カザルス指揮マールボロ音楽祭管のモーツァルト「プラハ」K.504(1968.7.14Live)を聴いて思ふ

mozart_symphonies_casalsわたしは基本的なことだけを言いたい。なにも込み入ったことを述べるつもりはない―何でもそうだが、原点からすべては始まるべきである。しかしきわめて単純な事柄こそ重要な意味をもっていることを知っておいてほしい。

考えてもみなさい!みなは私のことを偉大なチェロ奏者だという。私はチェロ奏者ではない。音楽家なのだ。このほうがはるかに大切でしょう。

パブロ・カザルスの言葉は重い。楽曲を構成するすべての音に意味があり、魂がこもる。
そして、晩年の数十年間は独奏者としてほとんど出演することのなかった指揮者カザルスは次のようにも語る。

チェロをかき鳴らしてきてさえ私は幸せだったのだから、あらゆる楽器のなかで最大の楽器―オーケストラ―を手にしたなら、いったいどんな感じがするでしょう?

音楽をつくり上げるのはなんと興味あることだろう。そしてオーケストラ以上にそれに適した楽器があるだろうか・・・音楽を深く感じ、そのもっとも内部にある思考を形式あるいは形あるものに移し換えたい人間にとって、オーケストラは最高の媒体である。

カザルスの指揮下で演奏できるなら次席でも構わないと集まって来た、多くの有名なオーケストラの首席奏者たちを束ねたカザルスのための特別編成オーケストラの実演記録ほど、カザルスの音楽に対する情熱と愛とが見事に刻印されたものはない。
いわば血沸き肉躍るモーツァルト。例えば、K.543第3楽章メヌエットの激しいアタックを伴う躍動感はまさに音楽をする喜びに満ち、トリオの明朗で優しい響きは一時の安寧だ。

モーツァルト:
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1968.7.14Live)
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1963.7.12Live)
パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団

「プラハ」交響曲第1楽章序奏アダージョの鷹揚かつ確信に溢れた足取りは、91歳の老大家パブロ・カザルスのそれまでの人生の蓄積のすべてを反映するよう。この意味深さ、そして有機的な響きは、師を敬愛するトッププレイヤーたちの真摯な演奏姿勢から生み出された「奇蹟」と言っても良いほどのもの。
そして、主部アレグロに入っての夢心地の解放。言葉にし難い感動・・・。
第2楽章アンダンテは何気なく進むが、自然体のその優美さは他にないもの。
さらには、終楽章プレストの思わせぶりなテンポにカザルスの天才を思う(これほど重厚なプレストは聴いたことがない)。

創造物は創造者の年輪を刻む。老大家の演奏が感動を呼ぶのはそういう理由もあろう。
しかし、カザルスほどに颯爽と若々しい外観でありながら、枯れた味わいと深い内燃する想いのこもったモーツァルトはそうそうは聴けぬ。

※太字カザルスの言葉はすべて「デイヴィッド・ブルーム著/為本章子訳『カザルス』(音楽之友社)」より引用。

 

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2 COMMENTS

木曽のあばら屋

こんにちは。
カザルスの指揮するモーツァルト。
初めて聴いたときは「なんだこのトンデモ演奏!?」と思いましたが
聴きすすむうちに深い確信に満ちた個性的な解釈に魅了されました。
普通の指揮者とは全然違います、聴きなれたモーツァルトが別の曲みたいに聴こえます。
しかも強い説得力がある。
カザルス、本当に凄い音楽家ですね。

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岡本 浩和

>木曽のあばら屋様
こんにちは。
おっしゃる通りです。
昔、初めて聴いた時はあまりピンとこなかったのですが、年齢を重ねるにつれ、おそらくモーツァルトについての理解が深まったせいもあるのか、本当に素晴らしい説得力のある演奏だと思います。

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