「ショパンとサンド~愛と追憶の日々」
内容
≪ ショパンとサンド~愛と追憶の日々 ≫
第1部:ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
第2部:ショパンとサンドの出逢いから関係の始まりまで
第3部:ノアンのショパンとサンド、そして別れ
-お茶とお菓子付-
第1部
□ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
①ショパン:マズルカ第36番イ短調作品59-1
②ショパン:ワルツ第6番変ニ長調作品64-1「小犬」
③ショパン:ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2
第1曲目は、ショパンが「今は僕の人生の混乱期、というより倦怠期」と手紙で語った1845年、いよいよジョルジュ・サンドとの関係も終末に近づきつつある時期に生み出しされた3つのマズルカ作品59。その中から、暗い望郷の念を湛えた名作第1番イ短調を演奏しました。そして、次の2曲は、先日の「愛知とし子ピアノリサイタル」でも披露された3つのワルツ作品64から有名な「小犬のワルツ」と「嬰ハ短調」(このワルツ集はショパンが生前に出版した最後の楽曲です)。サンドとの別れの年、1847年に書かれたこちらも一聴明るさの中に深い哀しみを秘めた有名な音楽です。マズルカにせよワルツにせよこういった小品は今日のような小さなサロン風の会場で聴くと粋で味があり、とても良いですね。
第2部
□ショパンとサンドの出逢いから関係の始まりまで(1836年~1838年)
1836年10月末、フランツ・リストの愛人であったマリー・ダグー伯爵夫人のサロン「フランス館」にて、フレデリック・ショパンとジョルジュ・サンドは劇的な出逢いをします。ところが、ショパンがサンドにもった第一印象は「虫の好かない男みたいな奴」、一方、サンドはショパンの容姿、しぐさ、そしてその演奏の全てに感動し、一目惚れ状態でした。それからというものサンドはショパンに猛アタックをかけ、さらにはリストやダグー夫人の協力を得ながらこのピアノの詩人の心を半年がかりで掴んでいくのです。当時、婚約者であったマリア・ヴォジンスカへの想いを簡単には断ち切れず、中途半端な態度を示していたショパンを、いわば強引に情熱的にサンドが落としたといってもよいでしょう。
そうやって1838年6月末には、二人の結びつきは決定的なものとなりました。今の時代でこそ、女性が積極的に男性にアプローチすることはよくありますが、19世紀前半の当時としては全く異例尽くめの恋愛の始まりだったようです。ちょうどその頃に生み出された名作2つを聴き比べてみました。
①4つのマズルカ(第22番~第25番)作品33
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
マズルカは、故国ポーランドの農民に伝わる舞曲です。ショパンにとっては常日頃から日記を綴るように気軽に作曲したもので、作曲時の率直な心境が表れている音楽だといわれています。そして、そのマズルカを演奏させたら随一といわれたルービンシュタインの名盤で楽しみました。
聴き比べは作品33の第2曲、マズルカ第23番ニ長調をホロヴィッツの演奏で。この明るい調子の有名な音楽は、ホロヴィッツの演奏の方がより好評でした。
②マズルカ第23番ニ長調作品33-2
ウラディーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)
そして、同じ頃に生み出されたワルツ第4番ヘ長調作品34-3「華麗なるワルツ」。
③アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
④サンソン・フランソワ(ピアノ)
名ショパン弾きといわれた二人の演奏を聴き比べました。フランソワの方が軽妙でお洒落ということで好評だったようです。
※1838年の冬、ショパンとサンドはいわゆる「マジョルカ島への逃避行」と呼ばれる蜜月旅行を敢行するわけですが、実はそれほど面白いエピソードがあるわけでもありません。もちろん、名作「24の前奏曲」が生み出されたことは大変な収穫ではあるのですが、二人の関係という観点から言えば、ノアンでの9年間の方がより一層意味深いため、今回の講座では敢えてこの時期のお話はしませんでした。
第3部
□ノアンのショパンとサンド、そして別れ(1839年~1847年)
◆1839年
ショパンとサンドが関係を深め、そして終止符を打つことになった「ノアンの館」での様子を振り返りながら、ショパンの生み出した天才的な傑作、そして晩年の深い哀しみを伴った名曲を聴きました。
ノアンでの最初の2年ほどはショパンの健康は山あり谷ありだったものの、二人の関係も良好だったようで、たくさんの名作が生み出されています。まずはリクエストにお応えして、ノクターンの名作を。
⑤ノクターン第11番ト短調作品37-1
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)
みなさん、この演奏にはびっくりしてらっしゃいました。否、永遠を感じ、深遠な夜想曲の世界に惹き込まれてしまったという方が正しい表現ですね。一般的な演奏のほぼ2倍の時間をかけての悠久を想起させる名演です。「時間」というものを自ずと「忘れさせてくれる」永遠がこの演奏には存在します。ここで、金子みすゞの童謡を2つほどご紹介。ショパンと金子みすゞに接点は全くありません。それでも、どうしてもショパンを聴くと金子みすゞの童謡を思い出してしまうのです。
「こよみと時計」
こよみがあるから こよみをわすれて こよみをながめちゃ、4月だというよ。
こよみがなくても こよみを知ってて りこうな花は 4月にさくよ。
時計があるから 時間をわすれて 時計をながめちゃ、4時だというよ。
時計はなくても 時間を知ってて りこうなとりは 4時にはなくよ。
「木」
小鳥は 小えだのてっぺんに、
子どもは 木かげのぶらんこに、
小ちゃな葉っぱは 芽のなかに。
あの木は、あの木は、うれしかろ。
さらに、一般的なテンポでの演奏はどういうものかを確認するという意味で次の盤を比較試聴(決してオーソドックスな演奏ではないですが)。
⑥サンソン・フランソワ(ピアノ)
◆1841年~42年
ショパンに最も油が乗った時期、何回かの演奏会を開催し、常に完売となった1841年~42年、まさに「創造の神」がショパンに降り立った時期の名曲を。
⑥バラード第4番へ短調作品52
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
※本当はホロヴィッツが晩年に録音した演奏もご披露したかったのですが、手元に音盤がなく諦めました。ホロヴィッツのバラ4は何気に名演奏です。
◆1843年~44年
二人がそれでもまだまだ平和に暮らせた年月。ショパンもだんだんと創作意欲が衰えていく中、2つのノクターン作品55やピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58などを残しています。
◆1845年~47年
そして、いよいよ二人の関係が終末に向かう1845年~47年。ジョルジュ・サンドがとうとう「もううんざり」と口にしてしまい、自分とショパンをモデルにした小説「ルクレチア・フロリアニ」を書き始めた1846年には、不思議なことにショパンの筆からは数々の名作が誕生しています。
⑦ポロネーズ第7番変イ長調作品61「幻想」
⑧3つのマズルカ(第39番~第41番)作品63
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
最近発売されたピリスの後期ショパン楽曲集から。当時のショパンの心情がこれほどまでに露わに表現された演奏は珍しいでしょう。
1847年、ショパンとサンドの最後の年。娘ソランジュの結婚問題をきっかけとし決定的な別れに至った二人。しかしながら、二人の手紙を順に追ってみていくと、ショパンとサンドの出逢いは必然であり、サンドの献身的な愛なくしてショパンの名作は生まれ得なかったと考えさせられました。
講座の最後には、ショパンの絶筆となった名作マズルカ第51番(金子みすゞの童謡とともに)。
⑨マズルカ第51番へ短調作品68-4
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
「みんなをすきに」
わたしはすきになりたいな、何でもかんでもみいんな。
ねぎも、トマトも、おさかなも、のこらずすきになりたいな。
うちのおかずは、みいんな、
かあさまがおつくりなったもの。
わたしはすきになりたいな、だれでもかれでもみいんな。
お医者さんでも、からすでも、のこらずすきにないたいな。
世界のものはみィんな、神さまがおつくりなったもの。
終了後の懇親会もとても楽しかったです。アマチュア・ピアニストの方にもご参加いただいていたため、普段できないようなピアノ談義ができたことが収穫。最後はグールドの「ゴルトベルク」で盛り上がってしまいました。来年初の講座はチャイコフスキーです。乞うご期待!