No.028 「感性を磨くこと」 2010/9/15

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そういえば、しばらくコラムを書いていないなと思い、チェックしてみたら最後のアップデートから1年2ヶ月が経過していた。
「アレグロ・コン・ブリオ~第2章」という趣味の音楽鑑賞から得た想いを日々書きためるブログ、日々の出来事や気づきを連ねる「人間力発見日記」、そして仕事の情報を掲示する意味合いの強い「才能開花プロジェクト」というブログも始め、3つを継続的に管理していくことの大変さから少々こちらはおざなりにしていたというのが実際のところ。正直書く事柄はそうそうはない。

とはいえ、こういう「発信スペース」をそのままにしておくというのもどうかとも思うし、何より家屋と同様、人が住んでいないと(人の行き来がないと、つまり頻繁に更新していないと)すぐにダメになるだろうから、心を入れ替えてこのページについても少なくとも1,2ヶ月に1回はアップデートできるようにがんばろうと思う。

ところで、所用のついでにCDショップを覗くことがよくある。かつてと違い、閑古鳥が鳴く店舗も多いようで(もちろん平日と祝日の違い、あるいは時間帯によっての差などは大いにあるのだが)、明らかにネット・ショップに顧客を持っていかれているのだろうこともわかるし、さらには音盤そのものがやっぱり売れず、業界自体が相当な不況であるということも直接的に肌で感じる。音盤が売れなくなったのは、音楽配信で済ませる若者が増えてきたからだという意見が専らだが、他にも理由はないのだろうか?

僕自身の体験から感じるのは、ここのところ以前ほど音盤そのものに食指が動かなくなってしまっているということ。そう、お金があまりなかった若い頃は、レコード1枚1枚に大変な思い入れがあったし、一度買った音盤は文字通り擦り切れるほど繰り返し聴いていた。次は何を買おうか、手に入れたら入れたで、さてどんな音楽が流れるのか、興味津々で帰路我慢できなくて封を開け、解説書を読みながら空想したり、そういうことに幸せを感じていた。もちろん今もその姿勢は変わらない。ただし、あの頃のような純粋な気持ちで音盤に向かう、ああいう精神を完全に無くしてしまっていることにも気づく。

では、自分自身が年をとり、音楽に対する情熱が失せてしまったのだろうか?いや、そんなことはないはずだ。なぜなら、コンサートに行けば新しい発見にワクワクし、予想もしない名演奏や名曲に出会ったときには心が震えるほど感動するから。だから、ひょっとすると、音の缶詰といわれるレコードそのもの、いわゆるレコード芸術というものにほんの少しだが「飽き」が来ているのかもしれない。

欲しい音盤、聴いてみたい音盤はそれこそ腐るほどある。その全部を聴いてみたいと思うが、物理的に不可能。1枚のレコードをたった1回きり聴くということなら不可能でもないのだろうが、「音楽を楽しむ」ってそういうことじゃないだろう、そんな想いも頭の片隅を過る。やっぱりひとつの楽曲を繰り返し聴き、できればスコアなどを見ながら没頭して聴き、自分の血や肉にする、そういう聴き方をしないことには本当には楽しめない。要は、現代は情報が多すぎるのだ。幸せといえば幸せなのだが、玉石混交の中で、本当に良いものを見極める鑑識眼をもっている人間が少ないゆえ、ほとんどの人が迷ってしまう。

ジャケットを見て、直感的に良し悪しを判断し、買って聴いてみるというのも手だろう。お金があるなら手当たり次第にニューリリースものを手に入れてみるのもいいかも(もちろん多くの人がそんなことはできないのだが)。「レコード芸術」など評論誌の意見もほとんど参考にならなくなった。ともかく自身の感性、耳を鍛えねば。

ちなみに、先日ネット・サーフィンをしていて茂木健一郎氏が「親と子の真のコミュニケーションを築くには」というお題で講演された記事を読んだ。良いことが書いてある。子どもの頃から感性を鍛える秘訣は、不確定性要素の高い生の体験をどんどんさせることにあるという。親が出しゃばらず、とにかく子どもの意志でチャレンジさせること。親ができることは「安全基地」になるということだけ(「安全基地」とはイギリスの心理学者ジョン・ボルビーが提唱した概念で、子どもがやりたいようにチャレンジさせ、いざという時には必ず助け舟を出すという、子どもにとっての「安全地帯」)。

親子に限らず真のコミュニケーションの裏には「信頼」が根付く。「信頼」があるからこそ深いコミュニケーションができるともいえるが、いずれにせよ腹を割った、右脳を使ったコミュニケーションが日常的にいかにできるかがポイントだろう。

ここまで考えて思った。音楽体験も然り。レコード、CDというものは所詮は音楽の疑似体験に過ぎない。不確定性要素の高い生の体験、すなわちどれだけたくさんの実演に触れられるか、そして良い演奏に出会えるかが鍵なのである。「感性を磨くこと」は子どもに限ったことではない。音楽すること、聴くことは結局コミュニケーションゆえバーチャルでなくリアルであることが重要だということだ。