「楽聖ベートーヴェン~舞踏の聖化・交響曲第7番」
内容
≪ 楽聖ベートーヴェン~舞踏の聖化・交響曲第7番 ≫
第1部:生い立ち、第7交響曲誕生の背景
第2部:交響曲第7番を聴く
第3部:交響曲第7番を比較試聴する
-お茶とお菓子付-
第1部
□生い立ち、第7交響曲誕生の背景
1770年12月16日、ボンで誕生したルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。彼の人間性の根底にはやはり両親、特に父親の影響が根付いています。幼少のころから、アルコール依存症であった父親の虐待を受け、青年期には父親の面倒をみなければならない役割を担っていたのです。一方の母親も、夫の乱暴な教育や躾から息子を守るための努力をしたという証言は残っておらず、少年ベートーヴェンは「愛情のストローク」を知らずに成長していったのだと考えざるをえません。後に大作曲家となったとき、文豪ゲーテと一度だけ会っているようですが、そのゲーテが妻や友人に残した手紙には当時のベートーヴェンのありのままの様子、すなわち人間性が垣間見られる内容で、いかに人間的にはアップダウンがあり、つきあいにくい人だったかがわかります。
父親との長きにわたる因縁も1795年、25歳の時にウィーンにおいてピアニストとしてデビューし、作曲家としても認知されるようになって少しずつ軟化、ようやく彼は「父親の呪縛」から解放されたのでした。
そういった精神不安定な側面ももっていたベートーヴェンには、人生の中で3度ほどスランプの時期があります。要はうつ状態といえる時期です。ひとつはボン後期の「不毛期」(1787年~89年)、そして「ハイリゲンシュタットの遺書」前後の頃(1802年)、さらに1814年~16年頃の停滞期です。逆に、うつ状態の直後には軽い「躁的な」状況が訪れるもので、今回採り上げた交響曲第7番は、まさに1811年~12年頃の「躁」の時に生み出されたものなのです。
講座では、当時の社会的背景、そしてベートーヴェンの個人的事情をまず知り、そしてその頃書かれた楽曲を抜粋でまずは聴いていただきました。
1809年はオーストリアとフランスが交戦状態に入り、数ヶ月間というものパトロンであった貴族たちがウィーンを離れることを余儀なくなれた関係で、ベートーヴェンは財政的保護を受けられなくなり、あわせて精神的にも落ち着かなくなっていた時期でした。戦争終了後、1810年1月にようやく貴族たちがウィーンに戻り始め、その時期の心境を反映した音楽がピアノ・ソナタ第26番「告別」だといわれています。一方個人的には相変わらず恋愛関係に落ちる女性が多く存在し(ベートーヴェンは生涯結婚しなかったので女性関係はあまりないように思われているのですが、さにあらず、相当なプレイボーイだったように見受けられます)、1809年にはテレーゼ・マルファッティという18歳の娘に恋をするのです。ベートーヴェンはテレーゼとの結婚を真剣に考えていたようで、当時の明るい気分を反映した音楽が「ハープ」と呼ばれる弦楽四重奏曲だといわれています。
①弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」~第1楽章
アルバン・ベルク四重奏団
そして、1810年4月にはこのテレーゼのために書いたであろうと推測される名曲「エリーゼのために」が生まれます。
②バガテルイ短調WoO59「エリーゼのために」
アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
何とも切ない「エリーゼ」です。ひょっとするとベートーヴェンはこの恋愛が成就しないのではないかと既にわかっていたかのような演奏です。
さらに、テレーゼとの結婚が不可能になった後に書かれた名作、それが「セリオーソ」弦楽四重奏曲。
③弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95「セリオーソ」~第1楽章
アルバン・ベルク四重奏団
前作の「ハープ」とは全く性格の異なる短い激烈な感情を露呈した音楽、極めて内省的で、かつ時折爆発する、そういうベートーヴェンの感情の起伏をそのまま表現するかのような音楽です。
第2部
□交響曲第7番を聴く
1811年、失恋の傷を癒してくれたのは、テレーゼ・フォン・ブルンスヴィク伯爵令嬢(先のテレーゼとは別人物)でした。そして、その夏に保養のために訪れた温泉地テープリッツではアマーリエ・ゼーバルトという歌手に再会し、大変親しくなりました。失恋後の闘争的になりがちなベートーヴェンの気持ちは、これらの女性たちの癒しによって落ち着いたのだとも考えられます。やはり女性の力は偉大ですね。
その翌年、1812年にも楽聖はテープリッツを訪れ、そこでゲーテと対面することになるのです。世紀の邂逅です。ちなみに、前述のようにゲーテが妻や友人宛てたベートーヴェンの印象を記した手紙が残されていますが、それを読むとベートーヴェンの人物像がよくわかって面白いです。
「あれほど独立的で、勢力に満ち、しかも誠実な芸術家には会ったことがない。」(7月19日付妻宛ての手紙)
「彼の才能には驚嘆したが、不幸なことに彼の個性は奔放極まりなく・・・自分の態度によっていくらかでも世の中を楽しくさせようとする気持ちがまったくなかった。同情されるのは聴覚を失いつつあることだ。それは音楽的な面ではなく、社交的な面で災いしている。」(友人宛ての手紙)
1811年~12年頃に書かれた作品はそのどれもが明るい印象を与えますが、中から室内楽の名作を抜粋で聴きました。
④ピアノ三重奏曲第7番変ホ長調作品97「大公」~第1楽章
チョン・トリオ
外に向かおうとするエネルギーに溢れた名作です。
ちなみにここで、1812年当時に書かれたと推測される「不滅の恋人への3通の手紙」にも言及しました。やはりベートーヴェンは無類の女性好きだったことがこういう面からもよく理解できますね。
ということで、まずは先年発売されて高い評価を得ている、カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団によるSACD盤をじっくりと聴いてみました。演奏前の緊張感と熱気、クライバー登場の圧倒的拍手、そして推進力抜群の演奏をもれなく刻み込んだ名盤であると思います。
⑤交響曲第7番イ長調作品92
カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(1982.5.3Live)
フィナーレはもうロック・ミュージックですね。参加いただいたみなさん、興奮状態でした。
休憩後、比較試聴ということで、もうひとつの名盤をじっくりと聴いてみました。
第3部
□交響曲第7番を比較試聴する
交響曲第7番の名盤はたくさんありますが、今回は「王道」を、ということで1960年にクレンペラーが録音したEMI盤を比較して聴きました。クライバーとは正反対の重厚で、戦車のようなどっしりとした造りはまた別の意味で感動的です。
⑥交響曲第7番イ長調作品92
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
聴後、参加者の皆さんにアンケートをとったところ、6割の方がクライバー派、4割がクレンペラー派でした。体内時計が関係するのかどうかわかりませんが、人の好みというのは面白いですね。テンポ、バランスなど解釈は全く違えど、いずれも感動的な名演奏だと思います。
講座終了後、皆様のたっての希望でウゴルスキの「エリーゼのために」をもう一度再生しました。本当にため息が出るほどの名演奏です。
次回は、ホルストの組曲「惑星」を採り上げます。前回、諸般の都合で開催中止を余儀なくされましたが、今度こそはこの名曲に浸り、楽しんでいただこうと思っております。
乞うご期待!