シルヴァン・カンブルラン指揮読響第615回名曲シリーズ

「改訂版」万歳!!
読響の各奏者の力量がものをいう。ホルン独奏の朗々たる調べ。フルート独奏の妙なる歌。重戦車の如くの世紀末浪漫的オーケストレーションは、個々の楽器の音色の美しさあって一層映えるもの。完璧だった。

森羅万象宇宙の鳴動というより魑魅魍魎地獄絵図。
あるいは、水というより火、また、女性性というより男性性の支配。
なるほど、ブルックナーが当時、思うように理解されなかったのは、第1稿にある前衛性はともかくとして、第2稿での彼の内面にある(誤解を恐れずに言うなら)女々しさ(ヨゼフィーネ・ラング嬢宛の恋文を見よ)、良く言えば女性的な側面が前面に押し出されていたのに対し、大衆が求めたのはもっと派手な、どちらかというとより男性的な、支配欲激しい音楽だったのだろうと考えた。
いやはや、全編を通じ、クレッシェンド、デクレッシェンドの嵐、想像以上に活躍する打楽器群、そして、分厚い弦楽器のうねりと金管群の壮絶な咆哮。あまりに表情豊かな、言葉にならないカタルシス。最高!(としか言いようがない)

全曲70分ほどの、ゆったりとしたテンポで繰り広げられた破壊的ドラマ。昨年のロジェストヴェンスキーによるシャルク改訂版交響曲第5番と同等の感動を得られるだろうと期待していたが、(それ以上とは言わないまでも)まったく引けを取らない素晴らしさ!とにかく一度実演で聴いてみたかった。
第1楽章冒頭、ホルン独奏の主題からのけ反った。巧い、巧過ぎる。そして、弦楽器によるクレッシェンドの興奮。原典版にはない強弱指定に涙が出るほど感動。第2楽章アンダンテも、適切なテンポでゆっくりと歌われる。昔日の面影を残すあの調べは、クライマックスに向かって大音響を打ち鳴らすが、最後の、ディミヌエンドしての静けさにブルックナー音楽の美しさを痛感した。また、第3楽章スケルツォは大袈裟な暑苦しい響きだが、40年近く前、最初に聴いたのはこんなような音だったことを僕は秘かに思い出していた。大胆な編曲やカットの激しい楽章だが、カンブルランの統率力、パワーとエネルギーはぴか一だと内心絶賛。白眉は終楽章。同じく大きなカットがあり、どの楽章よりもブルックナー的聖なる音響はスポイルされ、いかにも俗っぽい響き(強いて言うなら宇宙の鳴動ではなく大地の蠢き)に終始するが、あの大轟音の痛快さと思い切りの良さは、原典版にはないもの。
天晴れ、であった。

読売日本交響楽団第615回名曲シリーズ
2018年9月21日(金)19時開演
サントリーホール
ピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ)
小森谷巧(コンサートマスター)
シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団
・モーツァルト:歌劇「後宮からの誘拐」K.384序曲
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
~アンコール
・ベートーヴェン:6つのバガテル作品126~第1番ト長調
休憩
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック」(1888年稿/2004年刊コーストヴェット校訂版)

前半のモーツァルト2曲も素晴らしい出来。
「後宮からの誘拐」序曲の喜び。オーケストラは十分に鳴り、音楽は溌剌とし、明朗快活なモーツァルトの魂の顕現。
恐るべきは、協奏曲ハ短調K.491!!冒頭のオーケストラの出から柔和な響き。暗澹たる音調でありながら、デモーニッシュな側面は後退し、いぶし銀の音色を醸していた(天才モーツァルトの最高傑作の一つではないか?)。何より、アンデルシェフスキの、強弱の幅を利かせたニュアンス豊かなピアノの音!特に、第2楽章ラルゲットは絶品。あの静けさ、それもありのままの静謐さは、自然と一体となったモーツァルトの心の叫びだろう(ちょうど人気に陰りが出始めた頃の作曲ゆえ)。僕はようやくこの作品の凄さが身に沁みてわかった。
そして、終楽章アレグレットのカデンツァの類稀なる美音に思わずため息。あるいは、木管群のソロの愛らしさにも。
モーツァルトの醍醐味が詰まった最高の瞬間多々。感謝しかない。
ところで、アンコールは、意外にもベートーヴェンの6つのバガテルより第1番。晩年のベートーヴェンの崇高さ。アンデルシェフスキの巧さが光った。

職人シルヴァン・カンブルランの腕前は実に見事。すべてが音楽的で血が通い、モーツァルトもブルックナーも生き生きとして、他を冠絶する素晴らしさ。今期で彼の任期が終わるのが何とも寂しい限り。

 

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