先ごろケネス・ブラナー監督の「魔笛」を観た。舞台を第一次世界大戦の時代に移した見事な演出で長年のクラシック音楽ファンにとっても充分楽しめる出来であった。
ところで、この「魔笛」というオペラ、モーツァルトの死の年に書かれた作品でもちろん傑作ではあるのだが、問題も多く今に至るまで識者の間では相当な議論を巻き起こしている代物である。
というのも、台本によると「物語は王子によるお姫様の救出劇として始まったものが、途中で善玉と悪玉が入れ替わる」という奇妙な捻りがあるからだ。台本を書いたエマニュエル・シカネーダーが作成中に他の作品で似た筋書きが発表されたため急いで変更したためであるという説、単なる意外性を求めたストーリー上の工夫とみなす説など様々だが、決してそんな短絡的なものではない。36歳にしてすでに晩年の境地に達していた神の子モーツァルトがただのメルヘンを支離滅裂に創作するはずはないのである。
「魔笛」の大まかなあらすじ
第1幕
夜の女王が王子タミーノに「悪人ザラストロに捕らえられた娘パミーナを救い出してくれれば、娘をあなたに与える」と約束する。写真を見て一目ぼれしていたタミーノは早速ザラストロの神殿にパミーナ救出に向かう。
ところが、実はザラストロは悪人ではなく偉大な祭司で、世界征服を企む夜の女王の邪悪な野望の犠牲とならないようにパミーナを保護していたということがストーリーが進むにつれてわかってくる。
第2幕
ザラストロはタミーノに、パミーナを得るための試練を授ける。一方、夜の女王は侍女達とともに自らザラストロの神殿に侵入を試み、パミーナにザラストロ暗殺を迫るが、結局雷に打たれ闇夜に落ちていく。そして、ザラストロは試練に打ち勝ったタミーノ、パミーナたちを祝福して、太陽神の子オリシスとイシスを讃える。
どうやらシカネーダー、アマデウスの二人とも当時フリーメイソンの会員であったことに秘密が隠されているようだ。フリーメイソンに関しては全く無知であるゆえ言及は避けるが、このオペラに「さまざまなシンボルや教義に基づく歌詞や設定」が用いられていることが特徴であるらしい。
この「魔笛」も単純にストーリーや登場人物の動きだけ見ていると「本質」が見えなくなるように思う。夜の女王側の立場でしかモノの見えない人にとっては確かにザラストロは「悪」だが、結局はザラストロがパミーナを誘拐したのには訳があったということだ。「正義」であり「善」であったのである。
いずれにせよ、物事は見た目だけで判断することは非常に難しい。そして「相対的な比較」だけでものを見るとどうしても判断ミスを起こしてしまいがちになる。にもかかわらず、人は誰しも表面的な目に見える事柄にのみ左右され騙される。何が真実で何が正しいのかを直観的に捉えることのできる理性と判断力をもたないとこれからの時代は乗り切ることはできないかもしれない。すでに200年以上も前から「真理」というものは変わらず存在し続けている、ということだろう。