ月間教職を辞し、都会を離れて静かに生活しようとしたものの、「頑張り屋」の彼にとってそれは苦痛以外の何ものでもなく、結局じっとしていられず、精神不安定も回復解消しなかったのです。

その後、1923年初め、リハーサル中の転落事故が遠因となり、それから10年余り後の1934年5月25日、ホルストは永遠の眠りにつきました。

以上、簡単にホルストの生涯を振り返り、「惑星」誕生周辺について知識を整理しました。

写真 003

第3部
□組曲「惑星」を聴く
休憩後、いよいよ今回の講座テーマである組曲「惑星」をじっくりと堪能しました。
ここで、初演時、ホルストが記者に語った言葉を引用します。

「たとえば、木星は普通の意味での喜びをもたらしますが、それと同時に宗教的な、あるいは国民的な祝祭に結ばれる、一層儀式的な類の喜びをも表現します。それから、土星は肉体的衰退だけではなく、成就したというヴィジョンをもたらし、水星は心の象徴なのです。」

この曲には標題性はないとはっきり作曲者は言っているのです。そういう事実も頭に入れ、全曲をじっくりと聴いていただきました。

⑤ホルスト:組曲「惑星」作品32
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

第1曲「火星」―戦争をもたらす者
第2曲「金星」―平和をもたらす者
第3曲「水星」―翼のある使者
第4曲「木星」―快楽をもたらす者
第5曲「土星」―老年をもたらす者
第6曲「天王星」―魔術師
第7曲「海王星」―神秘主義者

特に有名なメロディである「木星」の第4主題はもちろんのこと、「海王星」の女声ヴォカリーズの美しさに人気がありました。大音響で楽しんでいただきましたが、「惑星」のような楽曲は、やはり生演奏で聴いていただくのがベストかと一層感じました。
それぞれの星にホルストなりの想いを注ぎ込んだ、全7曲は本当に名曲です。よりたくさんの方々に親しんでいただきたいですね。

次回のテーマは、ベートーヴェンの第3交響曲「英雄」の登場です。お楽しみに!