ワルター指揮ウィーン・フィルのワーグナー「ワルキューレ」第1幕(1935.6録音)を聴いて思ふ

walter_vienna_1930291実に奥ゆかしいロッテ・レーマンのジークリンデに恋をし、あまりに実在的なラウリツ・メルヒオールのジークムントに嫉妬する。ブルーノ・ワルターが戦前に残した「ワルキューレ」第1幕は、何よりこの2人の歌唱が前面に押し出された、崇高で知的な人類の至宝である。
それにしてもウィーン・フィルのまろやかな響きの裏に垣間見る激烈さは、戦争に突入しようとする欧州、特に独墺諸国(ナチ)に対するワルターの反骨の想いが反映したものなのかどうなのか、例えば前奏曲などほとんどギリギリともいえる快速テンポで、しかも灼熱の響きを帯び、聴いていて本当に胸がすく。

神々の没落を描くドラマの中で、そのキーパースンとなる輩の誕生にまつわる、2人の男女の邂逅の(不吉な)前兆を表す自然の音化。ワルターの表現はそれに相応しい特別なものだ。

リヒャルト・ワーグナーは1849年の論文「未来の芸術作品」で書く。

人間の本性は、あらゆる芸術ジャンルと同じく、それ自体として豊富で多様である。しかし各個人の魂、彼の必然的な欲求、不可欠のものを激しく求める衝動は、ただ一つである。こうした一つのものを自分の根本的本質であると認識しているのなら、人間はそれを必ずや獲得できるように、もっと弱いあらゆる副次的欲望と無力な憧れ―それを充たすことが肝腎要なものの獲得を阻むことになりうる―を押さえ込むことができるであろう。
ワーグナー著/三光長治監訳「ワーグナー 友人たちへの伝言」(法政大学出版局)P203

果たしてワーグナーの言う「ただ一つ」とは何であるのか?

あらゆる人間は、一つの共通の欲求だけをもっている。しかしこの欲求は、その最も普遍的な内容にしたがってのみ、彼らに一様に内在している。それは、生きようとしそして幸福であろうとする欲求である。この点に、あらゆる人間を結びつける自然な絆がある。これは、大地の豊かな自然が完全に充たすことのできる欲求である。
~同上書P214

大自然と一つになることによってこそ充たされる衝動、それこそが生と幸福なのだと。確かに「ワルキューレ」第1幕に聴こえるものは、生と幸福を求める男女が一目で恋に落ち、そしてそれを大自然、大宇宙の力を借り、成就する様を歌うジークムントとジークリンデの愛である。

冬の嵐を追い払い
歓びの月が訪れた。
穏やかな光のなかで
春は輝いている。
そよ吹く風に
揺られゆられて
めずらかな春の錦を
織りなしてゆく。
野にも森にも
春の息吹きが吹きかよい、
大きく見開いた眼は
喜びに輝く。
喜々とした小鳥たちのさえずりは
春の奏でる甘い調べ、
馥郁とした大気の香りは
甘やかな春の吐息。
日本ワーグナー協会監修・三光長治/高辻知義/三宅幸夫/山崎太郎編訳「ヴァルキューレ」(白水社)P35

人と人とがひとつになる歓喜は自然との合一と同じくということだ。クライマックスの二重唱に止めを刺す。

・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」第1幕
ロッテ・レーマン(ジークリンデ、ソプラノ)
ラウリツ・メルヒオール(ジークムント、テノール)
エマヌエル・リスト(フンディング、バス)
ブルーオ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1935.6.20-22録音)

80年前の録音とは思えぬ生々しさ(音の質はそれなりだが、醸すエネルギーの凄まじさは並大抵でない)!!メルヒオールの落ち着いたテノールとレーマンの呼吸の深く重いソプラノ。

ジークリンデは応える。

あなたこそは春、
凍てつく冬のさなかで
ずっと待ち焦がれておりました。
~同上書P37

男と女の摩訶不思議。
それを的確に音化、表現できるワーグナーの天才と、劇的に再現できるワルターの天才と。
森羅万象、すべてはひとつである。
これはやっぱり永遠不滅の名演だ。

 

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