第24回 早わかりクラシック音楽講座 2009/3/7(Sat)

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「新しい道~シューマンに見出されたブラームス・名作交響曲第1番」

内容
≪ 新しい道~シューマンに見出されたブラームス・名作交響曲第1番  ≫
第1部:ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
第2部:ブラームスの生い立ち、シューマン夫妻との出逢い、そしてクララとの愛
第3部:交響曲第1番ハ短調作品68を聴く
-お茶とお菓子付-

第1部
□ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
ブラームス:ワルツ集作品39~第15曲イ長調(1865)
ブラームス:6つの小品作品118~第2曲間奏曲イ長調(1893)

ブラームスの数ある作品の中でも、およそブラームスらしくない愛らしさと優しさを秘めたワルツの名曲をまずは弾いていただきました。「ワルツ集」は1865年に書かれ、評論家ハンスリックに献呈されましたが、「真面目で無口なブラームスが・・・ワルツを書いた」と驚いたといわれています。そして次に、晩年の孤高の世界を創出するいくつかのピアノ小品集から、年老いたヨハネスの「内なる心の叫び」が聴こえてくるような感動的な「間奏曲作品118-2」を演奏。愛知とし子自身、ブラームスの作品の中でも特に大好きな曲ということで、とても心に響く演奏でした。

写真 001

第2部
□ブラームスの生い立ち、シューマン夫妻との出逢い、そしてクララとの愛
真面目で内向的なブラームスは、コントラバス奏者の父と、父より17歳年長の母との間に長男として生まれています。決して裕福とはいえない経済状況、そして「女郎買い横丁」とまでいわれているような環境で育った彼は、少年の頃からハングリー精神旺盛だったおかげで、存命当時から社会的地位も名誉も獲得し、作曲料だけで十分に生活していける19世紀を代表する大音楽家になったのです。

その彼を世に送り出した師が前回の講座でとりあげた、ロベルト・シューマンその人。1850年、演奏旅行でハンブルクを訪れたシューマン夫妻に、友人のすすめによりブラームスはそれまで書き溜めた作品に批評を求めるべく送付します。しかしながら、当時オペラの不評など諸々の事情により精神的にずたずたな状態であったロベルトにはその気力も余裕もなく、封を切ることもなくヨハネスに送り返すのです。そのことにヨハネスはショックを受け、ロベルトに対し一種の恐れを抱くようになるのですが、ヨアヒムなど友人の再三のプッシュが功を奏し、ついに1853年9月30日、デュッセルドルフのシューマン家の扉を叩くことになります。夫妻の眼前で自作のいくつかの作品を演奏したことで、すぐさまロベルトもクララも感動し、シューマンは「新しい道」と題するブラームス紹介の文章を「音楽新報」に掲載するのでした。

第二のベートーヴェンのへの期待を背負わされ、その重圧や不安と闘いながらも、ヨハネスは作曲家としての地位をどんどん確立していきました。その後、1854年にシューマンが自殺未遂を図り、療養所での入院生活を余儀なくされてからはシューマン家に居候し、クララや子どもたちを支える「優しさ」も見せてくれたのです。それからのクララとヨハネスの関係は、プラトニックなつながりだけでなく、お互いなくてはならないパートナーとして人生を共に歩むことになるのですが、内向的なブラームスのことゆえ、そもそも手紙類などプライベートを知るための資料がほとんど破棄されており、厳密に彼らの関係を論じることは今となっては不可能になっていることが悔やまれます。
このあとの見解は、ほとんど推測の域を出ませんが、様々な文献を総合的にみて判断すると、精神的なものに終わらない深い関係があったのではないかと、僕は考えるのです。

①ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1~第1楽章冒頭
ペーター・レーゼル(ピアノ)

まずは、ロベルトとクララの前で弾いて見せたという自作のソナタ第1番の第1楽章冒頭部を聴きました。一般的にはそれほど有名な楽曲ではないですが、「意外に良い曲なのに、なぜそれほど一般的にならないんだろう」と疑問にもつ参加者もいらしたことを付け加えておきます。

前回のシューマンの講義での話の流れから、クララとロベルト、クララとヨハネス、そのあたりについても勝手な見解を述べさせていただき、ご参加いただいた方と意見交換をしながら講座を進めさせていただきました。
特に、クララという女性の観点から彼らの関係を考察していくととても面白いですね。例えば、クララは性格上常にパートナーを必要としていたようで、子どもの頃は神童として父の操り人形のように扱われ、結婚後は「主婦であり母であることを望んだ」ロベルトの支配を受けていました。その反動からか、最後はヨハネスを生涯支配した(結婚の機会は何度もあったものの、結局ヨハネスは生涯独身でした)ということがよくわかります。ある意味「悪女」あるいは「魔女」といわれる要素も持っていたのかもしれませんね。

写真 006

第3部
□交響曲第1番ハ短調作品68を聴く
20年以上の歳月をかけて生み出された傑作をじっくりと堪能しました。
まずは、1876年、クララの前でピアノ譜の形でこの楽曲を試演したということから、作曲者自身による2台ピアノ編曲版で第1楽章の冒頭部を聴いてみました。やはり、あの渋い序奏部をモノクロのようなピアノ演奏で1回で理解するのは厳しかったようです。初演当時の聴衆や批評家の反応も様々だったらしく、クララなどは「旋律の活気が欠けている」ということで随分心配したということが日記に認められています。

②交響曲第1番ハ短調作品68(2台ピアノ版)~第1楽章冒頭部
トーヴェ・レンスコフ、ロドルフォ・ラムビアス(ピアノ)

そして、天下の名盤といわれるミュンシュ&パリ管弦楽団による演奏で全曲をじっくりと聴きました。

③交響曲第1番ハ短調作品68
シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団

久しぶりにこの名盤を聴きましたが、やはり圧倒的な名演奏でフィナーレ最後の盛り上がりには参加者も度肝を抜かれたようでした。ただし、第1楽章が少々晦渋な印象を与えたようで、とっつきにくいと感じられた方も多かったようです。この交響曲には、ブラームスの積年の思いとベートーヴェンを超えようとする不屈の精神とが集約され、何度も繰り返し聴くことで自分のものにできること、そして一旦自分のものにしたらば生涯の宝になるだろうことをお伝えし、終了となりました。

※比較試聴
ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団盤~第1楽章冒頭

写真 009

ところで、講座の最後には、1893年(亡くなる4年前)、ブラームスが晩年の孤独な心境を音に託した名作「クラリネット五重奏曲」を抜粋で聴き、楽しみました。第2楽章だけを聴いたのですが、このクラリネットの独特の響きや曲想には多くの参加者が感動してらっしゃいました。
次回はブルックナーの大作第7交響曲です。お楽しみに!