第31回 早わかりクラシック音楽講座 2009/10/31(Sat)

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「ウィーン時代絶頂期-モーツァルト:1784年~86年」

内容
≪ ウィーン時代絶頂期-モーツァルト:1784年~86年 ≫
第1部:モーツァルトのウィーン時代~1784年、そして85年
第2部:フリーメイソン入会後の不滅のピアノ協奏曲
第3部:傑作歌劇「フィガロの結婚」
-お茶とお菓子付-

第1部
□モーツァルトのウィーン時代~1784年、そして85年
1756年、ザルツブルクに生を享けたモーツァルトの人生は大きく分け、ザルツブルク時代と1781年以降ウィーン時代に二分されます。ザルツブルク大司教コロレドと決裂、自由を求めて単身ウィーンに乗り込んできたのが81年3月。さらに翌年、父の大反対を押し切りコンスタンツェ・ウェーバーと結婚したことで、家族を養う責任感からますます創造力が飛翔し、いくつもの名作が書き上げられることになります。
特に、1784年は演奏家、作曲家としての人気の頂点にあった年であり、2月9日に完成したピアノ協奏曲第14番K.449を皮切りに、12月11日の第19番K.459まで6曲が陽の目を見ることになります。当時のモーツァルトは3月だけで19回の演奏会に出演(当時の常識では年に1回というのが一般的)、さらにその上作曲活動と弟子へのピアノ・レッスンまでも生業としており、引っ張りだこの忙しさでした。ちなみに3月の3回の演奏会だけで約3百万円を稼ぎ出しているわけですから相当なものです。

この年、この天才にとって大いなる転換点になる出来事が起こります。それが、12月14日のフリーメイソンへの入会です。18世紀の啓蒙主義精神から生まれ、「自由、平等、友愛」をスローガンとした結社の影響は計り知れず、彼の作風を途轍もない高みへと引き上げて行くのです。つまり、人の耳を歓ばすことよりも、自分の内面に忠実になっていくこと、自分をより高い存在へと引き上げようとする姿勢が露わになってゆくのです。

そして、翌85年。1月15日には、ハイドンに献呈予定の6曲のカルテットから後半3曲をハイドンの目前で披露し、師からこれ以上ないほどの賛辞を送られます。
「誠実な人間として、神の前に誓って申し上げますが、ご子息は私が名実共に知っている最も偉大な作曲家です。様式感に加えて、この上なく幅広い作曲上の知識をお持ちです」

まずは、このハイドン・セットから第19番の第1楽章を聴いてみました。

①弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」
ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団(旧録音)

あの混沌とした序奏部から、一気に開放される主部との対比が何とも形容しがたく素晴らしいです。21世紀の今でも相当斬新に聴こえるくらいですから、当時の聴衆はどう思ったことでしょう?興味深いです。

写真 001

第2部
□フリーメイソン入会後の不滅のピアノ協奏曲たち
フリーメイソン入会後のモーツァルトの作風は一気に変化、より高次のレベルに押し上げられてゆくことは前述しました。モーツァルトを理解する上でピアノ音楽とオペラを傾聴することが重要なポイントですが、1785年に生み出された第20番以降の不滅のピアノ協奏曲を抜粋ながら聴いていただこうといくつか採り上げました。
まずは、2月10日に完成した第20番ニ短調K.466。暗い情熱の迸るこの曲は、実際翌日の予約演奏会で初演されることになりますが、ちょうどザルツブルクから訪れたレオポルトが自分の息子のあまりの人気ぶりに驚いたということが手紙を通じて報告されています。そして、その芸術性の高さにも驚嘆したことでしょう。

②ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466~第1楽章
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

これまで多くの評論家諸氏に支持されてきたであろう名演奏の名盤をじっくりと聴きます。本来ならば全曲を通すべきでしたが、時間の関係で不滅の第1楽章のみを。
そして、暗い曲のあとに必ず明るい曲を書くという傾向を持つモーツァルトらしい次作第21番から今度は第2楽章を同じくグルダの演奏で。

③ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467~第2楽章
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

3月9日に完成したことから考えると前作からちょうど1ヶ月。作曲のスピードはやはり尋常じゃないですね。この第2楽章は映画にも使われたほど甘美なメロディを持っており、何度も聴くとじきに飽きが来るという問題ももちますが、久しぶりに耳にしてモーツァルトの天衣無縫な素晴らしさをまた実感させてくれました。この2曲をカップリングしたグルダ&アバド盤、これはやはり不滅です。
そして、いよいよ本日のメイン楽曲のひとつである第23番のコンチェルト全曲を。1786年3月2日に完成されたこの曲は、モーツァルトの作曲した27曲の中でも屈指の完成度を持つ傑作だと僕は思います。この年の後半にはいよいよその人気に翳りが見え始めるのですが、この頃はまだまだそんな気配を感じさせない、不思議な明るさと悲しみが交互に明滅する名作です。

④ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
内田光子(ピアノ&指揮)
クリーヴランド管弦楽団

内田は80年代にテイトとモーツァルトの全集を録音し、リリースしていますが、どこからどう聴いても23番に関しては旧盤の方が良いですね。ただし、音楽そのものは極めて魅力的です。今回の参加者の方々皆さんにも気に入っていただけたようで、とっておきの名盤、アシュケナージ弾き振りのフィルハーモニア盤を推薦させていただきました。「アシュケナージ?!」と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、この曲だけはどう転んでもアシュケナージが随一です。

写真 003

写真 004

休憩をはさみ、第3部に突入。

第3部
□傑作歌劇「フィガロの結婚」
モーツァルトを極めるにオペラを聴かずしてありえません。「魔笛」や「ドン・ジョヴァンニ」もさることながら、1785年10月に書き始められ翌86年4月末に完成した「フィガロの結婚」は、古今東西数々のオペラの中でも屈指の人気を誇ります。オペラは舞台を観るのが一番ですが、その前に音楽を知り尽くすこと、特にモーツァルトの音楽を十分に堪能するという意味で、あえてステージ上の出来事は空想に任せ、その音楽にのみ浸ってみることが大事だと僕は思うのです。本日も、いくつかのアリアや聴きどころを抜粋で採り上げましたが、歌詞の内容だけ壁に投影し、とにかく無心に音楽に耳を傾けていただきました。当時、ウィーンでも劇場は聴衆で埋め尽くされ、アンコールの連続。数ヶ月後のプラハ初演では国中が大騒ぎになるほどの大成功をもたらしたようで、どこにいっても「フィガロ」の音楽が聴こえてきたそうです。まさに時代の寵児と化したモーツァルト。しかしながら、その人気もあっという間に下降線を辿り、1787年の父レオポルトの死以降、家族崩壊と貧困に喘ぐようにまでなってしまうのですから、本当に人生というものはわからないものですね。少なくとも、稼いだお金を湯水の如く刹那的に浪費したモーツァルトの場合、将来の保険として貯蓄をするという概念はなかったようです。しかし、そういう性質こそが彼の彼たる所以ですから2百数十年後を生きる我々がとやかく言うことでもなく、むしろ彼の性格がそうであったことに感謝すべきではないかと思えるのです。
ということで、歌劇「フィガロの結婚」。

⑤歌劇「フィガロの結婚」K.492
チェーザレ・シエピ、リサ・デラ・カーザ、ヒルデ・ギューデンほか
エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

・序曲
・第1幕~第9番「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」
・第2幕~第11番アリエッタ「恋とはどんなものなのか」
・第13番三重唱「スザンナ、さあ出ておいで」
・第3幕~第18番六重唱「母を認めておくれ」
・第20番二重唱「そよ風によせる」
・第4幕~第27番アリア「楽しめるときが来たわ」

いわずとしれた天下の名盤、父クライバーが55年に録音した不滅の「フィガロ」。とても50年以上前の録音とは思えない生々しさ。ご参加の皆さんにも堪能いただけたようです。

ということであっという間の3時間。天才モーツァルトから学ぶことはたくさんあります。それは、悪く言えば「刹那的」、でも良いように解釈すれば「今」この瞬間を素直に生きること。そして何事にもチャレンジングに生きることの大切さ。フランス革命前夜のピリピリした空気感の中で貴族批判の内容を持つ「フィガロ」のオペラ化にチャレンジしたモーツァルトの心意気は、単なる傍若無人さではないように僕には思えます。常にベストを尽くす。そのことの大切さをモーツァルトからあらためて教わったような時間でした。

写真 006

次回は、サン=サーンスの傑作、交響曲第3番「オルガン付」をテーマに、19世紀フランスが生んだ天才の生涯をざっと俯瞰する予定です。お楽しみに!