「ホアキン・ロドリーゴ没後10年~哀愁のアランフエス協奏曲」
内容
≪ ホアキン・ロドリーゴ没後10年~哀愁のアランフエス協奏曲 ≫
第1部:ロドリーゴの人生~アランフエス協奏曲を聴く
第2部:アランフエス協奏曲聴き比べ
第3部:ジャズなどポピュラー音楽への影響
-お茶とお菓子付-
第1部
□ロドリーゴの人生
3歳の頃、ジフテリア熱により視力を失ったホアキン・ロドリーゴは、後年「視力を失ったことが自分を音楽の道へ導いた」と回想しています。先日、ヴァン=クライバーン国際ピアノコンクールで見事に優勝を果たした盲目のピアニスト、辻井伸行君のことを自ずと思い出しましたが、お二人とも障害を抱えたからこそ、周囲に感謝し、一層前向きに生きることができるようになったのかもしれません。ロドリーゴも自身の抱える問題に負けることなく、97年という長い時間を生き、とても多くの修作、名作を残しました。
盲学校に入学後、8歳で点字を駆使し、ソルフェージュ、ピアノ、ヴァイオリンを習い始め、その後、両親の提案により、ラファエル・イバニェス青年を家庭教師に迎えます。ラファエルは、ホアキンのパリ留学にも同行し、生涯にわたって秘書、楽譜の書き取りなどの雑務を引き受け、かけがえのないパートナーとして作曲家を支えました。
20歳で、ピアニストとして素晴らしい技量を披露、ラヴェルやストラヴィンスキーとも親交を持ち、1927年(26歳)、パリのスコラ・カントルムに留学、ポール・デュカスに師事しました。そこでビクトリア・カミと出逢い、1933年(32歳)に結婚、以後は夫人が彼の目となり、残りの人生を彼と寄り添い、作曲活動を支えていくようになります。
夫婦のパリ生活は決して裕福なものではなかったようですが、1935年5月の師の死去がホアキンに精神的打撃を与え、また1936年7月に勃発したスペイン内戦の影響で頼みの奨学金が途絶えたことで、ますます生活は困窮を極めることになります。そんな中、妻が流産したこともより一層の哀しみを作曲家に与えることになるのです。
ちょうどその頃、スペインの代表的ギタリストであるマドリード王立音楽院ギター科正教授レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサの依頼によりギター協奏曲の作曲を開始。帰国の希望を胸に、かつて夫人と訪れたアランフエスの王宮の思い出をテーマに1曲を作ってみたいと考え、ついに「アランフエス協奏曲」が世に出ることになります。その同時期また、マヌエル・デ・ファリャから故郷の大学での教授職のポストを紹介するという手紙が舞い込み、帰国を決心することになります。
□アランフエス協奏曲を聴く
アランフエスは夫婦が新婚時代に訪れた思い出の場所です。全体に乾燥した場所の多い中央スペインの中で、アランフエスだけは緑の木々が生い茂る楽園になっているのです。
視力を失っているロドリーゴは、せせらぎや小鳥の声に耳を澄ませ、微風を受け、そして夫人が説明してくれる18世紀から19世紀初頭大画家ゴヤの時代におけるアランフエスの様子に耳を傾けたといわれています。
宮殿に飾られていたゴヤの「カルロス4世とその家族」を、作曲家は自分の目で確かめることはできなかったものの、想像力によってゴヤの時代のスペインを協奏曲に描きこんだのです。
1940年、バルセロナのカタルーニャ音楽堂にて初演、すぐさま世界的名声を得ることになります。第1楽章と第3楽章に漲る活気、そして何よりあまりにポピュラーで哀愁感たっぷりの第2楽章は、初演時より内戦で打ちひしがれた人々の心を強く慰めたのです。
後にロドリーゴは語ります。
「第2楽章の悲しみは、当時、初めて子を死産した妻を慰める歌であった」のだと。
まずは、第1楽章から順番に全曲を聴いてみました。
①カルロス・ボネル(ギター)、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団
オーソドックスな表現の中にも、古き良きスペインの幻影世界を見事に表した演奏です。やはり第2楽章のカデンツァ直後のオーケストラのトゥッティによる主題の提示部分が皆さんの心を惹きつけるようで、特にこの部分が人気ありました。
第2部
□アランフエス協奏曲聴き比べ
スペインの20世紀近代音楽は、フランコ独裁政権下という特殊な状況に置かれていたにもかかわらず、同時期のソビエトなどとは全く違い、それを反映した作品が極めて少ないのが特徴だと思われます。もちろんロドリーゴ自身も数十年にわたり政治的ポリシーには触れず、外国人の憧れる美しい観光地スペインに相応しい民族色と明るい色彩と叙情性を持った音楽を一貫して生み続けたのです。
ここで、スペインの国民楽器であるギターの音色を少々楽しんでいただくために、有名なギター小品を聴きました。
②作曲者不詳、イエペス編曲:禁じられた遊び(愛のロマンス)
③タレガ:アルハンブラの思い出
ナルシソ・イエペス(ギター)
そして、リクエストにお応えし、アランフエス協奏曲の第2楽章を別の演奏にて。
④レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(ギター)、クリストバル・アルフテル指揮マヌエル・デ・ファリャ管弦楽団
初演者による1962年頃の記録。録音の古さが目立ちますが、これはこれで歴史的資料的価値充分であり、一度は耳にする価値ある音盤だと思います。参加者に聞いてみると、前述のボネル&デュトワ盤の方が好きだという意見が多かったようです。
第3部
□ジャズなどポピュラー音楽への影響
アランフエス協奏曲は発表以後、様々な音楽シーンに影響を与え、ジャズやポピュラー・ソング、あるいはイージー・リスニングなどに編曲され現在でも世界中で愛奏、愛聴されている傑作です。今回は、いくつか編曲バージョンを聴き、楽しみました。
⑤マイルス・ディヴィス:アランフエス協奏曲~「スケッチ・オブ・スペイン」
マイルス・ディヴィス(tp)
ギル・エヴァンス・オーケストラ
いわずとしれたジャズ版アランフエス協奏曲の嚆矢となる歴史的編曲。原曲とはまた一味違ったアレンジで、トランペットによる朗々たる主題の提示もなかなかいかします。
続いて、チック・コリアが編曲、というよりあらたに作曲した「スペイン」を。
⑥チック・コリア&リターン・トゥー・フォーエバー:スペイン~「ライト・アズ・ア・フェザー」
チック・コリア(el p)
ジョー・ファレル(fl、ss、ts)
スタンリー・クラーク(b、el b)
アイアート・モレイラ(ds、perc)
フローラ・プリム(perc、vo)
個人的には大好きな永遠の名盤です。参加者の中にはリズムがとりにくく「不安」になるような音楽だという意見もありましたが・・・。この頃のチック・コリアは抜群ですね。
さらに、ジム・ホールが1975年に録音した「アランフエス協奏曲」。
⑦ジム・ホール:アランフエス協奏曲~コンチエルト
ジム・ホール(g)
チェット・ベイカー(tp)
ポール・デズモンド(as)
ローランド・ハンナ(p)
ロン・カーター(b)
スティーヴ・ガッド(d)
このジム・ホールのバージョンは少々長い印象を受けますが、秋の夜長などに独りじっくり聴くと楽しめる音盤だと思います。上記3つのジャズ・バージョンではこのジム・ホール盤が今回の参加者の中では人気があったように思われます。
あっという間の3時間でしたが、これほどまでに人口に膾炙した音楽を様々な演奏で聴くと、多少の疲れを催すものの(笑)、非常に意義深い時間だったと思います。ロドリーゴと言う作曲家はこの「アランフエス協奏曲」だけがとびきり有名になっていますが、他の諸作も名作揃いで、聴いてみる価値は充分にあると思います。
廉価盤Boxセットを発売するBrilliantレーベルから格好のセットが出ておりますので、ご興味ある方はそちらを購入し楽しんでみていただくと良いのでは。まさに知る人ぞ知る名曲ばかりです。
最後に、そのロドリーゴのBoxセットより、アランフエス協奏曲をBGM的に聴いていただきながら、彼の墓碑銘で書かれている次の言葉についてお話し、終了いたしました。
妻に全幅の信頼を寄せた夫の心(ここにあり)
私の杯は小さいけれど、私は私の杯で頂きます
素晴らしいですね。