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フルトヴェングラーのマタイ受難曲

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ氏が亡くなった。86歳だったという。
歌曲に決して強いとは言えない僕でも、彼の録音には随分お世話になった。リートに限らずオペラやミサなどの声楽曲の名盤を仕入れると大抵彼の名前がクレジットされていたから自ずと聴く機会も多かった。
僕が初めて彼の歌声を聴いたのは、フルトヴェングラーがフィルハーモニア管弦楽団と録音したマーラーの歌曲集「さすらう若人の歌」においてだった

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5月 18

Yes 90125

講義を梯子して思ったこと。
色々な学生がいるが、20歳を前にしてこれほどまでにと思う学生がれっきとしているということが本日の驚きと同時に喜び。単に意識が高いというのではない。悩み多き乙女という言葉が正しいかどうかは別にして、ともかく目の前の問題を放ったらかしにせず、受け容れて、それを解決するべくいろいろとチャレンジしようとしているところが素晴らしい。
こういう子たちには本当にエールを送りたくなる。何とか答を見つけるためのサポートをしてあげたいとも思う。

そういえば、30年前、自分が同じ状況の頃には、そんなことは微塵も考えていなかった。いかに自分が「屁たれ」だったか(笑)。しかし、そういう経験があるからまた若者に物が言えるのも確か。一緒になった電車の中で都合1時間近く色々な話をして、あの頃の「空気感」をまたもや思い出した。
世はバブル期で、一世を風靡したMTVなる番組が音楽を取り巻く環境を一変させたんだっけ(今となってはテレビでロック音楽の番組を観るという行為を珍しくなったけれど)。そういえば、ロック音楽に目覚めた当時の、印象的なPVで忘れられないものは多い。

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5月 17

ボリショイ・バレエの「くるみ割り人形」

少し時間が空いたので、明後日の講座の準備をしようと「くるみ割り人形」を抜粋で観た。やっぱり第2幕のディヴェルティスマンから花のワルツ、グラン・パ・ド・ドゥあたりのクライマックスをご堪能いただくのが順当だろうと計画しているのだが、手持ちのDVDは30年近く前の舞台で、ピーター・ライトの演出、ロジェストヴェンスキーの指揮による英国ロイヤル・バレエのものにもかかわらず、どうもカメラ・ワークもカット割りも古臭く、興ざめなところが残念でならない。どうにも一度こうなったらどうしても拘りたい性質だから、直前だがいよいよ別の映像をこの際仕入れてみようかと思案中。
入門者にとってはそれほど大きな差ではないかもしれないが、壇上に立つ側がどうにも納得のゆかない演奏や舞台だと気持ちが入らないゆえ困りもの。

それにしても今更だが、「くるみ割り人形」の舞台の何と素敵なことよ、そしてその音楽の何と美しいことよ。「グラン・パ・ド・ドゥ」については先日ラトル&ベルリン・フィルのヴァルトビューネ・コンサートでのアンコール・シーンに痛く感動させられたが、このあたりの音楽及び情景はかのバレエにおいても圧巻で、どんなに貧しいステージを見せられても、ついつい音楽に引きこまれてしまうのだから、チャイコフスキーの才能たるは半端でないと実感する。

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5月 16

社会主義リアリズムって?~デュトワのプロコフィエフ

社会主義リアリズムって何だったんだろう?
ある一面をみれば、国家がすべてを統括するために作り出した幻想といえるだろうが、こと芸術的側面からだけみたらば、意外にそれはそれで一理あるのでは。ソビエト連邦の作曲家の作品のほとんどはどんなに背面に意味を凝らそうと、少なくとも表向きは大衆に受容されるわかりやすい作品であることからも「真実」だと定義できるから。
共産主義のそもそもの問題は「信仰」を捨てたことである。目に見えるものと目に見えないものと。身体と心と。科学と宗教と。それらのすべてがバランスの中で本来は一元化されるものなのに体制は神を否定した。本当はそうするものではなかっただろうに。だって、どんなに「社会主義リアリズム的音楽」を創作しても、音楽に仏心が存在するならばそもそもその思想を標榜すること自体矛盾を孕むものだし。
だから、ショスタコーヴィチやプロコフィエフが一生懸命体制に迎合するべく書いた作品たちも聴き方を変えれば実に神々しい。「森の歌」然り、「アレクサンドル・ネフスキー」然り。聴けば聴くほどそのことがいよいよ明確になる。
まぁ、あまり深く考え過ぎるのは止そう。とにかく感じること、愉しむこと、だ。

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5月 15

マルケヴィッチの「春の祭典」

ここのところクラシック・バレエなるものを再評価する自分に気づく。
決して女々しいものと烙印を押していたわけではないのだが、管弦楽作品としてのバレエ音楽については随分熱心に聴いて来たものの、こと舞台となると(映像も含めて)どうもお尻がかゆくなるというか勝手な苦手感を若い頃から持っており、残念ながら真面に正面から取り組もうとしていなかった。
しかしながら、ゲルギエフの棒によるマリインスキー劇場の「白鳥の湖」を観るに至り、背筋に電気が走るような感動を、少なくともこのバレエに関して初めて味わった。
こういうのは本当に稀な体験。早速チャイコフスキーのほかのバレエ作品についても研究しようといくつか仕入れる予定だが、こうなったら20世紀のストラヴィンスキー、プロコフィエフのものなども徹底的に鑑賞し尽くそうと目論んでいるところ。

そもそもチャイコフスキー以前というのは、バレエ音楽というのはあくまで舞踊の伴奏に過ぎず、リュリやラモー、あるいはグルックというフランスおよびオーストリアの作曲家たちが創作し、世に受け入れられていたのもオペラの一部としてのバレエだったわけで、舞台総合芸術としてのバレエを見事に創造し、世に知らしめたのはまさにチャイコフスキーの最大の仕事だったということで、今更ながら彼の類稀なる力量に舌を巻く。

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5月 14

ぼんやりとパレーのラヴェル&ドビュッシー

意外にじっとしていられない性質で、昔から休日も働く癖がついていた。
何にもないと心身が鈍ってしまう気がしていた。
今は、毎日が日曜日のようなものだが(笑)、裏返すと毎日が闘いのような日々だともいえる。ということで、本当の意味で「休むこと」はとても大切なことだと思うから、ここのところ1週間に1日は「何もない日」を設定するようにしている。
今日がその日。
「休み」だと自分に言い聞かせても、ついついあれやこれやと考えてしまうものだが、まずはそれを止めようと朝から決意する。そこで、音楽を聴いたり本を読んだり、ぼーっとしたり。といっても僕の場合、「音楽を聴く(観る)」という行為もある種仕事のようなものだからなかなかきちんと思考を停止することができない。

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5月 13

ふたつよいこと さてないものよ~ポゴレリッチのベートーヴェン

ポゴレリッチが若い頃に録音したベートーヴェンの最後のソナタとシューマンの交響的練習曲を久しぶりに聴いて感じたこと。
確かに、ここには現在のポゴレリッチの姿の片鱗が垣間見える。
いや、というよりショパン・コンクールで騒がれたあの当時から「本質」―それは内面的資質という意味でも外面的スタイルという意味でも―は何も変わっていないということを証明する。爆撃のような低音音塊。どこか天上で打ち鳴らされるかのような、飛び抜けてエネルギー・レベルの高い高音の鐘の音。
おそらく当時は師であり妻でもあったアリザ・ケゼラーゼ女史の影響下にあり、ピアニストとしてのバランスは取れていたのだろう。しかし、バランスというのはある意味個性を封印する。ひとりの芸術家として世間からもはっきり認められていたあの頃は本人と妻との共同作業であり、決して彼ひとりの力量ではなかった。独りになり、レコーディングすらままならない状況になり、常に深い淵を彷徨い、思考し、答を探し続けたのであろう10数年だったのでは・・・。
僕は先日の2つのコンサートを聴いて、ようやく彼が闇を抜け、確固とした個性的な軸を見つけ始めたのだと直感した(いや、ひょっとするとまだまだ発展途上かもしれぬが)。
いずれにせよ、そのことにあらためて気づかせてくれたのが数日前のリストのソナタであり、そして、より確信をくれたのがこのベートーヴェンの第32番ソナタであり、シューマンのエチュードだったということである。

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5月 12

全体観と複雑性理解力~Miles In The Sky

V.S.O.P.クインテットの原点であり、マイルスがひとつの壁を乗り越えた地点。
歴史というのは面白いもので、何十年も経過した後に真の意味がやっと一般大衆に到達する。ともかく人は「変化」を怖れる生物である。できるなら現状維持を貫く方が楽だと考える(周囲は少しずつだけれど確実に変わって行っているのに)。

ストレスが人の心身に変調を来すことは古くから言われていること。でも、全くのストレスがない状態だと人は鈍ってしまい、やっぱり心身がおかしくなるそうだ。無理難題や多少の壁はあった方が良いということ。それを目標と捉えられるなら、乗り越えるためのものだから。

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5月 11

ドビュッシーの音楽が・・・、似合う~管弦楽のための「映像」

大粒の雹といい竜巻といい、このところの気候はやっぱりおかしい。
快晴かと思いきや突然の猛烈なにわか雨だったり・・・。
今朝も少しばかり散歩した。そういう天気のお陰か何とも清々しい気配を呈するが、それが5月というのに初秋の雰囲気に近い、何ともうら寂しさが漂う。孤独感を感じるというのではない。何だか空気そのものが冬に向かうような、そんな様子。じっと耳を澄ますと聞こえてくる自然の音も鳥の鳴き声も気のせいか晩春、あるいは初夏っぽくない。

先日来、暇を見つけてはお借りした「日本フィル・JOCXアーカイヴス」の貴重映像を観ている。40数年前の、当然画面はモノクロながら音声は音質向上が図られている、真に見応えのあるシリーズで、本日は渡邉曉雄指揮によるラフマニノフの第2協奏曲(レフ・オボーリン独奏)、ブラームスの第1協奏曲(エリック・ハイドシェック独奏)他を堪能した。オボーリンはてっきり伴奏ピアニストだと思い込んでいたが、そういえば第1回のショパン・コンクールの覇者なのだからソリストとしてコンチェルトを弾いていてもおかしくない。このラフマニノフは良かった(指揮台の譜面がどういうわけかポケット・スコアであることが少々気になったけれど・・・笑)。
それより何より若きハイドシェックのエスプリに満ち満ちたブラームスよ!!
音楽が縦横に飛翔し、いかにもハイドシェックらしい。吃驚するくらい指が回って、どんな難度の箇所もがいとも容易く表現される様(もちろん人間だからミスタッチはあるが)。北欧の音楽を得意とする指揮者の棒による日本の管弦楽団をバックにしての、ハンブルクの巨人のクララ・シューマンへの恋文が、フランス的精神炸裂で音化される様子にピアニストの天才を再発見。
いわばこんな感じ・・・。

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5月 10

The Doors~L.A. Woman

もう20年以上前のことだと記憶する。
多分何回目かにアメリカの西海岸を訪れた時に買ったものではなかったか。
久しぶりにジム・モリスンの遺作の詩集を斜めに読み返してみて、彼の持つ何とも崇高な芸術的センスと詩的表現能力の素晴らしさにあらためて舌を巻いた。ジムが27歳という若さで死ななければならなかった、その理由が何だかよく理解できる不思議な魅力に溢れているのである。英語を母国語としない僕が、何となくその綴りを眺めているだけで、奥底に秘められた意思までをも感じ取ることができることが何とも素晴らしい。

昨晩、イーヴォ・ポゴレリッチのソロ・リサイタルを聴いて感じたこと。このピアニストも日々苦悩し、三歩進んで二歩下がり、自分の中心軸を確固としたものにしようとしているんだなということ。とても偉そうな言い方だが、2年前のリサイタルでは、彼自身の個性が強過ぎたのではないのか。それが今では、そこにいる聴衆と「合気」しようとする無意識の姿勢が僕には感じられた。今回のコンサートに足を運んだ人々は、僕も含めて熱狂的なファンであるといえる。物珍しさに群がる一般のファンを一度蹴散らしておきながら、本当にわかってくれる人々だけを残して再度自らの芸術を提示する。時間をかけてそんな挑戦をしようとしたのではないかとも僕には思えるのである(考え過ぎかな・・・笑)。

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5月 09

イーヴォ・ポゴレリッチ~第二夜・ソロ

思ったより真面な(?)演奏会だった。
前回の公演は本当に賛否両論だった。3時間半を超えるリサイタルの途中で帰ってしまう人が続出したというくらい、受け容れ難い人にとってはあまりに唯我独尊的なステージだった。そのことに誰かの忠告があったのか、あるいは自身で反省したのかわからないが、ともかく時間的には至極真っ当、全プログラムの終了時刻が21:18頃だったのだからああいう舞台を期待していた輩からしてみると少々肩透かしを食らった感のある、そんなひと時だった。

18:30定刻に開場。しかし、舞台上では帽子を深くかぶり、ラフな格好でピアノに向かうポゴレリッチの姿(一昨日も同じような光景が見られた)。何の曲なのか、ひょっとすると指慣らし的に思いつくまま弾いているのか、そのあたりは定かでないが、とにかく開演ぎりぎりまで続けられた。業を煮やしたスタッフが、途中2回そろそろ止めるように忠告に来たくらい彼は集中していた。ようやく袖に下がったのが18:50過ぎ。これから着替えてとなるとおそらく開演は予定時刻を過ぎるだろう・・・。

イーヴォ・ポゴレリッチ~レジェンダリー・ロマンティックス
第二夜・ソロ・リサイタル
2012年5月9日(水)19:00開演
サントリーホール

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章

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