第28回 早わかりクラシック音楽講座 2009/7/26(Sun)

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「ジュゼッペ・ヴェルディのオペラの魅力」

内容
≪ ジュゼッペ・ヴェルディのオペラの魅力 ≫
第1部:ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
第2部:ヴェルディの生い立ち、青年期~最初の成功、苦役の年月、傑作の誕生
第3部:円熟の時期~集大成、そして偉大なる老人へ
-お茶とお菓子付-

第1部
□ピアノ生演奏(Piano:愛知とし子)
①ヘンデル:オンブラ・マイ・フ(なつかしい木陰)
②マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」~間奏曲(愛知とし子編曲)

本日の1曲目は、19世紀イタリアの音楽学者アレッサンドロ・パリゾッティが編曲、編集しリコルディ社から出版した「イタリア歌曲集Ⅰ」から、ヘンデルのラルゴ(オンブラ・マイ・フ)として有名な音楽をピアノ・ソロ版で。とても美しい演奏でした。ちなみに、20年ほど前、コマーシャルでキャスリーン・バトルが歌うバージョンが有名になり、そのCDは20万枚以上も売れました。古き良きバブルの時代ですが、このメロディを記憶されている方も多いのでは?
もともとの歌詞の内容は、「生い茂った木々の蔭よ、お前ほど いとしく優雅に やさしいものは なかったよ 木々の蔭よ」というものです。
そして、2曲目に愛知とし子の十八番である「カヴァレリア」間奏曲。もともとはオペラの中の1曲ですが、今回は愛知とし子編曲のピアノソロ・バージョンにて。相変わらず涙なくして聴けない人気曲です。

写真 005

第2部
□ヴェルディの生い立ち、青年期~最初の成功、苦役の年月、傑作の誕生
ジュゼッペ・ヴェルディの幼少時から青年期、そしてオペラ作曲家として順調に成功の階段を駆け上がって行く様をお話しさせていただきながら、それぞれのポイントで生み出された有名歌劇から重要部分を抜粋で聴きました。子どもの頃から音楽的才能に長けていたヴェルディ。そういう意味での天才はそれ以前も、あるいはそれ以降の歴史を見てもたくさん存在しますが、現実的に「お金儲けをする」という点でも一層の才能を見せた彼は、バランスの取れた音楽家であったということがよくわかります。第1作「オベルト」のスカラ座でのスマッシュ・ヒットにより、ヴェルディはまずは最初のステップを悠々と越えます。しかし、直後、娘、息子、最愛の妻と立て続けに病気で亡くし、人生最悪の事態に陥るのです。独りっきりになってしまったヴェルディはしばらくまともに創作活動ができなくなります。その頃、劇場の依頼によって書かざるを得なかった喜劇「一日だけの王様」は初演に至るも失敗。それでもヴェルディの才能に惹かれていた劇場支配人メレッリの強い要望によりすぐさま書かれた「ナブッコ」が当時のイタリア人の民族意識を鼓舞し、センセーショナルな成功を収めるのです。これによってヴェルディは一躍オペラ界の寵児へと登り詰めていきます。

①歌劇「ナブッコ」~「行けわが思いよ、金色の翼に乗って」(第3幕ユダヤ人捕虜たちの合唱)
ランベルト・ガルデッリ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団

その後、殺到するあらゆる仕事を請け、猛烈な勢いで作曲を続けるヴェルディは、「苦役の10数年」といわれる時期に重要作をいくつも連発、イタリア・オペラ界のトップ・スタートして君臨するようになるのです。彼は、貧困からの出発のため「金銭への執着」が強く、常にオペラ界の第一人者でありたいという「達成欲」をもち、かつ他にない「個性的なオペラ」を書くことに執着しました。彼の創作した28のオペラの完成度がどれも半端でないのはそういう理由からでしょう。ちなみに、1846年に作曲された第10作「マクベス」をもって、ヴェルディ芸術はまず最初の完成を迎えることになります。

②歌劇「マクベス」~「消えてしまえ、呪わしいこの染みよ(夢遊の場)」(第4幕第2場、マクベス夫人)
シャーリー・ヴェレット(マクベス夫人)
クラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団

マクベス夫人が夢遊しながら国王殺害の事実を独白する不気味なシーン。「マクベス」においてヴェルディが最も作曲したかったシーンであり、聴きどころです。

そして、後に2番目の妻となるストレッポーニとの恋をはさみ、いよいよ「リゴレット」、「トロヴァトーレ」、「椿姫」という三大傑作の登場となります。まさに現代の歌劇場においてなくてはならない重要な演目であるこれらがある一時期に集中して生み出されたことは奇跡です。

③歌劇「リゴレット」~「女心の歌」(第3幕、マントヴァ公爵)「美しい乙女よ」(第3幕、マントヴァ公爵、ジルダ、マッダレーナ、リゴレットの四重唱)
プラシド・ドミンゴ(マントヴァ公爵)
ピエロ・カプッチッリ(リゴレット)
イリアナ・コトルバシュ(ジルダ)
エレーナ・オブラッツォヴァ(マッダレーナ)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

おそらくヴェルディ・オペラの中で最も有名であろう「女心の歌」。今回ご参加いただいた皆様もほとんど「ああ」と頷かれておりました。ジュリーニの音楽は少々重い傾向を持ちますが、全盛期のドミンゴの美声が響き渡ります。その後に続く四重唱は抜群の掛け合いで、4年後にパリにて上演された時、原作者であるヴィクトル・ユーゴーが、ここの部分を聴いて作曲者の才能を絶賛したという逸話が残っているほどです。

④歌劇「トラヴィアータ(椿姫)」~前奏曲、第1幕冒頭、乾杯の歌
イレアーナ・コトルバシュ(ヴィオレッタ)
プラシド・ドミンゴ(アルフレード)
カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団、バイエルン国立歌劇場合唱団

ヴェルディ・オペラで最も人口に膾炙するであろう作品「椿姫」。いやぁ、いつ聴いてもこの音盤は完璧です。颯爽とした切れ味鋭いテンポ感とディナーミク。一世一代の「椿姫」!冒頭の数分を聴いたに過ぎないのですが、やはりこのオペラは名作です。今回ご参加いただいた方々にも好評のようでした。

写真 006

写真 008

第3部
□円熟の時期~集大成、そして偉大なる老人へ
1850年代前半、40代を迎える頃、ヴェルディは農園経営から収入を得、ストレッポーニとの結婚生活も軌道に乗り、1850年ついに著作権を獲得したことで経済的基盤が安定。それにより創作活動に余裕が生まれ、作品発表の頻度がスローダウンしてゆきます。もちろん1作1作の内容は信じられないほどの深化をみせ、「シチリア島の夕べの祈り」、「シモン・ボッカネグラ」、「仮面舞踏会」など重要な作品を次々に世に出し、そのすべてが成功裏に初演を終えることになります。
1861年ついにイタリアが統一。その時期に重なるかのようにヴェルディの作品は円熟の機を迎え、諸外国からの依頼を受けるようになるのです。ロシアからの依頼による「運命の力」を、パリからの依頼で「ドン・カルロ」を、そしてエジプトからの依頼により「アイーダ」を創作、いずれも爆発的な熱狂で迎えられます。
中でも、「アイーダ」は空前の成功を収め、以後どこの歌劇場でも熱狂を巻き起こすほどの傑作となりました。私見ではヴェルディ・オペラ中、わかりやすくもっとも刺激的で感動的な作品だと思います。まずはぜひ「アイーダ」に触れてみることをおすすめします!

⑤歌劇「アイーダ」~「清きアイーダ」(第1幕第1場、ラダメス)
プライド・ドミンゴ(テノール)
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
リッカルド・ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

この後、「オテロ」、そして最後の「ファルスタッフ」と抜粋で聴き進めました。
奥深いヴェルディの世界を抜粋ではありますが堪能いただけた3時間でした。
次回はホアキン・ロドリーゴの名作「アランフエス協奏曲」を採り上げます。