こんなにも(良い意味で)湿り気のある「ハイドン変奏曲」は、数多残された彼の実況録音の中で随一かもしれない。力みなく、抜け切った透明感を獲得しながら、冒頭「聖アントニウス」の主題提示から堂々たる響き、かつ色香匂う美しさ。第一変奏に入るや、音は勢いを増し、もの凄いうねりを伴って僕たちの眼前に聳え立ち、続く第2変奏の強烈な打撃が肺腑を抉る。第4変奏の哀感、また、弾ける第5変奏の望外の愉悦が素晴らしい。第6変奏は音の圧力凄まじく、長めの休止をとっての第7変奏では心静かに旋律が奏でられ、安堵の思いが込み上げる。ここにあるのはブラームスの愛。そして、フルトヴェングラーの慈悲。
ちなみに、聖俗すべてを合わせ飲む終曲は、フルトヴェングラーの棒により見事に扉が開かれた、ブラームスの誇る堅牢な音の大伽藍。言葉がない。
今や活動を停止してしまったTahraレーベルのフルトヴェングラー・シリーズの記念すべき第1番(FURT1001)。おそらく、多少の残響効果などが付加されているのだろう音の不自然さはある。それでも初めてこの音盤に触れたとき、僕はその音質の良さに確かに痺れた。コントラバスの生々しい低音に心動き、金管群の重量級の咆哮に魂を射抜かれるような気がした。
ブラームス:
・ハイドンの主題による変奏曲作品56a
・交響曲第1番ハ短調作品68
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮北ドイツ放送交響楽団(1951.10.27Live)
抑圧された精神を解放に導く交響曲第1番。
第1楽章序奏ウン・ポコ・ソステヌートから音楽は地を這い、内燃する情熱を一旦閉じ込める。主部アレグロに至り、火を噴くように音楽は弾けるが、それでも真の解放までには、終楽章アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・ブリオ,ピウ・アレグロを待たねばならない。
第2楽章アンダンテ・ソステヌートにある懐かしさは、ほとんど時間を超えてしまっているようだ(つまり、単なる懐古的な音楽ではないということ。忘れ去られた自身の過去世を悔い、懺悔するかの如くの優しさに包まれる)。
そして、短いけれど時間を経るごとに白熱する第3楽章ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソを挟み、怒涛の終楽章が真に迫るのである。序奏アダージョ,ピウ・アンダンテの物々しさに畏怖の念を抱くや(朗々と響くクララのホルン主題の何とも言えない安心感!)、音は力を重ね、一呼吸ほどの間をおいて奏でられた主部第1主題の何とも奇蹟的な愛らしさ!
ティンパニの激烈な轟き、咆える金管群と相まって、音楽は時に悪魔的な様相を醸す。一旦沈み込んだ音塊は、爆発したかと思えば、また静けさを取り戻す。過呼吸になりそうなほどの感情の揺れ。まるで生き物だ。
ちなみに、コーダ(の解放)に向って歩む様は、何だか悟りへの道の如し。
フルトヴェングラーの漸強、漸速の妙味が、これほどまでにピタッとはまる音楽があるのだろうか。
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