No.021 「オペラを観よう(聴こう)!」 2008/6/14

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若い頃からリヒャルト・シュトラウスが好きで、19世紀中に彼が書いた多数の交響詩には随分世話になった。いつも拙ブログに登場するフルトヴェングラーやカラヤンの指揮する音盤を聴いては悦に浸ったものである。しかしながら、モーツァルト同様R.シュトラウスの真髄はオペラにある。20世紀に入り、楽劇「サロメ」を発表以降、ホーフマンスタールやツヴァイクなど一流の脚本家と二人三脚で世に送り出した名作群は現代の歌劇場の主要な演目のひとつとして世界中で愛されているし、実際にワーグナーやヴェルディ、プッチーニ以上の感銘を与えてくれる瞬間も幾度もあり、たとえDVD鑑賞であったとしても歌劇の楽しみを十分に味わわせてくれる「凄み」をもっている。
若い頃、特に20代まではいわゆるオペラが苦手で、ワーグナーやモーツァルトの一部の抜粋管弦楽曲などを聴くことは別にして、ほとんど歌劇というものに触れたことがなかった。もともと映画やテレビ・ドラマを観るのが苦手で(おそらくテレビ画面から発生する電磁波の影響なのだろうが、途中で目が痛くなり、長時間画面に向かっていることがとても苦痛だった)、当時は何万円もの金額をはたいて歌劇場通いもなかなかできないし、ましてや新国立劇場などまだない頃で、日本のオペラ事情もまだまだ発展途上状態だった故、なかなか本場モノに接する機会がなかったというのが事情と言えば事情。
それに、いわゆるクラシック歌手のあの何ともいえない大袈裟(と思えた)な歌い方が嫌いで、リートなどの歌曲モノも苦手だったから、必ずしも環境だけの問題ではないのかもしれないが(だから今の若者の中でオペラ好きだと称し、劇場通いをしている輩を見ると羨ましくもあり、不思議な感覚をもってしまう)。
初めてオペラを観たのは、ウィーンの国立歌劇場での「フィガロの結婚」だったか、アレーナ・ディ・ヴェローナの来日公演での「アイーダ」だったか、ジュネーブのオペラハウスでの「アッティラ」だったか、記憶は定かでない。本場でのオペラ体験はそれなりに衝撃的だったし、意外に安価なのが嬉しくて、海外に行けば必ず歌劇場通いはしたが、僕をオペラ通にするだけの超弩級の名演奏には結局出逢えなかった。もっとも海外でその当日にチケットが購入できるということはおそらく人気のない(またはそれなりの)演目だからとも考えられるし(一概には言えないかな・・・)、人気歌手や人気指揮者が出演するとなると随分前から完売になっているはずだから、僕のわずかな海外でのオペラ経験を持って云々すること自体無理があるのだが。
今から考えると行っておけば良かったと後悔する公演がいくつもある。例えばカルロス・クライバーの最後の「薔薇の騎士」を筆頭に、シノーポリのバイロイト祝祭歌劇場引越し公演での「タンホイザー」。あるいはカルロス・クライバー&スカラ座の「ボエーム」などなど。
今も語り草になっている名舞台の数々・・・。
ともかく、最近になって妙に歌劇というものに興味を持ち始め、志向がそちらに傾いているのは事実。しかしながら、若い頃のあの純粋な感覚で、時間を忘れて重厚長大な音楽に没頭したああいう聴き方はいまやできない。
そう考えると、マーラーやブルックナーの交響曲(あるいはショスタコーヴィチも)、ワーグナー、R.シュトラウス、ヴェルディなどのオペラの数々は若い頃に聴きこんでもらいたい作品たちである。
言葉と音楽、そして舞台が同等の立場で絡み合う綜合芸術。ここにこそ西洋古典音楽の真髄・エッセンスが極まり、集約されているようにこの歳になって(44歳!)なって感じる今日この頃である。