No.038 「久しぶりにフルトヴェングラーのアナログ盤を聴いて思ったこと」 2025/5/24

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2年半ぶりのコラムです。
昨今、Vinal盤が持て囃されています。単なる(一過性の)ブームでなく、アナログ盤の良さが見直されつつある結果なのでしょう。かれこれ30年ほど前、手持ちのアナログ盤のほとんどを処分したことを今になって後悔しています。

実際、音を比較視聴してみても、明らかにアナログ盤の方が温かみがあり、情報量が多いことに気づきます。よく考えるとそれは当然のことで、デジタルは0か1かの世界で、0と1の間の情報をすべてカットして成り立っているのに対し、アナログは0と1の間に無限の数字が隠されているのです。

研修の世界でも、今私はできるだけアナログ的に対応しようとしています。
例えば資料ひとつとっても、できるだけPCやパワーポイントを使用せず、紙ベースのテキストで進めようとしています。その方が受講者の状況に合わせて臨機応変に対処しやすいことが明らかだからです。
(もちろん受講者にはできるだけ紙に書いていただくことを推奨するので、これがまた皆様の脳を刺激するのです)

もちろんそれらはツールですからあくまで使用する人間の心持ち次第なのですがね。
何にせよ先行き不透明なVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代にあって大事なことは凝り固まらず、臨機応変さですから、その場その場に合わせた対処が重要だと痛感します。

さて、40余年前に購入した、フランス・フルトヴェングラー協会頒布のアナログ盤(SWF-8201-02)をそれこそ40年ぶりに聴きました。CDではTharaからリリースされた2種を所有しますが、明らかにアナログ盤の勝利です。
音の瑞々しさがCDを圧倒的に上回っているのです。

あと、この記事を書きながら次のようなことを考えました。
すなわち、レコードからCD、そしてサブスクという変遷の中で、音楽を聴くことがとても便利になっている一方で、昔のアナログ盤を聴くときのような一つ一つ丁寧に、真面目に聴こうとする姿勢を失くしてしまっているのではないかということです。
ちなみに妻はレコードというものを(ほぼ)知らない世代なので、最近になって初めてその音を聴いたそうです。盤の扱いに慣れていないので、妻一人のときはレコードは聴けません。我が実家から山口百恵のラスト・アルバムやLive盤、あるいは松山千春のレコードをかけ、聴かせてあげると感動しておりました。
聴く前に、盤をきれいにする、そして針もきれいにする、丁寧にアームをレコード盤にのせるなど、儀式張りに面倒なことばかりですが、これがまた乙なのです。
それは、そこに格別な思いがあるという証拠でしょう。
ただ聴けば良いというのではなく、その前後の準備や余韻含めて「音楽を聴く」と言うことなのです。

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

~孔子「論語」

引き続き「聴くこと」を楽しみます。
いつもありがとうございます。