第25回 早わかりクラシック音楽講座 2009/4/26(Sun)

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「神への忠誠を貫いた変人・ブルックナー~交響曲第7番」

内容
≪ 神への忠誠を貫いた変人・ブルックナー~交響曲第7番  ≫
第1部:ブルックナーの人間像(生い立ち、女性関係、性癖、肩書好き)
第2部:当時のウィーン、ワーグナー派対ブラームス派
第3部:交響曲第7番を聴く~版の問題など
-お茶とフルーツ付-

第1部
□ブルックナーの人間像(生い立ち、女性関係、性癖、肩書好き)
ブルックナーの長大な交響曲を、しかも幾つかの聴き比べをしていただこうというねらいから今回は愛知とし子のピアノ演奏はありませんでした。それにしても彼の交響曲をマスターするのは相当なエネルギーが要りますね。あっという間の3時間でした。
まずは、極私的なお話、つまり私自身が高校生時分「どのようにブルックナーの世界にのめりこんでいったのか」を簡単にお話させていただきました。ちょうど1980年の10月、大阪フィルの定期演奏会の実況中継がNHK-FMであり、エアチェック(懐かしい!)をしながら第7交響曲に出逢ったのが最初でした。その日から来る日も来る日も件のカセットテープを聴き続け、1ヶ月後にはブルックナーの虜になってしまっていたのです。ともかく「好きな旋律、気になる個所」を見つけ、何度も繰り返し聴く。そして一度魅力にとりつかれたら一生の宝になるということを勝手ながらまずは訴えかけさせていただきました。

そして本題。ブルックナーは、少年時代から音楽に親しみ、才能を発揮しました。一方で、父親の死後、聖フローリアン修道院の少年聖歌隊に入隊し、壮大なバロック建築と、魂を揺さぶる大オルガンの響きに接し、根源的な影響を受けたのです。
また、生涯「結婚願望」にもかかわらず独身を通さざるを得なかったことと、彼の性癖-極度のロリコン趣味や、独り暮らしのためほとんどを外食に頼らざるを得ず、しかも大食漢で大酒飲みという性格も手伝って、晩年は(おそらく)生活習慣病に苦しんだという実生活に言及し、その「俗人」ぶりについても私なりの感想を交えながら講義を進めました。
作品を生み出す神懸り的なインスピレーションの一方、人間としては名声欲、権威欲の強い、しかも女性に嫌がられるほど「ねちねちしつこい」男性だったと思うのです。彼の創造した楽曲にそのあたりの片鱗を窺い知ることができると思います。

写真 003

第2部
□当時のウィーン、ワーグナー派対ブラームス派
作曲家、あるいはその音楽を理解する上で、当時の社会的背景、状況を理解することも重要です。1860年代後半、ウィーンはリベラルな空気が広がる一方、伝統や権威を尊重する保守的な都市でもありました。知識人たちは思想や音楽観を同じくする者同志で党派を結成し、特に音楽界では評論家ハンスリックを中心とする反ワーグナー派の牙城だったことがブルックナー受容の大きな「壁」になったといえましょう。
そんな中、ブルックナーは自作をワーグナーに献呈するほどの熱をいれ、ワーグナーを師匠と仰いだお陰で、ハンスリックから幾度も攻撃され、作品を発表する機会を失ったり、大学講師としての職に就かせてもらえないなどの妨害にあったりもしました。ハンスリックはもともとはブルックナーの擁護者でもあったのですが、要は次第にブルックナーの音楽が彼の理解を超えるようになったことが真意のようです。
ご参加いただいた方に、ワーグナーとブラームスの作風の違い(作曲者同志は実際には周囲ほど相手に対抗心をもっていたわけではありません)を体感いただくために、少々その音楽を聴いていただきました。

①ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲冒頭
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ドレスデン国立管弦楽団ほか

②ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68~第1楽章冒頭
シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団

聴き比べの時間が短かったので、その差異を認識するのはなかなか難しいかと思われたのですが、初めての方々にもある程度はわかっていただけたようです。

写真 005

第3部
□交響曲第7番を聴く~版の問題など
第7交響曲作曲の背景、版の問題を間に挟みながら、各楽章をじっくりと聴いていきました。まずはこの音楽がそれまでのブルックナーの音楽生活の中で最大限の絶賛を受け、大成功したことが重要なポイントです。もちろん音楽の素晴らしさ、そして比較的わかりやすい旋律や構成もさることながら、弟子を含めた周囲がいかに師匠の作品を世に広めようと尽力したかがよくわかりました。初演者である指揮者アルトゥール・ニキシュなどは何度もリハーサルを重ね、用意周到な準備をしたこと。そして初演の大成功を受け、ドイツの各都市やウィーンで再演が繰り返されたことなど。ようやくブルックナーが大音楽家として認められた瞬間でもあったのでした。まさに弟子たちが師匠の類稀な音楽を世に広める起爆剤として活動したことを如実に物語る事実であり、後年問題になる「改訂」についても、当時としては致し方なく、ある意味必要悪(?!)であったことがよくわかるのです。

それにしてもワーグナーの死を予感して創られたこの音楽は、何度繰り返し聴いても心が洗われる思いになります。まずは第1楽章から順番に聴いてみました。

③朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1975.10.12聖フローリアンLive)

ブルックナーの聖地での空前絶後の名演奏。マルモア・ザールのいつ果てるとも終わりのない残響に酔いしれながら20数分という時間を共有しました。ここで、「版の問題」について若干講義。いわゆる「原典」といわれる中にも、ハース版とノヴァーク版という存在があり、一方で弟子たちが手を入れた「改訂版」の存在までを簡単にお話しました。上記の朝比奈盤がハース版であること、そして特長として第1楽章の終結部分の指示が「非常に落ち着いて」と書かれていることを教示した後、比較のため、オイゲン・ヨッフムが死の半年前に演奏した来日公演盤の該当部分を抜粋で聴きました。

④オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1986.9.17人見記念行動Live)

ノヴァーク版での演奏は、終結部分で「次第に幾分テンポを速めて」という指示があるため、アッチェレランドがかかります。ご参加いただいた方に好みを聴いてみたところ、今回は圧倒的に「ハース版」支持が多かったようです。こういうバージョンの違い、あるいは指揮者による違いを体感できたことも皆さんにとって有意義だったということです。

続いて第2楽章。ワーグナー追悼のこの音楽の「美しさ」はたまりません。何度聴いても最高です。まさに「癒し」の「聖なる」音楽だと思うのです。第1主題が第1ヴァイオリンの6連音符の装飾を添えつつ展開を構成し、クライマックスを迎える部分はまさに「カタルシス」。人気のある部分でした。同じく版の違いを確認する意味で、上記朝比奈盤とヨッフム盤の該当個所の聴き比べをしました。
なお、ここで朝比奈盤における例の「奇跡の鐘の音」についても触れました。朝比奈先生の「楽は堂に満ちて」を抜粋で読んでいただき、実際に鐘の音を確認しました。

写真 007

若干のトイレ休憩を挟み、いよいよ第3楽章と第4楽章を連続で。第7交響曲は楽章のバランスが歪であることが問題にされがちですが、前半両楽章の「重み」が相当なものゆえ、これくらいのヴォリュームでちょうどいいのではないかと僕などは思ってしまいます。やはりフィナーレ最後のコーダの部分は圧巻です。

ということで、比較試聴はわずかな部分にとどまりましたが、ブルックナーを初めてきちんと聴くという方も多い中、楽しめていただけたようです。
次回はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」をとりあげます。ご希望の方はお早めにエントリーください!