「早わかりクラシック音楽講座」のためにその月にとりあげる作曲家について調べることが多くなった。お陰で、これまであまり感心を持たなかった作曲家についても興味を抱くようになり、より一層音楽というものに対する「楽しみ方」が深まったように思う。この世の中に存在する全てのものは人類が創り出したものであり、芸術とて例外ではない。本来、芸術は全ての概念を超越し、虚心坦懐、無心に味わうものであると僕は思うのだが、古来不遇な目に遇っている作品は多い。いわゆる名作といわれるものに限りそういう目に遇っているものも少なくないのだ。音楽という世界に限ると、その最右翼はメンデルスゾーンかもしれない。
メンデルスゾーンは、当時の裕福な家系に生まれ、音楽に限らず才能豊かで、数々の実績を残している。いわゆる芸術家であると同時にビジネスマンとしても優秀で、職業指揮者のはしりであったともいえるし、J.S.バッハの復興の一端を担ったのも彼であった。
しかしながら、その死後、1850年のワーグナーによる匿名の誹謗中傷論文に始まり、極めつけは20世紀のナチス・ドイツによる迫害など、その不幸さ加減は並大抵のものではない。少し前まで彼は二流作曲家のレッテルを張られ、およそクラシック音楽愛好家の中でもほとんど注目されず、ポップス並みの軽い音楽を書いたお坊ちゃん作曲家だと思われていた。ところが、あれこれ楽曲を漁り、いくつかの文献を読み進むうちにその印象は明らかに変わってしまった。少なくとも僕の中ではそうなのである。今こそメンデルスゾーンを再評価するべきである。
例えば、弦楽四重奏曲やピアノ三重奏曲などの室内楽はどれも見事な出来栄えだし、交響曲も「イタリア」や「スコットランド」がことのほか有名だが、第5番「宗教改革」や第2番「讃歌」などもよくよく聴くと名旋律の宝庫で、明るい中に翳りを見せる絶妙な色合いが、聴くものの心を捉えて話さない魅力に富んでいる。
ただ、ユダヤ人であったというだけで差別を受けた幼年時代。そして数々の音楽的実績にもかかわらず、ユダヤ人であったばかりに闇に葬られた20世紀の数年間。
間違いなく素晴らしい音楽を残したにもかかわらず、なぜにメンデルスゾーンは迫害を受けなければならなかったのか?単にユダヤ人というだけでこうもひどい目に遇わねばならなかったのか?
時代も国も違えども、差別と称される事実は21世紀となった現代でも起こっている。チベット問題。イラク戦争。北朝鮮問題。いずれも人種差別や宗教絡みの諸問題が発端となっている。「罪を憎んで人を憎まず」というが、人間の概念ほど怖いものはない。生まれ育った環境、時代、など全てに影響され人間は形成される。本来、人は皆兄弟であり、一つであるはずなのに。
純粋に音楽に耳を傾ける-じっくりとメンデルスゾーンを聴いてみよう。これほど人間の生と負が中庸に表現された美しい音楽はなかろう・・・。