No.026 「俗人ブルックナーと聖人ブルックナーの狭間で」 2009/4/27

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昨日の「早わかりクラシック音楽講座」ではブルックナーを採り上げた。入門者のためにできるだけハードルを低くしようと、とっつき易い第4交響曲か第7交響曲をと考えた。ブルックナー好きからは「交響曲第8番を!」という意見もあったが、クラシック音楽の「ク」の字もままならない方々にとっては厳しかろうと当然配慮したのである。それでも70分ほどの大交響曲は辛いだろうと始まる前は心配したが、意外に楽しんでくださったようでよかった。辛抱強く聴いてくださった皆様に感謝いたします。

ブルックナーの交響曲の中でも稿の違いなどが比較的問題にならない第7交響曲。文献を漁ってみると、楽曲の良さもさることながら、弟子を含めた周囲の多大なる尽力によって成功に導かれたことが煩雑な版の問題に至っていない理由だとわかる。田舎者の生臭坊主(笑)たるブルックナーにとって人生で初めて味わった「受容」だったかもしれない。1885年、すなわち作曲者61歳の時のことである。通常なら大巨匠の域に達している年齢だが、ブルックナーの場合は交響曲作曲家としてのスタートが遅かったゆえ、まさに大器晩成型の天才であった。

カトリック信仰篤かったブルックナーにとって、自然の叡智や宇宙からのインスピレーションはまさに「宝物」であった。モーツァルト同様西洋音楽史の中でも孤高の存在を誇るブルックナーの音楽は後にも先にも存在しない「唯一無二」の音楽である。100年以上を経た今日、朝比奈隆やギュンター・ヴァントなど今は亡きブルックナー指揮者の多大な努力が実り、一般に受け容れられ、人気作曲家のひとりになっているものの、さすがに発表当時の一般大衆はおろか、専門家ですらその音楽の価値を判断することが難しかった。それくらいに時代の先を行き過ぎた「天才」だったのである。

とはいうもののブルックナーも「人間」であった。極端なほどのその「俗人」ぶりは伝記などを読むと笑ってしまうほどだ。例えば、人一倍「結婚願望」が強かったものの、生涯「独身」で終わらざるを得なかったという事実。若い頃から10代の娘のお尻を追っかけ回しては都度拒否されるという「もてなさ」。あるいは誰よりも大食漢で大酒飲みで、人生のほとんどを外食で過ごすという生活スタイル。晩年には外出もままならないほど衰弱したといわれるが、まさに今でいう「生活習慣病」のはしりのようなものだろう(いや待て、ロッシーニがいたか・・・笑)。そして、彼の音楽家人生をある意味ままならないものにした「癖」が、終生「名声と肩書」を重視し、他者から評価されること、受容されることに固執した「しつこさ」。「肩書き」好きで、ともかく何にでも「証明書」の発行を求めたという。そういう彼にとって自作が評価されないというのは大変なことであったのだろう。弟子の忠告や反応を常に気にし、否定的意見を知るやすぐさま改訂に走るという行為を繰り返した。より一般にわかりやすいように化粧を施す、あるいはカットするという現代から見たら「横暴」とも映る行為も、本当に「必要」なことだったのだろう。
20世紀に入り、学者が研究を重ねるたび、弟子の手の入ったいわゆる「改訂版」に対して批判が奔出し、「原典版」絶対主義に傾くようになってゆくのだが、それでもクナッパーツブッシュなどの残された「改訂版」による演奏の単なる資料的価値にとどまらない重要性は推し量れないように僕は思うのだ。その時代に必要とされた改変。そして、それは作曲者自らが「良し」と判断した代物であるということを忘れてはならない。僕は、ブルックナーは自己の才能に陶酔するよりも、とにかく人から愛され、受け容れられたいと求めた「人間」だったと思うのである。自分らしくない変更が随所に施されたとしても、聴衆が喜んでくれるならそちらの方が嬉しかったのである。「俗人」というよりも何と「人間臭い」人だったのだろうか!人から指摘されるたびにグラグラとぶれるようでいて、実は決してぶれることがなかったという生き様がかっこいい。それは残された彼の11曲に及ぶ(習作を含む)大交響曲群を聴けば容易にわかる。これほどまでに執拗に同じ型の音楽を書き続けたその「しつこさ」、あるいは「継続性」がそれを物語っている。ともかく彼は「同じ」音楽-すなわちブルックナーの交響曲というものを一生追い続け、ぶれることなく「神の高み」まで登り詰めようとしたのである。第9交響曲が完成ならず、「白鳥の歌」たるあの崇高なアダージョ楽章で終わっていることが一層そのことに拍車をかける。フィナーレなど無用なのだ。

原典版、改訂版、あるいは第1稿といわれる版、様々な版の問題がブルックナーを演奏する際について回る。しかし、その全てがブルックナーの音楽であり、どれひとつとしておざなりにはできない。ブルックナーは決して聖人ではない。あるいは単なる俗人でもない。その両方を極端に兼ね備えた「大天才」だったのだから・・・。
彼の残した傑作を聴きながら、かの時代に想いを馳せて・・・。