ブラームスの音楽は渋い。そして、厳格な印象を人々に与える。若干後輩にあたるチャイコフスキーやドヴォルザークと比べ決してメロディアスとは言い難いし、とっつきも決して良くはない。今では大ファンである僕自身も若い頃はあまり好きになれなかった。ベートーヴェンが解放をテーマにするのに対しブラームスの場合どうも内々でくすぶっているように僕には感じられたのである。とはいえ、ある程度歳を重ね、 CDやコンサートを通じて彼の楽曲を様々聴くうち、いつの間にか逆にブラームスの音楽の虜になっていた。ひょっとするとある一定の人生経験を経ないと理解できない作曲家なのかもしれない。
かつて渋く厳格だと感じられた音楽も今では逆に心地よく非常にロマンティックであると感じられるようになった。そして、作曲家特有の「浪漫」はいわば彼の持つ「引っ込み思案」的な性質から派生しているものなのだと今なら理解できる。
ところで、ブラームスの両親は17歳の年齢差があり(当時としては珍しく年上女房である)、周囲の反対を押し切って結婚している。子は親の背中を見て育つというが、ブラームスの場合もそういう両親の影響を受けたのかどうか、生涯にわたり親交を結んだ年上の女性がいる。ローベルト・シューマン夫人クララである。年齢差は14歳。ブラームスとクララが初めて出逢ったのは、1853年、ブラームス20歳、クララ34歳の年である。出逢った当初からある意味特別な感情をお互いに抱いたものの、シューマンが存命であったこと、そして何より年齢差が高い壁となって二人の間に聳え立っていた。シューマン没後、急速に彼らの関係は親密なものになっていくのだが、厳密な意味で彼ら2人の関係は謎に包まれたままである。何度も交わした「手紙」のほとんどが棄却されているからだ。おそらく後年の人々に自分たちのプライバシーを公開するのを躊躇っての行為であろう。
結局のところ、ブラームスは生涯独身を通した。決して「結婚」を望まなかったわけではない。ましてや恋愛に縁がなかったわけでもない。何人もの女性と恋愛をしたという証拠は確かに残っている。単に「内気な性格」に起因するものなのかもしれないし、あるいはクララの存在があってのことなのかもしれないが、理由は今となっては誰にもわからない。ただ一ついえることは、一般的には「プラトニック」だと思われているクララとの関係において「肉体的関係」があったのではないかということだ。あくまで勝手な推測に過ぎないが。 1896年クララが亡くなったまさに次の年、後を追うかのようにブラームスも風の如く逝ってしまった。まさに一緒になるためには「死」を待つしかなかったかのように・・・。